03 前菜
「今日はもっとも西側に位置する峰まで見回っていたので、参じるのが少々遅くなってしまった。サクヤを待たせてしまったのなら、詫びよう」
ドラゴンがそのように言いつのったので、咲弥は火ばさみで薪を動かしながら「いやいや」と手を振った。
「待ち合わせの時間を決めてたわけでもないんだから、謝る必要なんてないよぉ。でもほんとに、あたしが来たことはわかるんだねぇ」
「うむ。鱗の所有者が足を踏み入れれば、眠っていても感知できる。……実のところ、我もあちらの峰で身を休めているさなかであったしな」
「あらら、お昼寝のお邪魔をしちゃったの? こっちこそ、申し訳なかったねぇ」
「それこそ、詫びる必要はない。サクヤと無事に再会できたことを、心から喜ばしく思う」
本日も渋みのきいたダンディな声音で、ドラゴンはそう言った。
これが二度目の交流であるし、相手は人間ならぬ存在であるわけだが――咲弥は、心から安らいだ気分である。
もしかしたら、咲弥はこのドラゴンに亡き祖父の面影を重ねているのかもしれなかった。
(ドラゴンくんって、包容力がムンムンだもんなぁ。伊達に百年以上も生きてないよなぁ)
咲弥がそのように考えていると、ドラゴンは不思議そうに小首を傾げた。
そうすると、たちまち愛くるしさが発露する危険な生き物である。
「ところで、斯様な器具は初めて目にした。これは、簡易的な屋根であるな?」
「うん。そういえば、じっちゃんはタープを持ってなかったっけ。ドラゴンくんとのキャンプで、不便はなかったのかなぁ?」
「うむ。雲行きのあやしい日は、ブルーシートなるものを張っていたな」
ドラゴンの言葉が、咲弥のシナプスを刺激した。祖父は移動に軽トラックを使っており、その荷台にはいつもボロボロのブルーシートが積まれていたのだ。
「じっちゃんのキャンプギアはまるまる残されてたけど、ブルーシートは見当たらなかったなぁ。ずいぶん年代物だったから、軽トラと一緒に処分しちゃったんだろうねぇ」
「ふむ。トシゾウが使用していたあの車は、処分されてしまったのであるか」
「うん。あたしの面倒にならないように、自分で処分したっぽいよ」
咲弥が喪主としてひさびさに祖父の家まで出向いた際、すでに軽トラックは影も形もなかった。
それに、冷蔵庫などもすっかり空っぽになっていたのだ。それらもすべて、家を受け継ぐ咲弥への配慮なのだろうと思われた。
「まったく、手回しがよすぎるよねぇ。最後ぐらい、自分のことを一番に考えればいいのにさ」
「うむ。しかしそれこそが、トシゾウという人間なのであろうな」
そのように語るドラゴンの声は、とても優しい。
その優しさに胸を満たされながら、咲弥は「さて」と声をあげた。
「何はともあれ、こっちの準備は万端だからさぁ。ちょっと早いけど、食事の準備に取りかかろっかぁ」
咲弥の言葉に、ドラゴンはもじもじと巨体を揺すった。
「それは我にとって、限りなくありがたい申し出だが……サクヤは腰を落ち着けたばかりであろう? 我のために無理をさせるのは、忍びない」
「あはは。無理なんてしてないし、あたしもそこそこお腹は空いてるからさぁ。のんびり準備したら、ちょうどいいっしょ」
ということで、咲弥は調理の準備を始めることにした。
「この前は簡単なバーベキューだったから、今回はちょっと気合を入れるよぉ。ほどほどに期待して待っててねぇ」
「うむ。そのような言葉を聞かされると、期待はつのるばかりであるな」
そのように告げるなり、ドラゴンの姿は真紅の輝きに包まれた。
また何らかの魔法によって、大型犬ぐらいのサイズに縮んだのだ。
「うーん。何回見ても、愛くるしいねぇ。さあさあ、それでは我が城にどうぞぉ」
「うむ。招待に感謝する」
ドラゴンはしなやかな足取りで、タープの下に踏み入ってきた。
小さくなっても風格に変わりはないが、ただその瞳は料理に対する期待にきらめいている。
