第4話 三つ首の黒き狼
01 さらなる出会い
咲弥はその日も、ひとりで「うーん」と悩ましげな声をあげていた。
場所は祖父から受け継いだ家の前庭で、咲弥の眼前には愛車たる黄色の軽ワゴン車が鎮座ましましている。
その後部の座席を潰して確保したラゲッジスペースは、もはや完全にキャパオーバーを起こしていた。
「さすがに、これで限界かぁ。まあ、めいっぱい頑張ったよなぁ」
こちらのスペースは、もとより咲弥のキャンプギアで埋め尽くされていた。そこに追加のギアを押し込んだため、このような有り様に成り果てたわけであった。
追加したのは、祖父のキャンプギアである。
咲弥は自分なりに装備を整えていたし、祖父の大事な遺品を軽々しく扱う気持ちにはなれなかったので、これまでは手をつけずにいたのだが――ドラゴンばかりでなく亜人族の兄妹ともお近づきになったことで、いよいよギアの補充に着手せざるを得なかったのだった。
祖父の遺品から借り受けたのは、拠点の設備として、テント、シュラフ、フォームマット。火まわりは、焚火台、焚火シート、グリルグレート、OD缶のバーナー。調理器具は、コッヘル、メスティン、スキレット、兵式飯盒、カッティングボード。その他の装備として、ブッシュクラフトナイフ、手斧、ランタン、レジャーシート、コンテナボックスというラインナップになる。
本当はローチェアやローテーブルも拝借したかったところであるが、それを積み込むスペースはもはや存在しなかった。
「ま、チェアやテーブルを一台ずつ追加したところで、焼け石に水だしなぁ。レジャーシートをうまく活用するしかないか」
悩んでいてもしかたないので、咲弥は出発することにした。
リアゲートを閉めて運転席に乗り込むと、助手席にはウォータージャグと五キロの米袋が積み上げられている。
咲弥の新たなお仲間たるダッチオーブンは祖父のコンテナボックスに移し、代わりにこれらを積み上げることになったのだ。米袋は本日の食材であり、余った分は亜人族の兄妹に預かってもらおうかと思案していた。
「他にも荷物を預かってもらえば、新しいギアを補充できなくもないけど……洗う必要があるギアは持ち帰らないといけないし、やっぱり難しいところだなぁ。じっちゃんの形見は、外に置き去りにしたくないしなぁ」
と、ついつい独り言をこぼしながら、咲弥は軽ワゴン車を発進させた。
前回のキャンプからは、また三日目となる日である。祖父の家に転居してから十日目で、四度目のキャンプだ。わずか十日でこれほど自分を取り巻く環境が激変するなどとは、さすがに想像の及ぶものではなかった。
(ま、楽しいからいいけどさ)
緑の深い林道を進んでいく内に、咲弥の心は速やかに晴れわたっていった。
やがて山道に差し掛かり、周囲に異界の風景が混じり始めたならば、ますます楽しい気分がわきかえっていく。咲弥はもともとキャンプをこよなく愛する身であったが、それがこの十日間でさらにブーストされたようであった。
(まさか、グルキャンの楽しさまで教えてもらえるとはね。じっちゃんは、ほんとに色んなものをあたしに残してくれたなぁ)
そうして咲弥の心がすっかり満ち足りたところで、キャンプスポットに到着した。
初日のキャンプで活用した、もっとも手近なスポットだ。他の二ヶ所に比べるとやや手狭であったものの、四人で楽しむのに窮屈なことはなかった。
(なんだかんだで、予定より早く着いちゃったか。ま、ひとりの設営も悪くないさ)
今回も来訪の日取りとおおよその到着時間を告げていたので、亜人族の兄妹も早めに仕事を切り上げて合流する予定になっている。そのためのキャンプ料理も、すでに考案済みであった。
