02 異界の恵み

 咲弥は「ひゃー」と感心しながら、虚空から出現した作物の山を検分することになった。

 両手で抱えるほどのサイズをした草籠に、さまざまな作物が山積みにされている。それに、畑の収穫物ばかりでなく、ずんぐりとした壺や土瓶なども詰め込まれていた。


「すっげー。でも、これはキミたちが頑張って育てたんでしょ? それをいただいちゃうのは、なんだか申し訳ないなぁ」


「と、とんでもないのです! ぼくたちがおやまのめぐみをくちにできるのも、トシゾウさまとりゅーおーさまのおかげであるのです!」


「そ、そうなのです! それに、はたけはいっぱいいっぱいひろげたので、わたしたちのいちぞくだけではたべきれないぐらいのさくもつがみのっているのです!」


 そのように言い放つなり、亜人族の兄妹はそろってもじもじし始めた。


「それで、あの……ぼくたちも、トシゾウさまのつくるおしょくじをいつもたのしみにしていたのです」


「そ、そうなのです。トシゾウさまのしゅわんは、おみごとであるのです」


 咲弥がきょとんとしながらドラゴンのほうを振り返ると、そちらは微笑むように目を細めていた。


「以前にも申した通り、こちらの地域では塩や胡椒も希少であるのだ。トシゾウの手掛ける食事は、この者たちの心をも深く満たしていた」


「あ、そうなんだぁ? じっちゃんたら、隅に置けないなぁ」


 咲弥は何とも言えない感慨に見舞われながら、頭を引っかき回すことになった。

 そうして兄妹のほうに視線を戻すと、まだもじもじと身を揺すっている。その愛くるしさは、ドラゴンにも負けていなかった。


「そういうことなら、あたしも腕をふるっちゃおうかなぁ。ちょうど今日は、うってつけの秘密兵器を準備してるからねぇ」


 たちまち兄妹は、「わーい!」と両腕を振り上げた。

 恐れ入ったりはしゃいだり慌ただしいことであるが、何にせよ愛くるしさの極致である。咲弥の祖父も、たいそう心を和ませながらキャンプ料理をふるまっていたのだろうと思われた。


「でも、それって見たことのない食材ばっかりなんだよねぇ。あたしに使いこなせるかなぁ?」


「大事ない。これらの作物はトシゾウにとっても馴染みのある味わいであったからこそ、畑で育てられることになったのだ。サクヤであれば、トシゾウよりもさらに見事に使いこなすことができよう」


「ご期待に沿えれば幸いだねぇ。それじゃあまずは、設営をすませちゃいますかぁ」


「はいっ! ぼくたちも、おてつだいするのです!」


 どうやらこちらの兄妹は設営の手伝いの経験もあるらしく、咲弥がわずかに指示を与えるだけでてきぱき作業を進めてくれた。

 シートを広げたりハンマーでペグを打ったりする手際も、実に手馴れたものである。なおかつ、咲弥でもちょっと苦労するコンテナボックスを軽々と運べるぐらいの怪力を有していたのだった。


 そのおかげもあって、瞬く間に設営は完了する。

 テントの前面にはタープを張り、その下にチェアとテーブルと焚火台を設置した、三日前と同じスタイルだ。亜人族の兄妹は小柄であるため、雨が降ってもぎりぎりしのげるのではないかと思われた。


