03 マンドラゴラモドキのふわふわ焼き

 亜人族の兄妹にマンドラゴラモドキの皮むきとすりおろしをお願いした咲弥は、他なる献立のためにタマネギとニンニクを刻むことにした。


 その間、ドラゴンは咲弥の要請でダッチオーブンを監視している。

 やがて咲弥がタマネギとニンニクの始末を終えたところで、ドラゴンが声をあげた。


「サクヤよ。蒸気が噴き出してきたようだ」


「おー、ありがとぉ。それじゃあ、次のステップだねぇ」


 咲弥は除菌シートで手を拭いてからグローブを装着し、火ばさみを取り上げた。

 そして、薪と一緒に燃えていた炭を捕獲して、ダッチオーブンの蓋にのせていく。


「ほう……それもまた、初めて目にする手法である」


「うんうん。こうやって、上下からまんべんなく熱を通すんだよぉ。ダッチオーブンの本領発揮だねぇ」


 焚火台の空いたスペースに新たな薪を投入して火力を保ってから、咲弥はテーブルに舞い戻った。


「よし。お次は……こっちの真っ赤なカボチャくんは、パスタのソースとして使ってみようかなぁ」


 そんな風に言ってから、咲弥は「うーん」と思い悩んだ。


「でも、パスタはペペロンチーノに仕上げるつもりだったから、バーナーも一台しか持ってきてないんだよなぁ。こんなことなら、もう一台も積んでおくんだったなぁ」


「うむ? やはり、畑の作物のことを事前に告げておくべきであっただろうか? であれば、謝罪の言葉を捧げよう」


「あー、いいのいいの。火元が足りないなら、順番に仕上げていくだけだからさぁ。キャンプは、のんびり楽しまないとねぇ」


 とはいえ、咲弥が使用しているメスティンはレギュラーサイズであるため、パスタは二名分ずつ仕上げていくしかない。

 まずその第一陣をバーナーの火にかけながら、咲弥は「でもさぁ」と付け加えた。


「今までどうして、あのかわいこちゃんたちのことを黙ってたの? ドラゴンくんなりの、サプライズ?」


「否。決して、そういうわけではないのだが……」


 ドラゴンはマンドラゴラモドキと格闘している両名のほうをちらりと見やってから、咲弥の耳もとに口を近づけてきた。


「実は……サクヤと過ごす時間が楽しいあまりに、すっかり失念していたのだ。手回しの悪さに、謝罪の言葉を捧げたく思う」


「んにゃー。そんなダンディな声で、なに言ってんのさぁ」


 照れた咲弥は、ドラゴンの首の側面を肘でぐりぐりと圧迫した。


「あり? でも、ナイショ話って口を近づける必要があるの? あたしはてっきり、ドラゴンくんの言葉はテレパシーか何かだと思ってたんだけど」


「うむ。非人間型の魔族というものは、おおよそ念話で言葉を交わしている。念話に費やす魔力を操作すれば、遠方からでも言葉を届けることは可能であるが……それよりも身を近づけるほうが面倒も少ないし、念話を扱わぬ種族にとっても自然に感じられるようであるな」


「ふむふむ。よくわからんけど、わかったことにしておこう。ついでに聞いておくけど、アトルくんたちの言葉を自動翻訳してくれてるのはドラゴンくんなのかな?」


「うむ。サクヤが携えている鱗に、言語解析の術式を施しているのだ。それさえ携えていれば、如何なる相手とも意思の疎通をはかることができよう。……まあ、それと同時に魔力を持つ存在は、鱗の所有者に近づけぬわけであるがな」


