05 異界の雨

 咲弥とドラゴンが楽しいイブニングディナーの時間を過ごしていると、頭上のタープに何かがぽつんと弾け散った。

 ドラゴンは優美なラインを描く首をのけぞらしつつ、「ふむ」と神妙な声をあげる。


「どうやら、雨のようであるな」


「ありゃりゃ。今日は夜まで快晴の予報だったのになぁ。やっぱ、山の天気は変わりやすいねぇ」


「うむ。これは、こちらの世界の雨であるようだな」


 ドラゴンのそんな返答に、咲弥はきょとんと目を丸くした。


「あー、にゃるほど。この山は、二つの世界の天気に左右されるってこと? 晴れてるときは、どっちの世界も晴れてるってわけだぁ」


「左様。ただし、こちらの世界のこちらの区域は、雨が降ることも稀である。こちらの山は、砂漠地帯の中央に位置しているのでな」


「えー? 砂漠のど真ん中に、こんな立派なお山がそびえたってるのぉ?」


「うむ。よって、こちらの世界では『魔の山』として恐れられている。なおかつ、大地の魔力も潤沢であるため、魔族にとっては楽園のごとき地であるのだ」


「あはは。あたしにとっても、楽園そのものだけどねぇ」


 咲弥はいっそう楽しい心地で、食事を進めた。

 が――アルコールで火照った体の熱が、じょじょに外気に奪われていく。雨が降ったことにより、ずいぶん気温が下がってきたようであった。


「うひゃー。二月とはいえ、なかなかの冷え込みだねぇ。砂漠地帯ってことは、そっちはあったかいんじゃないのぉ?」


「否。砂漠地帯でも夜は寒冷が厳しいものであるし、そもそもこちらも時節は冬である。それでも緑が枯れないのは、ひとえに潤沢な魔力の恩恵であろう」


「ついでに気温も上げてほしかったなぁ。……まあ、四季おりおりを楽しむのもキャンプの醍醐味だけどねぇ」


 すっかり暗くなってきたので、咲弥はタープのポールに設置しておいたLEDランタンで明かりを灯した。

 そうすると、ますます周囲の薄暗さが際立つようである。見慣れぬ樹木や花は奇怪な黒いシルエットと化し、雨の勢いで枝葉が揺れるためか、それこそ闇の中で魔物が踊っているような風情であった。


 しかしまあ、それしきのことで怯む咲弥ではない。見慣れない光景というのは、やはりキャンプの楽しみのひとつであるのだ。見慣れているはずの山で見慣れない光景を見られるならば、むしろお得なぐらいであった。


 ただし、寒さのほうだけは如何ともし難い。パスタとアヒージョを食べ終えると、いっそう冷気が五体にしみいってきた。


「あー、これはちょっと、暖を取らないとダメなやつだ。いったんテントに避難しよっかぁ」


「うむ。それでは我は、こちらで待機していよう」


「いやいや。タープがあっても、ばんばか雨が吹き込んできてるじゃん。そのサイズだったら問題ないから、ドラゴンくんもご遠慮なくどうぞぉ」


「しかし……そちらの世界には、男女七歳にして席を同じうせずという格言が存在するのであろう?」


 真剣な眼差しでそのように語るドラゴンに、咲弥は「あはは」と笑ってしまった。


「それって格言なのかなぁ? まあ何にせよ、めっちゃ古い言葉のはずだし……たぶん、思春期の人間に対する戒めなんだと思うよぉ。百歳オーバーのドラゴンくんと二十歳オーバーのあたしには無縁な話さぁ」