「よしよし。お次は、薪割りだねぇ。ちゃちゃっと片付けちゃうから、ちょっと待っててもらえるかなぁ?」


「はいっ! よろしければ、ぼくたちもおてつだいするのです!」


「ええ? 二人ともけっこう力持ちなのはわかったけど、さすがに刃物を扱わせるのはちょっと抵抗があるかなぁ」


 咲弥がそのように答えると、ドラゴンが「大事ない」と声をあげた。


「この者たちは、サクヤと同程度の齢であるのだ。火の扱いも刃物の扱いも、まったく不足はなかろうと思うぞ」


「ちょちょちょ。この子たちって、ハタチを過ぎてるのぉ? 見た目も言動も、おこちゃまそのまんまなんだけど」


「うむ。コメコ族というのは、小人族の一種であるのでな。体が小さいのも言動が幼げであるのも、種族そのものの特性となる」


「にゃるほど……ま、かわゆければ何でもいっかぁ」


 しかし祖父は、手斧で薪を割っていたはずだ。それで咲弥がブッシュクラフトナイフを使った薪割りの手法を教えると、亜人族の兄妹は危なげのない手つきで実践し始めた。

 妹のチコには予備のナイフを受け渡し、二人がかりで力強く作業が進められて――ひと束分の薪が、あっという間に片付いてしまった。


「いやぁ、大したもんだねぇ。キミたちだったら、いっぱしのキャンパーとしてやっていけそうだなぁ」


「お、おほめにあずかり、きょーしゅくのかぎりなのです!」


 そんな風に応じながら、亜人族の兄妹は嬉しそうに頬を染めている。それもまた、可愛らしい限りであった。

 ともあれ、調理の準備も万端である。咲弥は助手席で出番を待っていたダッチオーブンのケースを肩にさげて、グリルスタンドの上まで運んだ。


「こちらが本日の秘密兵器、ダッチオーブンでございます。これだったら、四人分の料理も何とかなりそうだねぇ」


「ほう。これは立派な、鍋であるな。新たに買い求めたのであろうか?」


「うん。セールで安くなってたからさぁ」


 咲弥が白い歯をこぼすと、ドラゴンは何かを察したように優しげな目つきをした。


「で、あたしもいちおう今日のプランは考えてきたんだけどさぁ。このお宝の山をどう活用させるか、まずはそこからだねぇ」


 咲弥はクーラーボックスの脇に置かれた草籠の中身を、あらためて検分した。

 とりあえず、剥き出しの作物は三種類である。ドラゴンは眩い輝きとともに大型犬ていどのサイズに縮んでから、咲弥と一緒に草籠の中身を覗き込んだ。


「ひとつずつ説明していこう。まずこちらは、『ジャック・オーの憤激』と呼ばれる作物である」


 それは直径十センチていどの、真っ赤なカボチャのごとき実であった。


「こちらは、『黄昏の花弁』」


 そちらは紫色をした、分厚い花弁の薔薇のごとき何かであった。

 サイズはキャベツぐらいもあるので、なかなかの存在感だ。


「そしてこちらが、『マンドラゴラモドキ』であるな」


 それは全長十五センチほどで、高麗人参のような姿をしていたが、どこか胴体に四肢が生えているような風情であり――その天辺には、苦悶にあえぐ人間の顔に見えなくもない皺が刻まれていた。


「うーん。実にコケティッシュだねぇ。……で、この子たちはどんな味わいなのかなぁ?」


「うむ。『ジャック・オーの憤激』は、強い辛みと酸味を有している。食感はカボチャに似ているが、トマトとトウガラシを掛け合わせたような味わいであるな」


「ほほう。トマトとトウガラシだなんて、ずいぶん相性のよさそうな組み合わせだねぇ。ほんじゃ、この綺麗なお花みたいなやつは?」


「そちらは花のごとき香りを有しているが、味わいはやや甘いていどで青臭さのほうが強い。食感は、ハクサイに似ているように思う」


「ふむふむ。では、こちらの呪われし根菜みたいな彼は?」


「そちらはまさしく、根菜であるな。表皮には強い苦みがあるが、その下には瑞々しい身が隠されている。味も食感も、ヤマイモに近かろう」


 咲弥は「にゃるほど」と腕を組んだ。


「外見はなかなかのインパクトだけど、使い勝手はよさそうだねぇ。あと、こっちの壺と土瓶は何かしらん?」


「壺の中身はデザートリザードと呼ばれる獣の肉で、土瓶は『イブの誘惑』の果実酒であるな」


「そりゃまた詩的なお名前だねぇ。でも、お肉やお酒までそろってるのかぁ」


「はいっ! ぼくたちは、デザートリザードをかるいちぞくなのです! このふくやくつも、デザートリザードのかわでできているのです!」


「はいっ! それでわたしたちは、だいじなキャメットをデザートリザードからまもっているのです!」


「キャメット?」と咲弥が疑念を呈すると、ドラゴンがすぐさま解説してくれた。


「キャメットとは、そちらの世界で言うラクダとヤギを掛け合わせたような獣であるな。この者たちの一族は砂漠でキャメットを育てながら、デザートリザードを狩っているのだ」