「ふーん。ま、あたしはドラゴンくんがいてくれれば十分だから、問題ナッシングだねぇ」


 咲弥がそのように答えると、今度はドラゴンのほうがどこかくすぐったそうに目を細める。

 そのタイミングで、アトルが「あのっ!」と声を張り上げた。


「さぎょーかんりょーしたのです! つぎのごしじをおねがいしますのです!」


「おー、お疲れさまぁ。こっちももうすぐ仕上がるから、ちょっと待っててねぇ」


 バーナーの火にかけていた二名分のパスタは、いい具合に茹であがっている。

 ただ今回は余ったお湯をパスタソースで使用するため、水分を多めに設定していた。


 茹であがったパスタはラージサイズのコッヘルに移して、オリーブオイルを添加する。そうしてコッヘルの蓋に移した茹で汁ともども、グリルスタンドの上に並べたが――咲弥はそこでまた、「うーん」とうなり声をあげた。


「調理器具はぎりぎり間に合ってるけど、食器のほうで苦労しそうだなぁ。まあ、アルミホイルをうまく使うしかないかぁ」


「食器であるか? あの者たちは、それぞれ食器を準備しているはずだが」


 ドラゴンの視線を受けたチコが、大慌てで草籠の内部をまさぐった。

 そこから取り出されたのは、木製の匙と深皿と平皿とコップのセットである。


「それらはすべて、トシゾウが山の樹木から作りあげたものであるのだ」


「おー、さすがじっちゃんは器用だなぁ」


 それらの食器にはニスか何かが塗られているようで、手触りも実になめらかである。咲弥は祖父の優しい心づかいに、しんみりと感じ入ってしまった。


「あっ! こ、こちらをおだしするのをわすれていたのです!」


 と、チコはさらに二つの包みを引っ張り出した。

 象牙色をした手の平サイズの袋で、口の部分は蔓草か何かで縛られている。その片方には液体が詰められているようで、チコの手の中でたぷたぷと揺れていた。


「ほう。キャメットの乳脂とチーズであるな。それは、我も見落としていた」


「へえ、チーズはありがたいねぇ。にゅーしってのは、なんだろう?」


「乳脂とは、あまりそちらの世界では一般的な言葉ではないようだな。端的に言えば乳から精製した脂であり、もっとも近いのはバターであるようだが……バターというのは牛の乳を原材料にしたものに限られるので、言語解析の術式に適用されないようであるのだ」


「は、はいっ! ちーずというおなまえも、わたしたちはりゅーおーさまからおしえていただいたのです! わたしたちのしゅうらくでは、かんらくとよんでいたのです!」


「かんらく……歓楽? 陥落?」


「乾酪は、乾いた酪という意味である。酪という言葉も、そちらの世界ではあまり一般的ではないようだ」


「にゃるほど。お勉強になりますなぁ。まあ、明日には忘却の彼方だろうけど」


 そのように応じつつ、咲弥はにっとチコに笑いかけた。


「何にせよ、チーズもバターも大歓迎だよぉ。ありがとね、チコちゃん」


「と、とんでもないのです! サクヤさまのおやくにたてたら、ぼーがいのよろこびであるのです!」


「いやいや、あたしは様よばわりされる立場じゃないよぉ。どうぞ気軽に咲弥とお呼びくださいまし」


「と、とんでもないのです! りゅーおーさまのごどーはいを、よびすてなどにはできないのです!」


 チコはそのように申し述べていたが、そもそも彼女は異界の言葉で語っているはずであるのだ。

 であれば、自動翻訳の魔法が掛けられる前は「様」がどういう言葉で語られているのか――あまり考え込むと頭が痛くなりそうであったので、咲弥は早々に放棄した。


「ま、呼びやすいように呼んでもらうのが一番かぁ。とりあえず、そいつのお味を確かめさせてもらえる?」


「ど、どうぞ! こぼれやすいので、おきをつけください!」


 チコから受け取った二つの袋は、妙にしっとりとした手触りであった。手入れの行き届いたレザー製品のような質感である。


「そちらは、デザートリザードの胃袋で作られた容器であるな。そちらの世界の住人にも害がないことは解析済みであるので、心配は無用である」


「かゆいところに手が届くねぇ。……おお、こいつは絶品だぁ」


 キャメットなる獣の乳脂はほとんど液状であったがバターに負けないぐらい香り高く、半固形のチーズはねっとりとしたカマンベールチーズのような味わいであった。


「いいねいいねぇ。どっちも存分に活用させていただくよぉ。それじゃあまずは、マンドラくんから仕上げちゃおっかぁ」


 スモールサイズのコッヘルは、マンドラゴラモドキのすりおろしで七分目まで満たされている。咲弥は目玉焼きを作ろうと思って持参した卵を二つ投入し、さらに醤油と和風だしの素を加えて攪拌した。攪拌の道具は、チタンの箸だ。


