03 共鳴
「それじゃあお次は、ホイル焼きだねぇ」
空いた焼き網に輪切りのキャベツを並べてから、咲弥は焚火台で出番を待っていたホイル焼きを火ばさみで取り出していく。テーブル代わりにしているスチール製のグリルスタンドに包みを並べて、トングとチタン製の箸でアルミホイルを広げていくと、ジャガイモもナスもニンニクもニンジンも問題なく焼きあがっていた。
オリーブオイルの香るジャガイモにはミルで挽いたブラックペッパーと塩を掛け、ナスには醤油を垂らし、ニンジンのみ『ほりこし』を振りかける。『ほりこし』はきわめて優秀な調味料であるが、そればかりを使っていたらみんな同じ味になってしまうのだ。さまざまな調味料の味わいを楽しんでこそ、『ほりこし』のありがたさはいっそう痛感できるはずであった。
「はい、出来上がりぃ。火傷しないように気をつけてねぇ」
「大事ない。火竜族たる我は、何より熱に強いのだ」
ドラゴンはさっそくスポークをのばして、まずはジャガイモに突き立てた。ほくほくのジャガイモを崩さない、絶妙の力加減である。そうしてオリーブオイルのしたたるジャガイモのスライスを食したドラゴンは、こらえかねたように背中を揺すった。
「こちらも、素晴らしき味わいである……塩と胡椒と油が舌の上で絡み合い、妙なる調べを奏でているかのようであるな」
「あはは。詩人だねぇ。ではでは、ニンニクのホイル焼きはいかがでしょう? こいつこそが、『ほりこし』の魅力の決め手だと思うんだよねぇ」
「うむ……これはまさしく、さきほど味わわされた調味料の中核を為す香りであるな。そしてこのジャガイモと似て異なる食感も、きわめて好ましく思う」
何を口にしても、ドラゴンはご満悦の様子であった。
まあ、鱗に覆われた顔では表情の動かしようもないのだが――その目の輝きや身を揺する所作だけで、内心の浮かれ具合が伝わってくるのだ。もともとがダンディで風格にあふれかえった存在であるので、なかなか愛すべきギャップであった。
そんなドラゴンの姿を眺めながらホイル焼きの料理を口にしていると、咲弥の心もいっそう深く満たされていく。
半年ぶりのキャンプの楽しさが、ドラゴンのおかげでさらにブーストされたようである。
それはまた、二年弱に及ぶ過酷な労働と祖父の死によって乾ききっていた咲弥の心に、慈雨がしみこんでいくような心地であったのだった。
「……そんでさ、ドラゴンくんはいつ、じっちゃんと出会ったわけ?」
咲弥がナスのホイル焼きに舌鼓を打ちながら問いかけると、ニンジンのホイル焼きを頬張ったドラゴンは「うむ」と厳粛にうなずいた。
「我がトシゾウと出会ったのは、今から一年と八ヶ月ほど前のこととなる。そちらの暦では、一昨年の五月の中旬といったあたりであろうかな」
「えー、マジで? あたしがじっちゃんと最後にキャンプを楽しんだのが、ちょうどその頃なんだけど」
「うむ。確かにトシゾウも、あと十日ばかり早ければ孫娘も立ちあえていたのだと語っていた」
しみじみと語りながら、ドラゴンは最後のジャガイモを口に運んだ。
「しかし、その頃の我はまだこちらの世界の道理をわきまえていなかったのでな。トシゾウから、さまざまなことを学ぶことになったのだ」
「ふむふむ。そういえば、ドラゴンくんは日本語もぺらぺらだねぇ」
「否。これは、言語解析の術式の応用である。そちらの世界の言葉で言うと、自動翻訳の機能が作用しているに過ぎん」
「ほうほう。それじゃあ、じっちゃんからは何を学んだのかな? こっちの世界の常識とか、法律とか?」
「否。そういったものに関しては山の外にまで感知の触手をのばし、不特定多数の人間の思考を走査することで知識を収めた。およそ一万名の思考を精査したので、大きな偏向はないものと自負している」
そんな風に言ってから、ドラゴンはふっと目を細めた。
「よって、我がトシゾウから学んだのは……山の中で生きる隠遁生活の楽しさというものであろうかな」