「はいっ! だからわたしたちは、デザートリザードのおにくをたべて、キャメットのおちちをのんでいるのです! やさいはとてもきちょうなので、トシゾウさまにはみんなかんしゃしているのです!」


 妹のほうが懸命に声を張り上げつつ、兄と一緒にもじもじとした。


「それで……おさけも、キャメットのおちちのおさけしかしらなかったのです。トシゾウさまのおかげで、こんなにおいしいおさけをのむことができるようになったのです」


「ふーん? じっちゃんが、果実酒の作り方なんて知ってたの?」


「否。果実酒の作り方を突き止めたのは、我である。トシゾウは酒をたしなまない身であるのに、わざわざ我のために酒の準備をしてくれていたので……なんとかトシゾウの負担を減らそうと思いたってのことである」


 と、ドラゴンまでもがもじもじし始めたので、咲弥は萌え死んでしまいそうだった。


「わかったわかった。わかったから、勘弁してぇ。キミたち、ほんとに親戚なんじゃないのぉ?」


「と、とんでもないのです! ぼくたちなんて、なんのとりえもないていきゅーのいちぞくなのです!」


 すると、たちまちドラゴンが威厳と風格を取り戻して「否」と言った。


「其方たちは魔力を操るすべを持たぬが、その気になれば肉体の力だけで他なる種族と渡り合うことも可能であろう。しかし其方たちは他者と争うことを避け、自ら実りの少ない砂漠地帯へと身を隠したのだ。それは、欲得にとらわれた都の者どもよりも、遥かに崇高な行いであろう」


「と、とんでもないのです! きょーしゅくのいたりなのです!」


 亜人族の兄妹は、紫陽花のように綺麗な紫色の頭をぺこぺこと下げた。

 いっぽう咲弥は、ドラゴンを含めた三者のやりとりにこっそり心を和ませる。やはり彼らは、誰もが祖父の友人に相応しい人柄を有しているようであった。


「それじゃーまあ、お酒はあとのお楽しみとして……まずは、デザートなんちゃらのお肉ってのを拝見できるかなぁ?」


「はいっ! いますぐに!」


 兄のアトルがずんぐりとした壺に手を突っ込み、大きな肉塊を引っ張り出した。

 しかしそれよりも、咲弥は肉と一緒にこぼれ落ちたものに目をひかれる。それはどう見ても、黄白色の砂であった。


「これって、何だろぉ? 塩とか胡椒とかは貴重なんだよねぇ?」


「はいっ! これは、さばくのすななのです! やいたすなにつけておくと、デザートリザードのおにくはおいしーおいしーなのです!」


「それがコメコ族の、肉の保存法であるようだ。そちらの世界では成立しない作用なのであろうと、トシゾウはそのように申していたな」


「うんうん。砂漬けのお肉ってのは、聞いた覚えがないねぇ。それ、水で洗ったほうがいいのかなぁ?」


「はいっ! きょーしゅくのいたりなのです!」


 ウォータージャグの水で黄白色の砂を洗い流すと、その下からは薄桃色の艶やかな肉が現れた。それこそ一キロぐらいはありそうな、ずっしりとした肉塊だ。


「デザートリザードの肉は、そちらの世界の鶏肉に似た味わいであるな。肉質はやや固めであるが、食べにくいほどではなかろうかと思う」


「おー、鶏肉だったらちょうどいいやぁ。それじゃあさっそく、こいつと一緒に使わせていただこうかなぁ」


 咲弥も負けじと、クーラーボックスから本日の食材を取り出した。

 プラスチック・バッグに収められた鶏の骨つきモモ肉が、二本である。本日は『ほりこし』ばかりでなく、オリーブオイルにも漬け込まれていた。


「そっちのお肉も、いちおう『ほりこし』とオリーブオイルをまぶしておこっかぁ。どんな仕上がりになるか、楽しみなところだねぇ」


 咲弥は巨大な肉塊を二つに断ち割り、新品のポリ袋に投入したのち、『ほりこし』とオリーブオイルをまんべんなく揉み込んでいった。

 その過程で、体内でパチンとスイッチの入るような感覚が生じる。咲弥のやる気スイッチが、オンにされたのだ。


(ダッチオーブンを買った当日に、今度は未知なる食材だもんなぁ。そりゃあテンションも上がろうってもんさ)


