04 牛ステーキのアヒージョ
ファスナー付きのプラスチック・バッグに詰め込まれたステーキ肉をテーブルに置いた咲弥は、コンテナボックスから新たな調理器具を取り出した。
コッヘルとメスティンに続く、第三の調理器具――鋳鉄製のどっしりとしたミニフライパン、スキレットである。
咲弥が所有しているスキレットは直径十五センチ強であったが、深さは四センチ以上もあったため、さまざまな料理で活用することができた。
「まずはこいつにどっぷりオリーブオイルを注いで、弱火でじっくり温めます」
ドラゴンのために口頭で説明をしながら、咲弥は作業を進めた。
「その間に、具材のマッシュルームとニンニクを切り分けます。マッシュルームは石づきを落として真っ二つ、ニンニクは頭と尻を落として皮を剥き、半分はみじん切り、半分は丸ごと投入いたしましょう。そしてこちらが陰の立役者、ローリエ殿にてございます」
「ふむ……察するに、香草の類いであるな? それもまた、初めて目にする食材である」
「あはは。じっちゃんは、ハーブの類いにも関心が薄かったもんねぇ。豪快というか子供舌というか、塩・胡椒・醤油・ソース・ケチャップ・マヨネーズで、だいたい満足してたっけぇ」
祖父の面影を追いながら、咲弥はニンニクとローリエをオリーブオイルの海に投じ入れた。
そちらに熱が通って香りが出たならば、ステーキ肉とマッシュルームも投入である。
「ま、偉そうなこと言いながら、こっちもこれでおしまいなんだけどねぇ。あとは具材に熱が通るのを待つばかりでございます」
「なるほど。しかし、これほど大量の油を使う料理を目にしたのは、初めてであるな」
「うんうん。アヒージョってのは、オリーブオイルで具材を煮込む料理なんだよぉ。キャンプ飯としては、定番のひとつみたいだねぇ」
薪の量を抑えて炭を活用したため、焚火台には熾火が明々と灯っている。そこから発せられる遠赤外線が、料理にじっくりと熱を入れてくれるのだ。
さらに、分厚い鋳鉄でできたスキレットも熱伝導と蓄熱性に優れているので、均等に熱を入れたい料理ではとても頼りになるのだった。
「お次はドラゴンくんもお馴染みの、ホイル焼きだよぉ。今日はあくまで副菜なので、タマネギとニンジンのみでございます」
「ふむ。そちらはアヒージョなる料理の具材には不向きなのであろうか?」
「そんなことはないだろうけど、具材を増やすと肉の割合が少なくなっちゃうからねぇ。限られた容量でがっつり肉をいただこうという所存にてございます」
ドラゴンは心から納得したように、「なるほど」と深くうなずく。
そんなドラゴンの真面目くさった所作に心を和ませつつ、咲弥はアルミホイルに巻いたタマネギとニンジンを炭のかたわらに押し込んだ。
「で、お次はパスタの準備だけど……ドラゴンくんは、麺類も大丈夫?」
「うむ。トシゾウから、うどんやカップラーメンを馳走になった経験を有している」
「へー。じっちゃんも、カップラーメンなんて食べるんだぁ?」
「うむ。他なる料理で足りなかった際は、そちらを供して我の心を満たしてくれたのだ」
と、ドラゴンは羞恥を覚えたようにもじもじとした。
食いしん坊のドラゴンに、咲弥は「にひひ」と笑ってしまう。
「カップラーメンはないけど鯖缶とかだったら常備してるから、足りなかったときは遠慮なく声をかけてねぇ。……おっと、もうお湯が沸いちゃったよ」
パスタはお湯が余らないように、必要最低限の水しか使わない。食材の成分が混入したお湯を山中に捨てることはご法度であるし、排水を持ち帰るのはきわめて面倒であるためだ。少量のお湯でパスタを茹であげる方法は、インターネット上にいくらでも情報が出回っていた。
キッチンペーパーでゴマ油をふき取ったメスティンでパスタを茹でている間に、スキレットのステーキ肉もじわじわと色づいていく。五分もあれば、食べ頃に熱が通るはずであった。
「おっとっと。蓋のほうも綺麗にしておかないと。あたし、余分な皿は持ってないからさぁ」
バーナーでパスタを茹で、焚火台の火加減もチェックしながら、咲弥はキッチンペーパーでコッヘルとメスティンの蓋を拭き清めた。
なかなかの慌ただしさであるが、その慌ただしさも楽しい限りである。
自宅では事務的に感じられるそういった作業が、キャンプの場では楽しく感じられてやまないのだ。
自宅よりも不自由な環境下で、美味しい料理のために手間暇をかける――それもまた、キャンプの醍醐味のひとつであるはずであった。
(今さらながら、これってどういう心理なんだろ)
キャンプとは、自ら不自由を背負うようなものである。
自宅にこもっていればテントやタープを設営する必要もないし、ガスコンロのスイッチをひねるだけで火をつけることができる。雨風や寒暖や虫の襲来に悩まされることもなく、のんびり安楽な時間を過ごすことができるのだ。
ひときわ面倒ごとを嫌う咲弥がキャンプに魅了されたというのも、あらためて考えると不思議な話であった。
(だけどまあ……だからこそって話なのかなぁ)
料理ひとつ取っても、咲弥は自宅だと気合が入らない。食事などは生存に必要な栄養とカロリーを摂取するだけの話であり、そこに手間暇をかける意義を見いだせないのだ。
しかし現在の咲弥は、大いなる意欲でもってキャンプ料理の調理に取り組んでいる。この苦労の末に美味しい料理が待っているかと思うと、胸が弾んでならないのだ。一枚のローリエを添えてアヒージョらしさを演出しようなどという考えは、自宅では決して思い浮かばないはずであった。
