02 記憶のよすが

 大型犬サイズのドラゴンに見守られながら、咲弥は調理の準備を始めた。

 とはいえ、必要な物資はすべて手もとに集めていたので、腰を上げる必要すらない。基本的に、キャンプの場では座わったまま調理を進めるのが咲弥の流儀であった。


 座面高四十センチのローチェアに対して、二台のローテーブルも高さは三十センチ弱となる。かたやウッド、かたやスチールで、後者は本来焚火の火にかけるグリルスタンドであったが、そちらは専用の焼き網たるグリルグレートを所有しているので、咲弥はテーブルとしてのみ活用していた。スチール製であれば火のそばでも安心して使えるし、熱した器具をそのまま置くこともできるので、なかなかに便利であるのだ。


 あとは、巨大なコンテナボックスとクーラーボックスに必要な物資はすべて詰め込まれている。

 グリルスタンドにはすでにコンパクトバーナーをセットしていたので、焚火台に焼き網を設置すれば、もう事前準備は完了であった。


「でもさ、今日は遅いスタートだったから、手軽にバーベキューで済ませる予定だったんだよねぇ。それで問題なかったかなぁ?」


「うむ。トシゾウも、バーベキューは数多く手がけていた。この地では塩も香辛料も希少であるため、十分な馳走であるのだ」


「あー、じっちゃんはキャンプ料理もシンプル志向だったもんねぇ。じゃ、今日のメニューでもそれなりにご満足いただけるかなぁ」


 咲弥はコンテナボックスから、コッヘルを取り出した。

 コッヘルとは、直径十五センチほどの丸い容器に持ち手のついた、キャンプにおいてもっとも基本的な調理器具である。

 深さ八センチていどのポットは小鍋として、深さ四センチ弱のフタはミニフライパンや皿として活用できる。さらに蓋を開いたならば、ひと回り小さいスモールサイズのひとそろいが収納されていた。


 咲弥はラージサイズのポットにウォータージャグから水を注ぎ、バーナーの火にかける。

 丸いガス缶の上にゴトクを設置する、きわめてコンパクトなガスバーナーコンロである。この丸いガス缶はOD缶と呼ばれる寒冷に強いタイプの燃料であるため、火力の安定も申し分なかった。


「寒いから、スープぐらいは準備するねぇ。そのお口だと食べにくそうだけど、大丈夫?」


「大事ない」と、ドラゴンは細長い尻尾の先端を咲弥の鼻先に突きつけてきた。

 そこに巻き取られていたのは、スプーンの先端が四つに割れていてフォークとしても活用できる、とても便利な食器カトラリー――いわゆる、スポークであった。


「あれー? それって、じっちゃんのスポーク?」


「うむ。トシゾウからの、贈り物となる。我にこちらを授けたのち、また同じものを買い求めたのだそうだ」


「そっかぁ」と頬をゆるめつつ、咲弥はコンテナボックスから同じ品を引っ張り出した。今度は、ドラゴンが目を丸くする番である。


「其方も、同じ品を所有していたのであろうか?」


「うん。こいつはチタン製でちょっぴり値が張るんだけど、じっちゃんに借りたらすごく使いやすかったからさぁ。けっきょく同じのを買っちゃった」


「左様であるか」と、ドラゴンは丸くしていた目を細める。

 咲弥はいよいよ愉快な気分で、食事の準備を進めることになった。


「じゃ、ちゃちゃっと準備するから、ちょっとだけ待っててねぇ」


 咲弥はテーブルにカッティングボードとタマネギの準備をして、腰のベルトにさげていたブッシュクラフトナイフを鞘から抜いた。

 そのステンレス製の刃でタマネギの頭と尻を落とし、皮を剥いて、薄切りにする。数ヶ月ぶりのキャンプに備えてナイフの刃を研ぎなおしておいたので、切れ味も抜群だ。あとはニンジンをスライサーで薄く削ぎ、それらとともに顆粒のコンソメをコッヘルの湯に沈めれば、スープの準備は完了であった。