「ま、今日の献立もそこまで時間がかかるわけじゃないから、まずは前菜でも準備しよっかぁ。実は行きがけに、ご近所さんからこいつをいただいたんだよねぇ」
咲弥がコンテナに仕舞い込んでおいたダイコンを引っ張り出すと、ドラゴンは「なるほど」と首肯した。
「トシゾウもたびたび、そちらのダイコンなる野菜を持ち込んでいた。ハツ・タナベなる女人からの贈り物であるな?」
「おー、ドラゴンくんは、田辺のばっちゃんのことも知ってたんだぁ?」
「うむ。山麓の村落に住まう人間については、すべて解析させていただいた。トシゾウのそばに悪しき人間がいたならば、放置してはおけんからな。……しかし、こちらの村落にはきわめて善良な人間しか存在しないようだ」
「ほほー。ほんじゃあ、あたしのことはどういう評価なのかなぁ?」
咲弥が何気なく問いかけると、ドラゴンは神妙な雰囲気でまばたきをした。
「……解析とは、対象者の思考や心のありようをくまなく精査するという意味である。サクヤに対して、解析の術式を施すことは控えたく思う」
「あ、そーなの? じゃ、じっちゃんのことも解析しなかったのかなぁ?」
「否。トシゾウはこの地で初めて対面した相手であるので、解析せずに済ませることはできなかった。ただ、トシゾウは……何も後ろめたいことがなくとも、心を覗かれるのは落ち着かないものだと申し述べていた。ゆえに、同じ過ちは繰り返すまいと考えている」
咲弥はきょとんとしてから、「そっか」と笑った。
「そりゃまあ、じっちゃんのほうが正論なんだろうね。それでもじっちゃんはドラゴンくんと仲良くなれたんだから、なんも気にすることないよぉ」
「うむ。トシゾウの度量には、何度となく救われている。サクヤもまた、同様である」
「あたしなんて、じっちゃんの足もとにも及ばないさぁ。……じゃ、前菜の準備を始めちゃうねぇ」
咲弥は綺麗に洗い清めたブッシュクラフトナイフで、ダイコンを十五センチほどの長さで切り分けた。
それをニンジンとともにスライサーで千切りにしたならば、水気を絞ってコッヘルの蓋に盛りつける。あとはポン酢で和えて小分けパックのかつおぶしを振りかければ、もう完成であった。
「はい、どうぞ。あくまでおまけの前菜だから、そのつもりでねぇ」
「うむ。咲弥の心尽くしに、感謝する」
どこからともなくスポークを取り出したドラゴンは、それを器用に扱ってダイコンとニンジンの千切りサラダを口にすると、満足そうに目を細めた。
「簡素ながらも、清涼にして瑞々しい味わいである。前菜には相応しきひと品であるな」
「うんうん。田辺のばっちゃんに感謝だねぇ」
それなりの量であった千切りサラダは、あっという間になくなってしまう。
余ったダイコンをラップでくるもうとした咲弥は、「うーん」と思案した。
「ドラゴンくんは人並みの量で十分だって言ってたけど、あたしよりは食いしん坊だよねぇ。残りのダイコンも、削りたおしてあげよっかぁ?」
「しかしそちらは、サクヤにとっても貴重な食材であろう?」
「いやいや、食べきれないぐらいもらっちゃったから、なぁんも気にする必要ないよぉ。でも、どうせだったら別の料理に仕上げたいけど……ダイコンって、煮込むのに時間がかかるからなぁ」
咲弥の独白に、ドラゴンは小首を傾げた。
「確かにトシゾウもダイコンを煮込む際は、長きの時間をかけていた。手早く仕上げたいときは、焼いていたな」
「えー? ダイコンを焼いて食べるのぉ? ドラゴンくん、その手順を覚えてたりする?」
「うむ。それほど入り組んだ内容ではなかったので、記憶に留めている」
ダイコンは二センチていどの輪切りにして、断面に十字の切れ込みを入れたのち、ゴマ油で両面を四、五分ずつ焼いていく――それが、ドラゴンの記憶していた焼きダイコンのレシピであった。
「なお、焼きあげる際には鍋に蓋をかぶせていた。トシゾウは、そちらと同種の器具を使っていたはずであるな」
ドラゴンが尻尾の先で指し示したのは、メスティンであった。
