05 大喰らい
「では、しばし待っていてもらいたい」
そんな言葉を残して、アトルを背中に乗せたドラゴンは飛び去っていった。
まずはアトルたちが管理している畑まで出向き、そこに常備されている魔法の門とやらをくぐってコメコ族の集落を目指すのだ。アトルたちが以前に語っていた、「ぴかぴかのぴゅー」というやつである。さすれば、数分ていどで戻ってこられるとのことであった。
あとに残されたのは、咲弥とケルベロスとチコ、そしてスキュラの分身である。
その中で、ケルベロスのケイが「へん」と鼻を鳴らした。
「魚の一匹ぐらいで、何を深刻ぶってやがるんだかな。……それより、こっちを警戒しろってんだよ」
「おやおや、天下のケルベロスが、あたしの分かれ身に恐れをなしているのかァい?」
「まあまあ。ドラゴンくんも、スキュラさんのことを信用してるってことだよぉ」
咲弥がのんびり割り込むと、ケイは「ふん!」とそっぽを向き、スキュラはにんまりと微笑んだ。
そして咲弥の手もとでは、チコが「あの……」と頼りなげな声をあげる。咲弥はずっと、チコの頭に手を置いていたのだ。
「サ、サクヤさまは、どうしてずっとわたしのあたまをさわさわしているのです?」
「いやぁ、アトルくんがいないと心細いかと思ってさぁ。余計なお世話だったら、ごめんなすって」
「い、いえ。わたしは、だいじょーぶなのです。アトルはきっと、おやくめをはたすのです。だから……どうか、サクヤさまのおもいでのしなをこわしてしまったことを、ゆるしていただきたいのです」
「あんなの糸が切れただけだし、たとえ釣り竿が折れたって怒ったりはしないよぉ。道具はいつか、壊れるものだからねぇ」
咲弥が優しく頭を撫でると、チコは「あうあう」と困っているような嬉しそうな声をあげる。それで咲弥も、この心地好いふわふわの髪から手を離すタイミングを失っていたのだった。
「それにしても、さっきの魚はすごい力だったねぇ。アトルくんだって力持ちなのに、それを引きずっちゃうんだもんなぁ」
「ええ。あの魚は下流に逃げたので、川の流れをも利用していたのでしょう。それを差し引いても、規格外の力であるのでしょうが」
「ふん! あの糸がもっと頑丈だったら、地面に引きずり出せただろうけどな!」
「しかしこちらは、噛む力にも加減が必要であった……この身の力を振り絞っていたならば、デザートリザードの革を噛み破っていたところであろうからな……」
ベエの言葉に、チコがわたわたと振り返った
「ケ、ケルベロスさまは、アトルのしょーぞくのことまできづかってくれたのです? アトルにかわって、かんしゃのおことばをもうしあげるのです!」
「うんうん。そもそもケルベロスくんが駆けつけてなかったら、アトルくんもどうなってたかわからないもんねぇ。みんな、さすがだったよぉ」
「はいなのです! ふかくふかくおんれいをもうしあげるのです!」
チコから熱い眼差しを向けられて、ベエはいっそううつむいてしまう。そしてケイが「うるせーよー」と気恥ずかしそうに首をよじるのが、なんとも微笑ましかった。
そうして咲弥が和やかな心持ちで待ち受けていると、やがてドラゴンが舞い戻ってくる。その背中に乗ったアトルは、釣り竿らしきものを大事そうに抱え込んでいた。
「ど、どうもおまたせしましたのです! これが、ぼくのつりざおなのです!」
「ほうほう。これは……確かに、頑丈そうだねぇ」
その釣り竿は物干し竿のような太さと長さであり、てらてらと黒光りしていた。
が、糸も何も張っていないので、一見はただの棒である。それで咲弥が小首を傾げていると、ドラゴンが解説してくれた。
「通常はこの竿の先端に蔓草をくくりつけているそうだが、魚を釣るには不向きであろう。よって、我がこちらの品々を準備した」
ドラゴンの尻尾が描いた魔法陣から、二つの品が現れる。それは咲弥にとって、見覚えのある品とない品であった。
「ふむふむ。切れ味抜群のナイフと、これは何だろう?」
その片方は石でも寸断できる『竜殺し』の短剣であり、もう片方は美しい宝石箱のような代物であった。
ドラゴンの視線にうながされて箱の蓋を開いてみると、そこには七色に輝く糸の束が収められている。それを目にしたスキュラは「はァん」と鼻を鳴らした。
「こいつは『ケートスの髭』じゃないのさァ。あんたの収集癖も、大概だねェ」
「うむ。この世に存在する糸の中で、もっとも強靭なひとつであろうからな。これを引き千切れるような魚は存在するまい」
アトルとチコの手によって五メートルほどの長さに寸断された『ケートスの髭』なる糸が、黒い釣り竿の先端にくくりつけられる。リールも何もついていないので、獲物がかかったら力ずくで引きずりあげるという手法であるようだ。