「うーん。ヤマイモよりは、もったりした感じだねぇ。どんな仕上がりになるか、楽しみだなぁ」


 鋳鉄のミニフライパンたるスキレットをバーナーの火にかけて、そこにキャメットの乳脂を落とすと、たちまち芳しい香りが広がる。それでドラゴンたちが瞳を輝かせるのを横目で確認しつつ、咲弥はマンドラゴラモドキのすりおろしを半分ていど流し込んだ。


 マンドラゴラモドキの生地は、じゅわじゅわと音をたてて焼けていく。

 それが怨嗟のうめき声のように聞こえたのは、皮を剥かれる前の姿を思い出したためであろうか。しかし、嗅覚から得られる心地好さのほうがまさっていた。


「それは……かつてトシゾウからふるまわれた、お好み焼きという料理に似ているようであるな」


「あ、お好み焼きは食べたことがあったんだぁ? これは、ヤマイモのふわふわ焼きの応用だよぉ」


「ふわふわやき! おなまえからして、おいしそーなのです!」


 そんな声を張り上げてから、アトルは慌ててかしこまった。


「つ、ついついみとれてしまったのです! ぼくたちにも、ごしじをおねがいするのです!」


「そうだねぇ。それじゃあ、その真っ赤な彼を適当に切り分けておいてもらえるかなぁ? ナイフは、またこれを使ってねぇ」


 咲弥が腰にさげていたブッシュクラフトナイフを鞘ごと差し出すと、アトルは「ははーっ!」と頭を下げながら両手で受け取った。

 そのかたわらで、チコは心配そうにもじもじとしている。


「わ、わたしもなにかおやくにたちたいのです。もうおしごとはないのです?」


「あー、それじゃあタマネギも切っておいてもらおうかなぁ。切り方は、わかる?」


「はいっ! トシゾウさまから、わぎりとうすぎりとくしぎりとみじんぎりをおしえていただいたのです! ……ただ、わたしたちのかたなでは、ちょっとむずかしいのです」


「んー? チコちゃんたちも、ナイフを持ってるの?」


「はいっ! コメコぞくはデザートリザードのおにくをきるために、みんなかたなをもっているのです!」


 チコはポンチョの内側から、砂色の鞘を取り出した。

 そこから引き抜かれた十センチていどの刀身は艶々とした黒色で、腹の部分はこんもりと盛り上がった上でぎざぎざに波打っている。柄の部分は何かの骨で作られているらしく、くすんだ象牙色をしていた。


「そちらは、黒曜石の刀であるな。切れ味は悪くないが、細かな作業には向いていないようだ」


「ほほー。立派なもんだねぇ。でも確かに、厚みのあるナイフは調理に向いてないからなぁ。アトルくん、こっちの予備のナイフと交換してもらえる?」


 作業を開始しようとしていたアトルはわたわたと慌てながら、「はいっ!」と応じる。そのさまを横目に、ドラゴンが小首を傾げた。


「それらのナイフに、何か違いがあるのであろうか? 外観には大きな差もないように見受けられるが」


「うん。メインのナイフは刃の厚さが二・五ミリで、予備のナイフは四ミリなんだよぉ。一・五ミリの違いでも、やっぱ薄いほうが調理に向いてるんだよねぇ」


「ふむ。アトルのほうは、調理に不向きなナイフで問題ないということであろうか?」


「うん。刃が厚いと切ってる最中に腹の部分が断面に圧力をかけて、割ったり潰したりしちゃうわけだけどさぁ。真っ赤な彼はどろどろに溶かすつもりだから、とにかく細かくしてもらえれば十分なのさぁ」