「せっかくだから、じっちゃんの手斧で薪割りにチャレンジしてみよっかな。アトルくんたちのほうが使いなれてたら、なんか悔しいもんなぁ」
そうして運転席から降りた咲弥が軽ワゴン車の後部に回り込んだとき、背後でガサリと茂みが鳴った。
何気なく振り返った咲弥は予想外の光景を目の当たりにして、ぽかんと呆気に取られる。
深い茂みから身を乗り出していたのは、ドラゴンならぬモンスターであった。
「なんだ……どうしてこんな人間族の小娘が、竜王の気配をぷんぷんさせてやがるんだ?」
巨大なるモンスターが、不穏な響きをはらんだ声でそう言った。
体長五メートルに及ぶドラゴンほどではないにせよ、トラやライオンに匹敵する巨体だ。
それは全身に漆黒の獣毛を生やした、狼のごときモンスターであり――そして、三つの首が生えていた。
「もしや……竜王殿が、人間族の姿に変じているのでしょうか?」
「そんなわけねーだろうが! 火竜族が、人間族なんざに化けるもんかよ!」
「うむ……それに、数々の魔法を修めた竜王でも、変化の術は得意にしていなかったような……」
と、三つの首がてんでに発言した。
声質は同じであるのに、口調の違いから別人のように聞こえてしまう。咲弥から見て左側、当人にとって右側の首は荒っぽく、真ん中は丁寧で、左側は陰気な口調であった。
「えーと……キミたちも、ドラゴンくんのお友達かなぁ?」
咲弥がそのように問いかけると、真ん中の首だけが深く一礼した。
「私は、ケルベロスと申します。竜王殿と相まみえたことはなくもありませんが……友を名乗るほど親密な関係は築いておりません」
「おいおい! 人間族の小娘なんざに、何をぺこぺこしてやがるんだよ!」
右側の首が文句をつけると、真ん中の首は沈着なる眼差しをそちらに突きつけた。
「察するに、こちらのご婦人は竜王殿にゆかりある御方でしょう。であれば、礼を尽くさなければなりません」
「へん! こんな小娘にぺこぺこするのは、俺の流儀じゃねーな!」
右側の首は、ぷいっとそっぽを向いてしまう。
そちらの首は右の目もとに大きな古傷が走っており、いかにも勇猛そうな雰囲気であった。
いっぽう左側の首は耳が垂れており、常にうつむいていて、咲弥のことを上目づかいで探るように見やっている。口調ばかりでなく、表情までもが鬱々としていた。
それにはさまれた真ん中の首は、ひとり毅然と頭をもたげている。口調も丁寧であるし、とても紳士然とした立ち居振る舞いだ。その表情も、きりりと引き締まって見えた。
「もしもあなたが竜王殿にご縁をお持ちでしたら、お願いしたき儀があるのですが――」
と、ケルベロスと名乗る巨大な狼は茂みの中から進み出てこようとしたが、三歩と歩かぬ内にへたりこんでしまった。
「あらら、どうしたの? どこかお加減でも悪いのかな?」
「……恥ずかしながら、私は魔力が枯渇しております。それで、こちらの山にて魔力の補充をするお許しをいただくべく……竜王殿にお目通りを願いたいのです」
そのように告げるなり、三つの首はみんな力なく地面に伏せてしまった。
「ありゃー、大変だねぇ。魔力とかよくわかんないけど、好きなだけいただいちゃいなよぉ」
「しかし……竜王殿の支配下にある地で、勝手な振る舞いは許されませんので……」
「うーん、そっかぁ。じゃ、お腹のほうはどうだろう? 何か食べたら、ちょっとは元気になるのかなぁ?」
咲弥の申し出に、すべての首がぴくりと反応した。
その中から発言したのは、右側の首である。
「お前、何か食うものを持ってやがるのか? だったら、さっさとよこしやがれ!」
「失礼な口を叩くのは、控えなさい。それが助けを乞う者の態度ですか?」
「しかし……これでもう、三日も何も口にしていないのだ……これでは肉体よりも先に、心のほうが朽ちてしまおう……」