あとは咲弥が糸の先端に重りのガン玉と釣り針を装着すれば、準備は完了である。『大喰らい』というのはずいぶんな巨体であるようなので、釣り針は手持ちの中でもっともサイズが大きい九号を使用することにした。
アトルの釣り竿と、ドラゴンの釣り糸と、咲弥の仕掛け――三者の持ち物を結集させたひと品である。それを手にしたアトルが奮起した面持ちで頬を火照らせているのが、なんとも微笑ましかった。
「こんどこそ、さっきのさかなをとらえてみせるのです! サクヤさまとりゅーおーさまのだいじなしなもぶじにおかえしすると、おやくそくするのです!」
「うんうん。でもまずは、自分が怪我をしないようにねぇ」
かくして、『大喰らい』なる魚を捕らえるためのミッションが開始されることになった。
立派な釣り竿を力強くスイングして仕掛けを川面に沈めたアトルは、丸太の椅子を使用せずに両足を踏まえる。最初から万全の体勢で『大喰らい』を迎え撃とうという考えであるようだ。
そんなアトルの左右には、チコとケルベロスが控えている。いざというときに力を添えるための、ヘルプ要員である。そちらは誰もが真剣な面持ちであり、スキュラはひとりでにやにやと笑っていた。
いっぽう咲弥には、なすべきこともない。
祖父の形見たる釣り竿を手に、咲弥はドラゴンの顔を見上げた。
「あのさぁ、あたしもひっそり釣りを楽しんでもいいもんかなぁ?」
「うむ。我が力を添えれば、危険なことはあるまい」
というわけで、咲弥も数メートルほど離れた場所で釣り糸を垂らすことになった。
こちらに『大喰らい』がかかる可能性もあるので、釣り竿の端にドラゴンも尻尾を巻きつける。ふたりで同じ釣り竿を握りしめるというのは、なかなかに面映ゆい心地であった。
「……ところでさ、ドラゴンくんがその気になったら、『大喰らい』とやらを捕まえることもできるんじゃないの?」
咲弥がぼしょぼしょと囁きかけると、ドラゴンも小さな声で「うむ」と応じた。
「川にひそむ特定の魚を捕らえるというのは、決して簡単な話ではないが……いくつかの魔法を駆使すれば、不可能ではあるまいな」
「やっぱ、そうだよねぇ。でも、アトルくんの気持ちを優先したわけだ? やっぱりドラゴンくんは、優しいなぁ」
「……我はただ、アトルに負い目を持ってほしくないと願ったまでである」
ドラゴンが気恥ずかしそうに目を細めたので、咲弥は「にひひ」と笑いながらその逞しい肩を小突くことになった。
するとそこに、スキュラがにゅっと首をのばしてくる。
「どうでもいいけど、あんたたちは本当に親密な雰囲気だねェ。出会って半月やそこらで、いったいナニがあったってのさァ?」
「んー? あたしらは、一緒にキャンプを楽しんでただけだけど?」
「きゃんぷってのは、人間族の言う野営ってやつだろォ? そんなもんで、どうして親密になれるってのさァ?」
「そうして自らの目で見届ければ、其方も理解に及ぶのではなかろうかな」
ドラゴンが落ち着きはらった調子で答えると、スキュラはいかにも疑り深そうに「へえ」と目をすがめた。
そこからは、また何事もなく時間が流れすぎ――
咲弥が心地好い忘我の心境に至りそうになったとき、釣り糸がきゅっと水面に引きこまれた。
「ありゃ。普通にアタリがきたみたいだねぇ」
川魚に釣り竿を引かれる懐かしい感触が、咲弥の手に伝わってくる。
それなりの手応えであるが、決しておかしな感触ではない。咲弥は祖父の教えに従って、それを釣り上げるための手順を行使した。
釣り糸にたわみは見られなかったので、釣り竿を倒してアワセしろを確保したのちに、釣り竿を体に引きつける。
さらに強い抵抗が生じたので、アワセに成功して釣り針が魚の口を刺したようである。
あとは相手の力に逆らわず、逃げる方向に竿を倒しながらリールを巻いていく。そうすれば糸を切られることもなく、相手を疲れさせることができるのだ。
そうしてリールを巻いていくと、やがて水面に飛沫があがり始める。その隙間に、虹色に輝く鱗が垣間見えた。
「おー、イワナかな? ヤマメかな? こりゃあそこそこのサイズだねぇ」
最後の仕上げに、咲弥は釣り竿を引きあげた。
水面から、虹色の輝きが跳ねあがる。体長二十五センチはありそうな、正体不明の魚だ。やたらと輝かしい鱗をしていたが、それ以外におかしなところはなかった。
「よーしよし。まあ、三月の頭なら立派な大物――」
そこで咲弥は、驚きの声を呑み込むことになった。
水面から飛び出した巨大な影が、空中に引きあげた虹色の魚をぱっくりとくわえこんだのだ。
そちらも、魚の姿をしている。
岩のような質感をした灰色の鱗で、妙にゴツゴツとしたシルエットで――その体長は、百センチ以上もありそうであった。