「あー、じっちゃんて、なんか仙人みたいな雰囲気があったもんねぇ。あたしもそれに感化されたひとりだけどさぁ」
「うむ。トシゾウは、満ち足りた生を送っていた。そんなトシゾウとともに過ごすことで、我も満ち足りた心地を得られたのだ。それで我は異界の門を閉ざさず、この山においては二つの世界が正しく調和できるように調整を施した。そうしてこの地で、隠遁生活を送ることに相成ったのだ」
「そっかそっか。色々と納得できた気がするよぉ。……はい、キャベツ」
「かたじけない。……うむ。こちらも素晴らしき味わいであるな」
「うんうん。『ほりこし』は万能だからねぇ。そろそろスープも食べ頃かなぁ」
咲弥はこぽこぽと煮えたつスープに塩とブラックペッパーを投じてから、半分ていどの分量をスモールサイズのコッヘルに移し替えた。
「はい、どうぞ。なーんの細工もないコンソメスープだけど、悪くないと思うよぉ」
「かたじけない。……うむ、美味である」
「うんうん。寒い夜には、やっぱりスープだねぇ」
白い息を吐きながら、咲弥は天を仰いだ。
食事を楽しんでいる間にすっかり日は沈み、細かい宝石を散りばめたような星空が広がっている。咲弥がこんな星空を目にするのも、半年ぶりのことであった。
しかし実のところ、半年前に行った最後のキャンプについては、記憶もおぼろげである。
過酷な労働に忙殺されていた咲弥はくたびれ果てた体に鞭打ってキャンプを敢行したため、夜も早々に寝入ってしまったのだ。
そうしてテントの寝床では普段以上に疲れが取れず、いっそうの疲労を抱え込みながら帰路を辿ることになり――どうして自分はこんなことをしているのだろうという強烈な虚無感にとらわれてしまったのだった。
よって、現在の咲弥が思い浮かべているのは二年前のゴールデンウィーク、祖父と最後にキャンプをともにした日の夜のことである。
その記憶は、今でも咲弥の脳裏にまざまざと刻みつけられている。祖父のゆったりとした笑顔や、五月でもまだまだ肌寒い山の空気や、パチパチとはぜる焚火の音、二人で作りあげた肉じゃがの味――ごくありふれたキャンプの記憶が、咲弥にとっては特別なものになったのだ。
今にして思えば、咲弥は生活が激変してからもあの日の楽しさを追い求めて、無理やりキャンプに出向き――そしてそのたびに、大きく失望していたのかもしれなかった。
(でも……逆に言うと、それで二年近くも頑張れたんだろうなぁ)
いずれ転職なり退職なりすれば、またあの日のようにキャンプを楽しむことができる――それが咲弥の、心のよすがであったのだ。
そうして咲弥は、今日という日を迎えることになった。
残念ながら祖父は隣にいなかったが、その代わりに真っ赤なドラゴンが一緒にキャンプを楽しんでくれている。
もしも咲弥がドラゴンと出会わず、ひとりでキャンプに取り組んでいたならば、いったいどのような思いに至っていたのか――あまり、想像はつかなかった。
「……どうであろうか?」
と、ふいにドラゴンの低い声が響きわたる。
ぼんやり星空を見上げていた咲弥は、夢から覚めたような心地でドラゴンのほうに向きなおった。
「まだまだ語るべき話は残されていようが、必要最低限の情報は提示できたように思う。……その上で、どうであろうか?」
「んー? どうって、何が?」
「……トシゾウは其方にこの山を受け継がせるべきか、最後まで悩んでいた。前途ある其方にこのようなものを遺すのは、むしろ迷惑であるかもしれないし……しかもここには、我のような異界の住人が住みついてしまっているわけであるしな」
ドラゴンは真剣そのものの眼差しで、そう言った。
「しかしトシゾウは、其方にこの山を受け継がせると決断した。其方こそが、この山の正統なる継承者であるのだ。もしも其方が、この山の在りように不服があるのなら……我も、考えを改めねばなるまい」
咲弥は、きょとんとしてしまった。
「よくわかんないなぁ。ドラゴンくんは、この山でスローライフを楽しんでるんでしょ? あたしが文句をつける筋合いはなくない?」