「なるほど。そういった配慮が、あれだけの料理を生み出すわけであるな」


 咲弥はターナーでマンドラゴラモドキの生地をひっくり返しつつ、「あはは」と笑った。


「そんな大した話じゃないさぁ。じゃ、チコちゃん。タマネギは片方が繊維にそった薄切りで、もう片方はみじん切りでお願いねぇ」


「せんいにそったうすぎりと、みじんぎり! りょーかいなのです!」


「あ、カッティングボードも一枚しかないんだっけ。じゃ、ここにアルミホイルを敷いておくねぇ」


 咲弥が準備を整えると、チコは嬉々として作業に取りかかった。

 兄妹そろって地面のシートにぺたんと座っている姿は、とても可愛らしく――そして、いかにもこれまで同じ作業に励んだ経験のある所作であった。


(じっちゃんも、こうやって手伝いをお願いしてたわけかぁ)


 咲弥がそんな想念にひたっていると、ドラゴンが申し訳なさそうな眼差しを向けてきた。


「我は何の力にもなれず、不甲斐ないばかりである。力仕事が生じた際には、遠慮なく声をかけてもらいたく思う」


「うんうん。そのときはよろしくねぇ。……さてさて、そろそろ焼きあがったかなぁ?」


 咲弥が生地の裏面を確認してみると、ほどよく焼き色がついていた。


「よしよし、こんなもんでしょう」


 咲弥は焼きあがったマンドラゴラモドキをアルミホイルの上に移して、ポン酢とカツオブシを振りかけた。


「はい、完成だよぉ。こいつを切り分けるから、いったんナイフを返してもらえるかなぁ?」


「はいっ!」と振り返ったチコが、皿に盛りつけられたふわふわ焼きの姿に目を輝かせた。


「と、とってもおいしそーなのです! マンドラゴラモドキをこんなふうにたべるのは、はじめてなのです!」


「うんうん。よかったら、今後の参考にしてみてねぇ」


 咲弥はチコから返却されたナイフをキッチンペーパーで軽くぬぐってから、マンドラゴラモドキのふわふわ焼きを四つに切り分ける。そうしてそのひと切れを口にしてみると――噛みきれなかった部分が、ピザのチーズのようにねっとりと糸を引いた。


「おおー、なんじゃこりゃ」


 咲弥がふわふわ焼きをつまんだ手を三十センチばかり口から遠ざけると、ようやくのびきった糸が切れた。

 それをこぼさないようにすすってから、いざ咀嚼してみると――得も言われぬ食感が口内に広がった。


 糸を引ぐらいの粘度であるが、焼き上げる前にしっかり攪拌しているので、生地にはたっぷり空気が混入している。ねっとりとした弾力に、ふわふわとした軽やかな食感も備わっているのだ。味そのものはヤマイモに似ているようであったが、その食感だけで通常のふわふわ焼きとはまったく異なる食べ心地であった。


「こいつは愉快な仕上がりだねぇ。みんなは、如何かなぁ?」


「おいしーのです!」と真っ先に声を張り上げたのは、アトルであった。


「とろとろのマンドラゴラモドキが、ふわふわなのです! うえにかかってるおしるもしょっぱくて、おいしーおいしーなのです!」


「それに、マンドラゴラモドキそのものが、ふつーよりおいしーおいしーなのです!」


「うむ。出汁や卵なくして、この味を作りあげることはかなわぬのであろうな。この者たちが真似るのは、いささかならず難しいところであろう」


「そっかぁ。じゃ、この場でしっかり楽しんでくださいなぁ」


「はいなのです!」と応じる兄妹は、これ以上もないぐらいの笑顔である。

 そしてドラゴンも満足そうに目を細めており、そんな三者の姿が咲弥の心を深く満たしてくれた。


(これじゃあじっちゃんも、イチコロだっただろうなぁ)


 祖父がこちらの三名と食事を囲んでいる姿を想像すると、胸の内側が熱くなってしまう。

 それが湿っぽい感情に移行しない内に、咲弥は二枚目のふわふわ焼きを仕上げることにした。

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