咲弥の釣りあげた魚をひとのみにした巨大魚は、そのまま水中に没しようとする。
その肉厚の胴体に、七色に輝く糸が絡みついた。
そして、糸の先端に結ばれた釣り針が、巨大魚のエラに引っ掛けられる。
「とらえたのですー!」と、アトルの勇ましい声が響きわたった。
アトルが横合いから釣り竿を振るって、巨大魚の胴体に釣り糸を巻きつけたのだ。
巨大魚は、何事もなかったかのように水中へと没する。
とたんに、咲弥の腕にはずしりと重みが加わったが――それは、すみやかに解消された。巨大魚の勢いに耐えかねて、釣り糸が呆気なく切れてしまったのだ。
水面には、さきほどと比較にならないほどの飛沫があがっている。
アトルが握りしめた釣り竿の釣り糸はぴんと張りつめて、今にも千切れてしまいそうだった。
「……アトルよ、自分の力と道具の力を信じるがいい」
ドラゴンが厳粛なる声をあげると、アトルは真っ赤な顔で「りょーかいなのです!」と応じる。
そうしてアトルはやおら背後に向きなおると、柔道の一本背負いのようなモーションで「えーい!」と釣り竿を振り上げた。
ひときわ大きな水飛沫が飛散して、巨大魚の姿が再び宙に跳ねあげられる。
そうして巨大魚は、ゆったりと放物線を描き――小石の敷きつめられた川面に、どしゃりと墜落した。
「や、やったのですー! アトル、すごいすごいなのですー!」
「へん! 俺たちが手を出す隙もなかったじゃねーか!」
チコとケルベロスは、へたりこんだアトルの左右ではしゃいでいる。
その間も、灰色の巨大魚は地面の小石を跳ねあげながら、びちびちとのたうち回っていた。
咲弥は糸を切られた釣り竿を川辺に置いて、ドラゴンとともにアトルのもとへと駆けつける。
すると、巨大魚がふいに暴れるのをやめて――『ぎゃぶっ』という異音とともに虹色の輝きを吐き出した。
最初に咲弥が釣り上げようとした川魚である。その口からは切れた釣り糸が垂れており、そちらもまた小石の上でぴちぴちと跳ね回った。
「ありゃりゃ。こんなオマケもついてきたかぁ」
咲弥はUターンしてバケツをつかみ取り、その中に虹色の川魚を投じた。
すると――巨大魚がいっそう激しくのたうって、さらなる魚の群れを吐き出した。
いかに巨大な図体をしているとはいえ、いったいどこにこれだけの獲物が収納されていたのか。二十センチから二十五センチサイズの魚の群れが、虹色の鱗をきらめかせながら盛大に跳ね回ったのだった。
「おー、すげー! 大漁じゃねーか!」
「はいなのです! アトル、すごいすごいなのですー!」
ケルベロスとチコはいっそうはしゃいで、魚たちに負けない勢いでぴょんぴょんとステップを踏む。そうして咲弥が手もとのバケツと魚の群れを見比べていると、ドラゴンが穏やかな口調でつぶやいた。
「その容器では収まりきらない収獲であるな。僭越ながら、我が力を添えよう」
ドラゴンが細長い尻尾を振ると、川面から二つの光る球体が浮かびあがった。
巨大なシャボン玉のように見えるが、その内側では水がたゆたっている。淡い光の被膜に包まれて、川の水が球状に切り取られたのだ。それがふよふよと接近してくると、スキュラがひさかたぶりに「ははァん」と鼻を鳴らした。
「あんたはそこまで簡単に、水の精霊を操れるのかァい。火竜族の分際で、小憎たらしい真似をしてくれるねェ」
「うむ。だがやはり、水の精霊は扱いが難しい。其方であれば、これほど魔力を消費せずとも同じ術式を組み立てられるのであろうな」
そのように語っている間に、片方の球体が巨大魚を、もう片方が川魚の群れを呑み込む。すると魚たちは何事もなかったかのように、球体の中ですいすいと泳ぎ始めたのだった。
その幻想的な光景を横目に、咲弥はあらためてアトルのもとに歩み寄る。
アトルはまだ地面にへたりこんでおり、ぜいぜいと息をついていた。時間にすれば数秒のことであったが、アトルはそれだけの力を振り絞ったのだった。
「アトルくん、お疲れさまぁ。見事に釣り上げてみせたねぇ」
アトルは勢いよく面を上げて、咲弥を見返してきた。
まだその小さな顔は火照っており、紫色の瞳は星のように輝いている。そしてその可愛らしい顔に、無垢なる笑みが広げられた。
「こ、これもみなさんのおかげなのです! さかなつりは、とってもたのしーたのしーなのです!」
「うんうん。魚釣りの定義からは外れてるような気がしなくもないけど……まあ、楽しかったんならオッケーだねぇ」
そうして咲弥が紫色の頭にぽんと手を置くと、アトルはいっそう嬉しそうに笑みくずれたのだった。
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