「否。こちらの世界におけるこの山には所有者も存在しないが、そちらの世界における所有者は其方であるのだ。それを勝手に改変する資格は、誰にもあるまい」
「いやいや。ここはあくまで、じっちゃんの山だよ。ただでもらったあたしが、あれこれ文句はつけられないさ。じっちゃんだって、ドラゴンくんが楽しく過ごせるように祈ってるだろうしねぇ」
そう言って、咲弥はドラゴンに笑いかけた。
「それよりむしろ、心配なのはあたしのほうかなぁ。あたしはじっちゃんの家でちょぼちょぼ日銭を稼ぎながら、キャンプざんまいの日々を送る予定だったんだよねぇ。あたしがあんまりお邪魔しちゃったら、ドラゴンくんは迷惑かなぁ?」
「そのようなことは、決してない。この山の新たな所有者が其方のような人間であったことを、我は心より得難く思っている」
そんな風に言ってから、ドラゴンはもじもじと身を揺すった。
「ただ……我には美味なる料理を手掛けるすべもない。こうして其方の食事を分け与えてもらえたら、望外の喜びであるのだが……」
「そんなの、全然オッケーだよぉ。あたしはもともと、じっちゃんとキャンプを楽しむつもりだったんだからさぁ。ドラゴンくんがおつきあいしてくれたら、あたしも嬉しいなぁ」
咲弥がのんびり答えると、ドラゴンは感じ入った様子で息をついた。
「其方がトシゾウに似ているのは、眠たげに見える目つきばかりかと考えていたが……やはりその内面には、数多くの共通点が存在するようだ」
「眠たげな目つきで悪かったねぇ。……あたしとじっちゃんって、そんなに似てるかなぁ?」
「うむ。もちろん似ていない面も多々あろうが……我のような異界の存在を易々と受け入れる度量は、とてもよく似通っている」
「あはは。ドラゴンくんこそ、ダンディなところはじっちゃんにそっくりだけどねぇ」
そのように答えながら、咲弥はキャベツの切れ端を口に運んだ。
「ま、何より嬉しいのは、こうやってじっちゃんのことを語れることかなぁ。今まで、そういう相手がいなかったからさぁ」
「うむ……しょせん我などは、二年足らずの交流であったがな」
「それを言ったら、あたしなんて二年近くも疎遠だったよぉ。……じっちゃんには、もっと長生きしてほしかったよねぇ」
そんな言葉をこぼすなり、咲弥の目からも何かがこぼれそうになってしまった。
「おお、いかんいかん。湿っぽくならないように、宴の後半戦を開始しますかぁ」
「うむ? 食材はすべて尽きてしまったように見受けられるが」
「いや、うっかりこいつを出し忘れてたんだよねぇ。ドラゴンくんって、いけるクチ?」
咲弥がクーラーボックスから缶ビールを取り出すと、ドラゴンはすぐさま瞳を輝かせた。
「それは、酒であろうか? トシゾウは、酒をたしなまかったのだが」
「ああ、じっちゃんはいっつもノンアルビールだったねぇ。きっと心臓を悪くして、禁酒したんだろうなぁ」
咲弥は缶ビールの蓋を開け、愛用のマグカップに半分だけ注いだ。
「アテは、鯖缶で十分っしょ。あ、でも、ストローとかはないんだけど、ドラゴンくんはどうやって――」
そのように言いかけた咲弥の鼻先に、ドラゴンの尻尾が差し出される。
そこに巻き取られていたのは、銀色をしたチタン製のマグカップであり――黒くプリントされたブランド名も、咲弥のマグカップと同一であった。
「ほうほう。察するに、そいつもじっちゃんからのプレゼントだねぇ」
「うむ。其方もトシゾウに感化されて、そちらを買い求めたわけであるな」
咲弥とドラゴンは、目を細めながら視線を見交わした。
「それじゃあ、二人の出会いを祝して……そして、じっちゃんの冥福を祈って」
同じ形状のマグカップをかちんと打ち合わせてから、咲弥とドラゴンはビールを口にした。
かくして両名のキャンプ生活は、ここに幕を開けたのだった。
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