 自宅であれば面倒だとしか思えない出来事が、キャンプの場では正反対の作用を生む。咲弥にとっては十年来の、馴染み深い感覚だ。咲弥は体内に生まれた熱情のおもむくままに、肉塊の詰まったポリ袋をわしわしと揉みしだいた。


「よし。お次は――」


 咲弥は家で洗っておいたダッチオーブンにもオリーブオイルを塗り、アルミホイルを敷きつめた。大事なダッチオーブンを焦がさないための処置である。


「本日も、初めて目にする料理であるようだ。それは、如何なる料理であろうか?」


「これはねぇ、ローストチキンっていう料理だよぉ。このダッチオーブンで、肉や野菜を蒸し焼きにするのさぁ」


 咲弥は手早くタマネギとニンニクの皮を剥き、ジャガイモの芽を取って、ニンジンの頭を落とした。

 まずはそれらの野菜をアルミホイルで覆ったダッチオーブンの底に並べていくわけであるが――倍増した肉に対して、野菜が物足りなかった。


「うーん。ここで試しに、黄昏のなんちゃらを使ってみよっかぁ。ぐずぐずに溶けちゃっても、いいソースになりそうだしねぇ」


 紫色の薔薇のごとき葉菜、『黄昏の花弁』を一枚ずつ剥いてタマネギやジャガイモの隙間に押し込んでいく。

 そしてその上に鶏とデザートリザードの肉を並べると、直径およそ三十センチ、高さ十三センチの広々としたスペースがみっしり埋め尽くされてしまった。


(さすがに十二インチはやりすぎかと思ってたけど、結果的には大正解だったなぁ)


 薪と炭を燃やした焚火台には、すでに焼き網をセットしている。咲弥がその上に重いダッチオーブンをのせるさまを、異界の住人たちはきらきらと輝く目で見守っていた。


「よしよし。まずは、ここまでね。こいつはちょいと時間がかかるんで、この間に別の準備を進めようと思うよぉ」


「はいっ! なにかおてつだいできることがあったら、なんでももうしつけてほしいのです!」


「うーん。そしたら、マンドラくんの皮を剥いておいてもらえる? このスライサー、使い方はわかるかなぁ?」


「はいっ! トシゾウさまから、にたようなどうぐをおかりしたことがあるのです!」


「あと、わたしたちはトシゾウさまからこのどうぐをいただいているのです!」


 と、妹のチコが草籠から小ぶりのおろし金を取り出した。


「あらあら、それは準備のいいことで。キミたちも、マンドラくんをすりおろして食べてたのかなぁ?」


「はいっ! マンドラゴラモドキはにてもやいてもおいしーですけれど、これをつかうととろとろで、なまのままでもおいしーおいしーなのです!」


「はいっ! さばくのしゅーらくではまきもきちょーなので、なまでもおいしくたべられるのはしあわせいっぱいいっぱいなのです!」


「うんうん。また千切りサラダにでも仕上げようかと思ったけど、おろし金があるんだったら可能性が広がるなぁ。マンドラくんは、全部すりおろしておいてもらえる?」


「えっ! にたりやいたりはしないのです?」


 チコが不安そうな顔をしたので、咲弥はにんまり笑ってみせた。


「そのリアクションからすると、この食べ方は初めてみたいだねぇ。気に入ってもらえるか、楽しみだなぁ」


「は、はい……」と、チコはアトルと一緒に後ずさってしまう。

 咲弥は小首を傾げつつ、ドラゴンのほうを振り返った。


「あたしの笑顔、そんなに凶悪だったかなぁ?」


「否。きわめて魅力的な笑顔であったように思う」


「うーむ。それはそれで、疑わしいなぁ」


 咲弥が苦笑を浮かべると、ドラゴンは楽しそうに目を細めた。

 ともあれ、調理は始まったばかりである。咲弥はさらなる料理のために、下準備を進めておくことにした。

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