「よしよし。お次は……こいつらか」


 咲弥は数ある食材の中から、ジャガイモとナスとニンニクを引っ張り出した。

 ジャガイモは芽を取り、ナスは縦に真っ二つ、ニンニクは頭と尻を落として皮を剥き、余りのニンジンは小さめの乱切りだ。

 それから一考して、ジャガイモを厚めにスライスした。丸ごと焼きあげるのも捨てがたいが、それではあまりに時間がかかってしまうのだ。


 しかるのちに、テーブルの上にアルミホイルを広げ、濡らしたキッチンペーパーを敷いたのち、スライスしたジャガイモをのせていく。バターの持ち合わせはなかったのでオリーブオイルをひと回しして、キッチンペーパーごとアルミホイルを固く巻けば、完了だ。ナスとニンニクとニンジンは、そのままアルミホイルに包み込んだ。


「……それは、如何なる準備であろうか?」


 そわそわと身を揺すっていたドラゴンが、興味深げに問うてくる。

 咲弥は火ばさみを手に取りながら、にっと歯をこぼした。


「この焼き網ひとつじゃ、スペースが足りないっしょ? だからこうして、同時進行で進めるのさぁ」


 咲弥は火ばさみでアルミホイルの包みをつかみ、焚火台で燃える薪と炭のかたわらに添えていった。


「よーし。いよいよ本丸だねぇ」


 咲弥は、残る食材を引っ張り出した。

 新たなタマネギ、粗挽きウインナー、ピーマン、シイタケ、キャベツというラインナップである。

 ウインナーとシイタケはそのまま鉄網の上に並べていき、それから二つに割って種を除去したピーマンと輪切りにしたタマネギを追加した。キャベツはスペースを取るので、あとのお楽しみだ。


「……塩や胡椒は、まだ使用しないのであろうか?」


 ドラゴンが真剣な声音で問うてきたので、咲弥はつい「ぬっふっふ」と笑ってしまった。


「準備はあるから、心配めされるな。……ところで、そっちの話もぽつぽつ聞かせてもらえないかなぁ? よくよく考えたら、まだあたしはキミの名前も知らないんだよねぇ」


「名前か……名前は、百年ほど前に捨ててしまったのだ」


「ええ? どうしてさぁ? 名前がないと、不便でしょ?」


「その時代の大きな戦いで、我はすべての同胞を失った。この世に火竜族は我ひとりとなったため、個体を識別する名は不要となったのだ」


 そのように語るドラゴンは、とても穏やかな眼差しをしていた。

 咲弥は「そっか」と頭をかく。


「じゃ、そっちのみんなは、キミをなんて呼んでたのかな?」


「我は、竜王と呼ばれていた。その戦いに勝ち抜いた我は、こちらの世界の玉座に座ることになったのでな」


「……わお」


「しかし今は、玉座を捨てて出奔した身だ。我のことは、其方の好きなように呼んでもらいたい」


「ふーん」と、咲弥は思案を巡らせた。


「じゃ、ドラゴンくんでいいや。竜王くんは、なんか堅苦しいからさ」


「…………」


「おやおや? ご不満でありましょうか?」


「いや……トシゾウもそのように我を呼んでいたので、いささか驚かされただけだ」


 咲弥は、ドラゴンと一緒に目を細めることになった。


「安直なのは、血筋かねぇ。……あ、あたしも自己紹介してなかったけど、名前はじっちゃんから聞いてるのかな?」


「無論である。我もトシゾウと同じように、サクヤと呼ぶことを許されようか?」


 咲弥はますます心が和むのを感じながら、「うん」とうなずいた。


「ほんで? ドラゴンくんは、なんで王様をやめちゃったのかな?」


「それは、戦乱の絶えない世のありように嫌気がさしたためとなる。百年の昔に我が王となり、すべての種族が平等の立場となったはずであるのに、魔族も人間族も亜人族も決して争いをやめようとしなかった。それを制圧するには、我も武力を行使する他なく……我は、自分が玉座についている意義を見失ってしまったのだ」


 そう言って、ドラゴンはいくぶん憂いげに目を伏せた。

 咲弥はトングで、焼き網の食材をひっくり返していく。


「そうして我は、別なる世界に旅立とうと決意した。そのために、新たな魔法の術式を考案し……こうして、異界への門を開くことがかなったのだ」


「ふむふむ。で、この山は二つの世界が重なってるって話だったっけ?」


「うむ。異界への門を開くには、たがいの世界の一部を同期させるしかすべがなかった。言わば、この山そのものが門であるのだ。現在この山は、二つの世界の要素が融合している。その環境を安定させるのに、半年ばかりの時間がかかってしまったが……今では過不足なく機能しているはずだ」