態度は三者三様であるが、気持ちはひとつであるようだ。
咲弥は「りょうかぁい」とのんびり応じつつ、軽ワゴン車のリアゲートに手をかけた。
「とりあえず、鯖缶だったら速攻で出せるよぉ。お魚はお好みに合うかしらん?」
嬉々として「魚!」と声をあげたのは、右側の首である。
ただ、残る二つの首もすがるように咲弥を見つめていた。
(なんだ、けっきょく可愛い要員かぁ)
咲弥は内心でほくそえみつつ、まずは足もとにシートを広げて、コンテナボックスのひとつを下ろした。
そこから三つの鯖缶を取り出し、メスティンと大小のコッヘルの蓋に盛りつける。
「はい、どうぞぉ」
それぞれの首の前に三つの蓋を並べると、右側の首はひと口でたいらげた末に仰天した様子で目を見開いた。
「おい! こいつは、煮込んだ魚じゃねーか! どうして煮込んだ魚を腐らせもしねーで持ち歩けるんだ!?」
「んー? 缶詰の原理なんて、あたしもよく知らんけど……とりあえず、空気を抜いて密閉するから、腐らないんじゃないかなぁ」
「へー! よくわかんねーけど、便利だな! お味のほうも、なかなかだしよ!」
よほど鯖缶のお味がお気に召したのか、右側の首は子供のようにはしゃいでいる。しかしその黒い瞳には、たちまち不満げな光が瞬いた。
「でも、これっぽっちじゃ全然たりねーよ! もっとあるなら、さっさと出しやがれ!」
「いい加減になさい。この身は、生死の境にあるのですよ?」
「うむ……不用意な発言で生命を落としたならば、悔んでも悔やみきれまい……生命が惜しくば、その闘争心を少しは制御するがいい……」
二つの首が真剣な眼差しでたしなめると、右側の首は頬をふくらませた子供のような風情で「……モットクダサイ」という言葉を振り絞った。
(なんじゃこの可愛いモフモフは)という想念を噛みしめながら、咲弥は「うーん」と思い悩む。
「鯖缶はもう一個あるんだけど、やっぱりここは公平にわけわけするべきかなぁ?」
「いえ。魚の肉でより深い満足を得られるのは、そちらの首です。もしもご温情を授かれるのでしたら、そちらの首にお願いいたします」
「あらそう? まあ、こいつを三等分にしたら食べごたえもないもんねぇ」
咲弥は最後の鯖缶を開封して、メスティンの蓋にぶちまけた。
大きな舌でそれを丸ごとすくいとった右側の首は、黒い瞳に歓喜の輝きをほとばしらせる。
「なんだこれ! こいつのほうが、さらに上等なお味じゃねーか! もっとないのかよ?」
「さっきのは水煮で、今のは味噌煮だねぇ。残念ながら、どっちもこれで在庫切れだよぉ」
右側の首は「ちぇっ」と舌を鳴らしてから、未練がましく蓋の底をなめた。
残る二つの首は、大事そうに鯖の水煮を咀嚼している。
そして――そのタイミングで、周囲の樹木の葉がいっせいにざわめいた。
ケルベロスの三つの首は、いずれもハッとした様子で頭上を仰ぎ見る。
それにつられて顔を上げた咲弥は、天空に翼を広げるドラゴンの優美な姿を発見した。
「……これは、如何なる事態であろうか?」
地上に舞い降りるなり、ドラゴンは普段以上に威厳のある声をあげた。
その背中から飛び降りた亜人族の兄妹は、二人で「ひゃーっ!」と裏返った声をあげる。
「み、みつくびのくろきおおかみ! こちらは、ケルベロスさまなのです!」
「はい! ほんもののケルベロスさまをめにしたのは、これがはじめてなのです!」
「うむ。我は都で、何度か見かけた覚えがあるが……どうして其方が、この山にてそのような姿をさらしているのであろうか?」
「……ぶしつけな来訪をお許しください。実はあちらの砂漠にて、サンドウォームの群れに襲われてしまい……魔力が枯渇してしまったのです」