メスティンとは、アルミ製で丸みのある長方形をした、取っ手のついた弁当箱のような調理器具だ。煮物や焼き物はもちろん、飯盒の代わりとして米を炊いたり、付属品の網を使えば蒸し料理にも活用できる。こちらもコッヘルと並んで、アウトドア用調理器具の代表格であった。
「よーし、それじゃあチャレンジしてみよっかぁ。あたしもお初の料理には、興味をかきたてられちゃうからねぇ」
斯様にして、自宅ではずさんな食生活を送っている咲弥も、キャンプの場ではきわめて能動的であるのだった。
まずはバーナーを点火して、そこにメスティンをセットしてゴマ油を投入する。
しかしメスティンでは輪切りにしたダイコン二枚でいっぱいになってしまうため、けっきょく焚火台とラージサイズのコッヘルで同じ調理に励むことにした。
「焚火だと、火力を一定に保つのが難しいんだよねぇ。ま、焦がさないように気をつけましょ」
メインディッシュの調理に備えて焚火台に炭を追加してから、咲弥は「うーん」と大きくのびをした。
「あー、楽し。ダイコン一本で楽しめるもんだねぇ」
「うむ。咲弥は調理そのものを楽しんでいるのだな。それを目にしているだけで、我も楽しき心地を得ることができている」
「それは何よりでございます」と、咲弥はまたチェアの背もたれに身を預けた。
そうして沈黙が落ちても、まったく気詰まりになることはない。料理の完成を待ちわびて瞳を輝かせているドラゴンの姿を眺めているだけで、咲弥は何やら温かな心地であった。
(こういう時間も、なんかじっちゃんとのキャンプを思い出させるんだよなぁ)
もとより咲弥は、祖父以外の相手とキャンプに取り組んだ経験もなかった。
咲弥はなるべく自由気ままにキャンプを楽しみたかったので、誰を誘う気にもなれなかったのだ。出会ったばかりのドラゴンとこんなにくつろいだ心地を共有できるというのは、今さらながらに不思議な話であった。
(きっとドラゴンくんがこういう人柄だから、じっちゃんもすぐに仲良くなれたんだろうなぁ)
咲弥がそんな想念にひたっていると、やがてキッチンタイマーが鳴り響いた。
「よーし、どんな感じかな?」
咲弥がメスティンの蓋を開けて確認してみると、ダイコンの裏面にはなかなかいい感じに焼き目がついていた。
「おっと、コッヘルのほうは焦げる寸前だ。危ない危ない」
「うむ。やはり調理とは、一瞬の油断も許されないのであるな」
「あはは。あたしなんて、油断の合間に生きてるようなもんだけどねぇ」
適当な冗談口を叩きながら、咲弥はコッヘルの蓋を閉ざした。
そうしてさらに四分ばかりをかけて裏面も焼きあげたならば、それぞれのダイコンを蓋に移して、ブラックペッパーを挽き、カツオブシをのせて、醤油を垂らす。これにて、焼きダイコンの完成であった。
然して、その味わいは――なかなかの仕上がりである。
「へー。しんなりした食感が、なんか独特だねぇ。ゴマ油の香ばしさもいい感じだなぁ」
「うむ。まさしく、この味わいである。ただ、胡椒の風味がいっそう豊かであるようだ」
「あー、じっちゃんはいちいちミルを使ったりしないもんねぇ。でも、じっちゃんの料理も豪快で好きだったなぁ」
「うむ。トシゾウとサクヤの料理には、それぞれ異なる魅力が備わっているように思う。サクヤの料理は、力強さの中に華やかさを感じてやまん」
「もー、お上手なんだからぁ。じゃ、ぼちぼちメインディッシュに取りかかりますかぁ」
二人で四枚の焼きダイコンを食べ終えたのち、咲弥はクーラーボックスの中身をまさぐった。
そこから取り出された品を見て、ドラゴンはまた瞳を輝かせる。
「それは、肉であるな」
「そー、ぶつ切りのステーキ肉に『ほりこし』をすりこんで、寝かせておいたんだよぉ。今日のメインディッシュは、牛ステーキのアヒージョでございます」
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