(こういう楽しみがないとどんだけ心がささくれるかは、この二年弱でがっつり証明されたもんなぁ)
咲弥がそのように考えていると、ドラゴンはまた大型犬サイズの体をもじもじとさせた。
「我は細かな作業を苦手にしているため、こういう際には見守ることしかできぬのだ。何か力仕事が必要な際は、遠慮なく申しつけてもらいたい」
我に返った咲弥は、「あはは」と笑ってみせた。
「あたしもたいていの力仕事はこなせるつもりだけど、いざというときにはよろしくねぇ」
「うむ。その機会が巡ってくることを、心待ちにしている」
そのように語るドラゴンは、ずいぶん神妙な面持ちであった。
もしかしたら――ドラゴンは楽しい気分ばかりでなく、苦労も分かち合いたいと思ってくれているのだろうか。
そんな風に考えると、もともと浮き立っていた咲弥の心がいっそう浮き立ってしまった。
「よーし。パスタは、こんなもんかな」
気づけばメスティンのパスタは、すっかり水気がとんでいる。それを一本すすりこんでアルデンテの仕上がりを確認した咲弥は、メスティンを焚火台のほうに持ち運び、熱々のオリーブオイルをスポークで何杯か移し替えた。そうしてパスタ同士がひっつかないようにオリーブオイルを全体に馴染ませてから、メスティンとコッヘルの蓋に取り分けた。
「よしよし。あとはアヒージョの完成を待つばかり……って、見るからにもう食べ頃だなぁ」
グローブを装着した咲弥は熱いスキレットをスチール製のグリルスタンドに移して、空いたばかりのメスティンに四割ぐらいの見当で具材とオリーブオイルを取り分けた。
あとはホイル焼きの包みを開けば、イブニングディナーの支度も完了である。
六割ていどを残したスキレットのほうは、もちろんドラゴンの取り分だ。
「ほんでもって、今日のお供は赤ワインでございます」
咲弥がコンテナボックスから赤ワインのボトルを引っ張り出すと、ドラゴンはいっそう瞳を輝かせた。
「また異なる酒を馳走してもらえるのか。我はどのようにして、サクヤの温情に報いればいいのであろう?」
「そんな水臭いこと言わないでよぉ。こっちは楽しくてやってるんだからさぁ」
咲弥が心からの笑顔を届けると、ドラゴンはもじもじしながらマグカップを差し出してきた。
スクリューキャップを開けたボトルをその上で傾けると、宝石のように輝く液体がこぽこぽと流れ落ちる。掛け値なしに安物のテーブルワインであるが、そのきらめきの美しさに遜色はない。それを見つめるドラゴンの瞳は、子供のように期待感をあらわにしていた。
「ではでは。無事な再会を祝して、かんぱーい」
「乾杯」と復唱してから、ドラゴンはかぱっとひと息にマグカップの中身を飲み干した。口の構造上、そうする他ないのだ。前回のキャンプでその事実を知った咲弥も、ひと口分しかワインを注いでいなかった。
「こちらは先日のビールという酒よりも、遥かに酒気が強いようだ。……きわめて、美味である」
「うんうん。蓋は開けておくから、あとはご自由にどうぞぉ。それじゃあ、料理をいただこうかぁ」
咲弥はドラゴンとおそろいのスポークを取り上げて、まずはメインのステーキ肉をすくいあげた。
オリーブオイルにねっとりと濡れた、実に背徳的な美しさである。
それを口に放り入れると、期待通りの味が口内に躍動した。
「おー、上出来上出来。やっぱ、『ほりこし』の下味がきいてるねぇ」
こちらは『ほりこし』をまぶした肉を、オリーブオイルで煮込んだだけの料理である。あとはローリエとニンニクとマッシュルームしか使用していないため、それ以外の味が生まれる道理はない。そして、それ以外の味など必要がないぐらい、力強い仕上がりであった。
これこそが、手間暇をかけた成果である。
なおかつ、自宅であればもっと簡単に作りあげることもできるはずだが、こんなに心が満たされることはないはずであった。
「これは……油に広がったニンニクの香りが『ほりこし』なる調味料と深く絡み合い……またとない調和を果たしているようだ」
ドラゴンも、黄金色の瞳を星のように輝かせている。
咲弥がこれまで目にしてきた中で、最大級のきらめきだ。それで咲弥も、達成感と充足感にいっそうの拍車を掛けられることに相成った。
「喜んでもらえて何よりだよぉ。あ、パスタやタマネギやニンジンも、オリーブオイルにひたすと美味しいと思うよぉ」
「おお……こちらも、素晴らしい。基本の味は同一であっても、食感の違いがまた異なる趣を生み出すようだ」
「うんうん。ちっちゃくなった甲斐があったねぇ」
「まったくである」と、ドラゴンは微笑むように目を細めた。
赤ワインでほろ酔い気分の咲弥は、ますます満ち足りた心地である。
そういえば、咲弥はアルコール類も自宅では飲むことがない。三日前のビールなどは、実に半年ぶりのアルコールであったのだ。
咲弥はそれなりにアルコールに強い体質であるし、今も赤ワインの味わいに心から満足しているが――やっぱり自宅では、アルコールを摂取する意義を見いだせなかったのだった。
(たとえソロキャンでも、焚火を眺めながら楽しむお酒は最高の味わいだもんなぁ。ほんでもって……)
ドラゴンと語らいながら楽しむ酒は、それ以上の味わいである。
咲弥がそんな想念を浮かべながらにやついていると、ドラゴンは不思議そうに小首を傾げつつ、優しく目を細めてくれたのだった。
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