真ん中の首がそのように応じると、ドラゴンは「なるほど」と目をすがめた。
「我の許しがない限り、いかなる魔族もサクヤには近づけぬはずであるが……魔力が枯渇しているがゆえに、こうまで接近できたわけであるな。我は、術式の間隙を突かれた心地である」
「よくわかんないけど、なんも危ないことはなかったよぉ?」
咲弥が横から口をはさむと、ドラゴンは「左様か」と目を細めた。
どこか張り詰めていた雰囲気がようやくやわらいだようで、咲弥はほっとする。
「ほんで、この子たちはこのお山で魔力ってもんを補給したいんだってよぉ。もちろん、許してあげるでしょ?」
「それはまあ……この地で悪さをしないと誓うならば、許さなくもないが」
ドラゴンが再び厳しい目を向けると、右側の首は「ふん!」とそっぽを向き、左側の首はもともとうつむいていた顔をさらに沈める。そして、真ん中の首が粛然と答えた。
「無論、竜王殿のお膝元で無礼な真似を働くことなどありえません。生き永らえるのに必要なだけの魔力をいただいたのちには、速やかに退去いたしますので……何卒、ご容赦をお願いいたします」
「左様か。では、咲弥の身から遠ざかるがよい。魔力を喰らったならば、咲弥の携える鱗の術式で痛い目を見てしまおうからな」
「えー? あたしはここでお別れなのぉ? せっかくお近づきになれたのに、残念だなぁ」
と、咲弥はすかさず不服を申し立てた。
「それに、その子たちはお腹がぺこぺこなんだってよぉ? 魔力ってのを補充しても、食事は別腹なんでしょ? たしか、食事をしないと心が満たされないんじゃなかったっけ?」
「……サクヤはこの者たちに、何か食事をふるまったわけであるな?」
空になった三つの蓋を見回しながら、ドラゴンはそう言った。
「うん。最初の日にドラゴンくんともいただいた、鯖缶だねぇ。せっかくだから、もっとちゃんとした料理をふるまってあげたいなぁ」
ドラゴンはへたりこんだケルベロスと咲弥の姿を見比べると、黄金色の目をふっと細めた。
「相分かった。では、魔力の補充は早々に済ませることとしよう」
ドラゴンが尻尾の先をケルベロスの背中にあてがうと、両者の姿が真紅に光り輝き――ケルベロスの三つの首が、同時に「おおっ!」と声をあげた。
「ま、まさか、一瞬でこれほどの魔力を他者に分け与えられるとは……」
「恐ろしい……竜王の魔力とは、これほどのものであったのか……」
「……ふん! こんなの、大したことねーや!」
右側の首はすぐさま強気の態度を取り戻したが、その顔には驚愕の表情が残されている。どうも彼らには、人間に負けないぐらいの表情筋が存在するようであった。
やがて真紅の輝きが消え失せると、ケルベロスはすっくと身を起こす。
そのライオンのような巨体には、黒い炎のごとき生命力がみなぎっていた。
「特別に、サクヤのそばに身をおくことを許そう。其方が我の信頼を裏切った場合は……わかっておろうな」
「はい。私など、竜王殿の前では子犬も同然でありましょう。決して非礼な真似はしないとお約束いたします」
そんな風に言ってから、真ん中の首は咲弥のほうに視線を向けてきた。
「それに……そちらのサクヤ殿からも、この身は大きな恩義を受けています。それを裏切るような真似は、決していたしません」
「あはは。そんな大した話じゃないけど、どうぞよろしくねぇ」
咲弥が笑顔を返すと、右側の首は「へん!」とそっぽを向き、真ん中の首は恭しく頭を垂れ、左側の首は陰気に目をそらした。
ただし、首は三つでも胴体はひとつである。そのふさふさの巨大な尻尾は、元気にぱたぱたと振られていたのだった。
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