「うーん。聞けば聞くほど、頭がこんがらがりそう……だけどまあ、ドラゴンくんたちの姿は、ドラゴンくんが許可した人間にしか見えないって話だったよね?」


「うむ。こちらの住人の姿ばかりでなく、変容し果てた動植物の姿も正しく感知することはできん。感覚の鋭い人間であれば、多少の違和感を覚えることになろうが……何せそちらでは、魔法の文明が発展していないのでな。魔力を扱えないのであれば、我の結界を見破るすべもなかろう」


「うん。魔法だの魔物だのってのは、ファンタジーの世界だねぇ。ドラゴンくんは、まさしくファンタジー世界の住人ってことかぁ」


「うむ。しかし、ほんのわずかな差異で分岐した並行世界に過ぎないのであろうな。そちらでは科学の文明、こちらでは魔法の文明が発展したが、ほんの数千年前まではさして変わらぬ歴史を歩んでいたのだろうと推察される」


「うーん、そっかぁ。……まあとにかく、ドラゴンくんも色々と大変だったんだねぇ」


 咲弥がそんな言葉で締めくくろうとすると、ドラゴンはいささかならず驚いた様子で身じろいだ。


「我はそちらの世界の住人にとって常識外の話ばかりを口にしているはずであるが……其方はまったく動じる気配も見せないのだな」


「あー、リアクションが薄くってごめんねぇ。自分で聞いておいて何だけど、あたしって細かいことは気にしないタイプだからさぁ」


「それでも、限度を超えているように思うが……しかし今にして思えば、それはトシゾウも同様であったな」


「あはは。じっちゃんだったら『そうか』のひと言でおしまいにしちゃいそうだねぇ」


 祖父の面影を追いながら、咲弥は焦げつく寸前になっていたウインナーを焼き網の端に寄せた。


「それじゃあお次は、じっちゃんとの馴れ初めなんかを聞かせてもらいたいところだけど……その前に、食べ頃になっちゃったねぇ」


 咲弥はコンテナボックスに手を突っ込み、とどめの品を取り出した。


「じゃじゃーん。こちらが本日のメインディッシュを彩る最終兵器、アウトドアスパイスの『ほりこし』でございますぅ」


「……それは、我の知識にない存在であるようだ」


「うんうん。じっちゃんって、あんまりニンニクが好きじゃなかったみたいでさぁ。こいつに対しても、反応が鈍かったんだよねぇ」


 咲弥はにまにま笑いながら、『ほりこし』の小瓶をマラカスのように振ってみせた。


「キャンプってのは、いかに装備を減らせるかが重要だったりするからさぁ。それでこういうアウトドアスパイスってもんが流行ったみたいだねぇ。色んなスパイスに塩やら旨み成分やらも配合されてるから、これひとつで料理の味が格段に跳ね上がるんだよぉ」


「ふむ……それは期待をそそられる文言であるな」


 うずうずと身を揺するドラゴンの所作に微笑みを誘発されつつ、咲弥は『ほりこし』の蓋を親指で跳ね上げた。


「ドラゴンくんのお好みに合わなかったら、次からは塩とペッパーで仕上げるからさぁ。まずは、こちらをご賞味あれ」


 咲弥がシイタケを除く食材に『ほりこし』のパウダーを掛けていくと、たちまちスパイシーな香りがたちこめて、ドラゴンの瞳を期待に輝かせた。

 咲弥は鼻歌まじりにトングを操り、コッヘルの蓋に食材を取り分けていった。


「はい、どうぞ。テーブルに置いておけばいいかなぁ?」


「うむ。サクヤの親切と温情に、心よりの感謝を捧げる」


 そんな大仰な言葉とともに、ドラゴンはさっそく尻尾の先をのばした。

 そこに巻き取られたスポークの先端が、まずは粗挽きウインナーにぶすりと突き立てられる。

 破れた皮から油や肉汁がしたたるのを待って、ドラゴンはウインナーを口に運んだ。ぞろりと牙の生えそろった口が開かれて、大きなウインナーを丸ごと収納し――その末に、ドラゴンは大きく目を見開いた。


「これは……きわめて、美味であるな……」


「あ、お気に召したかなぁ?」


「うむ。このウインナーなる食材はこれまでに何度となく馳走になっていたが、これほど美味に感じたのは初めてのこととなる。いや、決してこれまでの出来栄えを不満に思っていたわけではなく、もともと美味であったウインナーがさらに驚くほどの味わいに昇華されたのだ」