「左様であるか。我もその言葉にどのような含蓄が存在するのか、今ひとつ測りかねていたのだ」


 そのように語りながら、ドラゴンは鉤爪の生えた右の前肢を持ち上げた。


「しかし我は、このように汚れてしまっている。これではサクヤの寝床を汚してしまうのではなかろうか?」


「そんなもんは、タオルでちょちょいと拭けば大丈夫さぁ。じゃ、焚火の火を落としちゃうねぇ」


 さらに咲弥はバーナーをコンテナに仕舞い込み、ローチェアともどもテントの前室に運び込んだ。さらにクーラーボックスも移動させれば、ひとまずの避難は完了だ。


「あとは、雨がやんでから片付けるよぉ。さあさあ、ずずいとどうぞぉ」


「うむ。失礼する」


 前室までは足もとも地面であるため、ドラゴンはそこまで歩を進めた。

 咲弥はひと足先にシューズを脱ぎ、LEDランタンを設置しなおしてから、テントの内部でタオルを構える。


「では、おみ足を拝借」


「うむ。爪で手を傷つけないように、十分注意してもらいたい」


 今は大型犬サイズであるため、鉤爪も相応に縮んでいる。しかしおそらく、これでも虎やライオンよりは立派な爪であるのだろう。

 ドラゴンの忠告に従って、咲弥は慎重にタオルを押し当てて――そして、小さからぬ驚きにとらわれた。


「ありゃ。ドラゴンくんって、ずいぶん体温が高いんだねぇ。もっとひんやりしてるんじゃないかって思い込んでたよぉ」


「うむ。我は、火竜族であるからな。不快ではなかろうか?」


「不快どころか、湯たんぽみたいにぽかぽかだねぇ。いいなぁ。羨ましいなぁ」


 そんな言葉を交わしながら、咲弥は四本の立派な足先を清めていった。

 かくして入室の資格を得たドラゴンは、テントの片隅に身を落ち着ける。いっぽう咲弥は大急ぎで二枚のフォームマットを広げて、シュラフを袋から取り出した。


 シュラフの下に敷くフォームマットというのは、クッション性の確保と地熱を遮断するための準備である。暑さにせよ寒さにせよ、肝要なのは地熱を遮断することであるのだ。


 ただ昨今は、コットと呼ばれる簡易ベッドを使用するのが主流であるのかもしれない。コットを使えば地面から浮くため、おおよその地熱から解放されるのだ。さらにその上にフォームマットを敷けば、いっそうの効果が期待できるはずであった。


 ただしコットというのは、それなりにかさばる器具である。十八歳になるまで自転車や原付バイクで移動していた咲弥はコットを購入する決断を下せず、二枚のフォームマットを重ねることで暑さや寒さをしのぐことに決めたのだ。

 そして現在は、それらのフォームマットを無駄にするのが惜しく思えて、けっきょくコットの購入に踏み切れていなかった。


 あとはキャンプの定番アイテムとして、薪ストーブというものも存在する。

 天井部分にあいた穴を使えば焚火台と同じように調理に活用することができるし、そこに煙突を設置すればテント内に持ち込むこともできるのだ。

 ただし、煙突をインストールできるタイプのテントでなければずいぶん手間を食うことになるし、煙の排出や適切な換気にしくじると一酸化炭素中毒の危険を招くことになる。そういった点を鑑みて、咲弥は手を出していなかった。


(そもそもあたしは、けっこう寒さに強いからなぁ)


 しかし、そんな咲弥にしてみても、本日の寒さは厳しかった。

 防寒ジャケットを着込んだままシュラフに下半身を突っ込んでも、じわじわと体温を奪われていくのだ。もしかしたら、異界の雨というものがいっそう厳しい寒さをもたらしているのかもしれなかった。


「あー、ドラゴンくんドラゴンくん。ちょっとご相談があるのですが……火竜族としての温もりというやつを、ちょっぴりおすそわけしていただけないでしょうか?」


「うむ? 先日にも説明したかと思うが、我の炎は対象物を塵に返す役にしか立たぬのだ」


「いやいや。テントで火を吹けなんて言わないよぉ。そのお肌の温もりだけで、あたくしには十分なのでございやす」


 ドラゴンは、不思議そうに小首を傾げた。


「言葉の意味が、よくわからないのだが……もしや、我の身を湯たんぽの代用にしようという目論見であろうか?」


「あー、やっぱり失礼な申し出だったかしらん?」


「否。それでサクヤの苦痛が少しでもやわらぐのであれば、安いものだが」


 ドラゴンはしなやかな足取りで、咲弥のほうに近づいてくる。というか、狭いテントの内であるので、三歩も歩くスペースはないのだ。

 そうして咲弥がその背中にぺたりと手の平を押し当てると、たちまち心地好い温もりがしみいってきた。


「えーと、あたしが風邪とかひいちゃったら、ドラゴンくんは悲しい?」


「うむ。風邪は万病のもとと聞く。サクヤには健やかに生きてほしいと願う」


「では、遠慮なく」と、咲弥はドラゴンの身を横合いから抱きすくめた。


「あいやー、これはいかん。悦楽の至りでございまする」


「ふむ。サクヤはまるで、幼子にかえってしまったかのようであるな」


 ドラゴンは笑いを含んだ声で言いながら、その場に身を伏せた。

 するといっそう抱きつきやすい角度となったため、サクヤの満身に温もりが流れ込んできた。


「あー……もしも焚火の炎が固形物だったら、絶対にシルクやサテンみたいにすべすべの質感だと思うんだよねぇ。炎って見るからにやわらかそうだし、すっごくきめの細かい感じがするからさぁ」


「ふむ。その心は?」


「あたしの妄想が現実化したかのようで、悦楽の思いは増すいっぽうでございまする」


 咲弥はまぶたを閉ざして、ドラゴンのなめらかな首に頬をすりよせた。

 呆れているのか楽しんでいるのか、ドラゴンは小さく息をついている。しかし何にせよ、咲弥が満ち足りた思いであることに変わりはなかった。


(そういえば……ちっちゃい頃は、じっちゃんのシュラフに無理やりもぐりこんでたっけ)


 そんな追憶にひたると、咲弥の心はいっそう深く満たされた。

 テントに当たる雨粒の音までもが、ひどく優しく感じられる。

 そうして咲弥は、またとない温もりと安らぎに包まれて――その日は早々に寝入ることになってしまったのだった。

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2024年11月8日 17:00
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2024年11月8日 17:00

ドラゴンと山暮らし  ~休日は異世界でキャンプライフ~ EDA @eda

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