「あはは。めっちゃしゃべるじゃん。よっぽどお腹が空いてたんだねぇ」


「否。たとえ空腹でなかろうとも、この味わいの素晴らしさに変わりはあるまい」


 ドラゴンは入念に咀嚼をして、次なる食材に取りかかった。

 そうして二分割されたピーマンを食したならば、今度はうっとりと目を細める。


「こちらも、美味である。この刺激的な味わいは肉にもっとも調和するのではないかと思ったが、それは浅はかな考えであったようだ。ただ焼いただけの野菜が、これほど美味に感じられるとは……それこそ、魔法にかけられたような心地である」


「うんうん。お気に召して何よりだったよぉ」


 咲弥は追加の食材を焼き網に並べてから、自分もタマネギの輪切りをかじり取った。

 ただ焼いただけのタマネギであるので甘みよりも辛みが際立っているが、『ほりこし』の力があればこちらも絶品である。ガーリックやペッパーの風味は言うに及ばず、トウガラシ系の辛みもきいており、さらにバジルやオレガノやコリアンダーなど各種のハーブの香りが混然一体となって舌と鼻を楽しませてくれるのだ。塩気はあまり強くないが、チキン由来の旨みが豊かであり、それがタマネギ本来の味を華々しく彩っていた。


「あー……『ほりこし』の味が胃袋にしみるなぁ」


 咲弥が思わず満足の吐息をこぼすと、ドラゴンは「ふむ?」と小首を傾げた。


「サクヤはずいぶん感じ入っているようであるな。サクヤにとっては、これも食べ慣れた味であろう?」


「うん。でもやっぱ、半年ぶりだから格別だよぉ」


「半年ぶり……つまり、山の外ではその『ほりこし』とやらを使用していないということであろうか?」


「うん。こいつを食べると、どうしたってキャンプに行きたくなっちゃうからさぁ。でも、我慢に我慢を重ねた甲斐があったよぉ」


 まったく大仰な話でなく、咲弥の身にはようやくキャンプに来られたのだという喜びの思いがあふれかえっていた。

 咲弥の中でぼんやりと霞みかかっていたキャンプの楽しい記憶というものが、『ほりこし』の鮮烈な味わいによってかつての彩りを取り戻したような心地であったのだ。


 咲弥が初めて『ほりこし』を口にしたのは、五年ほど前のことになる。

 というよりも、『ほりこし』が世間に出回り始めたのがその頃であったのだ。

 まだ高校生であった咲弥は原付バイクで移動していたため荷物を減らすことに躍起になっており、この『ほりこし』の噂を聞き及ぶなりすぐさま入手することになったのだった。


(初めてこいつを使ったのも、バーベキューだったっけ。アレは、感動だったなぁ)


 秩父の山奥にまで足をのばした咲弥は、今日のように暗くなってからバーベキューの準備に勤しんだ。そうして『ほりこし』を掛けたタマネギをかじり取った際には、ひとりで「なんじゃこら」と驚きの声をあげてしまったものであった。


 それ以降、咲弥にとって『ほりこし』はキャンプの必需品となった。

 軽ワゴン車を購入してからはさまざまな調味料を運び込むようになったものの、決して『ほりこし』を切らすことはなかった。

 そうして五年前から、咲弥のキャンプの記憶はずっと『ほりこし』によって彩られていたのだった。


「……そのように幸せそうな表情を見せられると、我の心も満たされてならんな」


 ドラゴンは、やたらと優しげな声音でそのように言った。

 照れ臭くなった咲弥は「にゃはは」とおかしな笑い声をあげる。


「そんな、まじまじと観察しないでよぉ。……おっと、シイタケが焦げちゃうね」


 咲弥はじゅわじゅわと水分の浮いてきたシイタケの傘の裏に塩を振り、醤油を垂らした。

 それを口にしたドラゴンは、「ああ」と満足げに吐息をつく。


「これは、トシゾウが供してくれたものと同じ味わいだ。とても懐かしく思う」


「そっかそっか。確かにあたしもシイタケを美味しいと思ったのは、じっちゃんとのキャンプが初めてだったなぁ」


 咲弥が笑うと、ドラゴンもまた楽しそうに目を細めた。

 咲弥がこのドラゴンと出会ってから、まだ三十分ていどしか経過していない。しかし咲弥はこの瞬間、彼と同じ楽しさを共有できているのだと信ずることができた。

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