02 宝の山

「それじゃあ、設営を始めたいところだけど……ちょっと問題があるんだよねぇ」


 咲弥の言葉に、ドラゴンは「問題?」と小首を傾げた。


「うん。実は、キャンプギアが不足気味でさぁ。今日はじっちゃんのキャンプギアを詰め込めるだけ詰め込んできたんだけど、まだまだ万全とは言い難いんだよねぇ」


「なるほど。ケルベロスが加わるならば、さらに装備が不足するわけであるな」


 すると、黙って成り行きを見守っていたアトルとチコがうるうると目を潤ませた。


「そ、それでしたら……ぼくたちが、ごえんりょするのです」


「は、はい……どうかわたしたちのことはすておいて、ケルベロスさまをもてなしていただきたいのです」


「そんな外道な真似ができると思うのぉ?」


 咲弥がおしおきとして兄妹の小さな頭を撫でくり回すと、二人は「きゃーっ!」と幸せそうな悲鳴をあげた。


「まあ、どうにかやりくりするしかないんだけどさぁ。アトルくんやチコちゃんのおうちから、何か物資をお借りしたりはできないもんかなぁ?」


「物資というと、どういった品であろうか?」


「うーん。まずは、タープかな。この人数だと、雨をしのげないしねぇ。あと、食器も不足するだろうし……欲を言うなら、調理の作業場も拡大したいところかなぁ」


「タープとは、簡易的な屋根であるな。そして、食器や作業台か……それでは、我が所有する宝物の中から選別してみてはどうであろうか?」


「ほーもつ?」


「うむ。我は竜族の習性として、宝物に対する所有欲を制御できぬのだ。玉座を捨てても気に入った宝物は手放すことがかなわず、こちらの山に保管している」


 と、ドラゴンはいくぶん気恥ずかしそうに巨体を揺すった。


「ほへー。でも、そんなお宝を使っちゃっていいのぉ? キャンプギアって、汚れてなんぼだよぉ?」


「うむ。道具とは本来、使用してこそ確かな価値が生じるものであろう。使われるあてもないまま宝物を眠らせておくのは、我としても心苦しい限りであったのだ」


 いかにもドラゴンらしい誠実な物言いに、咲弥は思わず「そっか」と笑ってしまった。


「それじゃあ遠慮なくお借りしよっかなぁ。そのお宝は、どこに保管されてるの?」


「西から数えて三番目の峰の山頂近くであるな。皆、我の背中に乗るがよい」


 そのように言ってから、ドラゴンはリアゲートが開いたままである軽ワゴン車のほうに目をやった。


「いや……あちらの車を放置しておくのは、不用心であるな。サクヤよ、ひとまず荷物を片付けてもらえようか?」


 咲弥は「ほいほい」と応じながら、メスティンやコッヘルの蓋をコンテナに収納し、シートともどもトランクに押し込んだ。

 そうしてドラゴンの尻尾が虚空に光り輝く魔法陣を描くと、軽ワゴン車はその輝きに呑み込まれるようにして消え去った。


「わー、手品みたい。……ていうか、魔法なのかぁ」


「うむ。我の所有する亜空間に封印した。では、背中に乗るがよい」


 ドラゴンが巨体を伏せたので、咲弥は率先してその大きな背中によじのぼった。

 前回のキャンプでもアトルとチコはドラゴンの背に乗って帰っていったので、咲弥もたいそう羨ましく思っていたのだ。シルクのような手触りをしたドラゴンの背中は、相変わらず湯たんぽのようにぽかぽかであった。


「んあー。ついついお昼寝したくなっちゃうなぁ」


 咲弥はドラゴンの首を抱きすくめつつ、頬ずりをした。

 実のところ、三日前の夜にも添い寝をしてもらったのだが、このサイズのドラゴンに抱きついたのは初めてのことであったのだ。

 ドラゴンは長い首をひねって咲弥の顔を覗き込みつつ、優しく目を細めた。


「飛び立つ際には結界を張るので転落の危険はないが、目的の場所までは数分ていどだ。眠っているいとまはなかろうな」


「はぁい。それじゃあ、夜を楽しみにしておくよぉ」


 咲弥たちがそんな言葉を交わしている間に、残るメンバーも背中に乗っていた。

 亜人族の兄妹ばかりでなく、ケルベロスの真ん中の首も恐縮しきった面持ちだ。そして、ライオンのように巨大なケルベロスが乗っても、ドラゴンの巨体は揺るぎもしなかった。


「では、ゆくぞ」


 ドラゴンの翼が大きく広げられるなり、その巨体が助走もなしに高々と舞い上がる。

 咲弥はドラゴンの首にしがみつきながら、「うひゃー」と声をあげることになった。


「すげーすげー。なんか、いかにも物理法則を無視した動きだねぇ」


「うむ。これはあくまで、飛翔の術式であるのでな。翼は滞空の補助に過ぎんのだ」


 ほとんど垂直に舞い上がったドラゴンは、そのまま水平移動に移行する。

 そうして眼下を見下ろした咲弥は、思わず息を呑むことになった。

 いつも麓から見上げている山の威容が、足もとに一望できたのである。


 七つもの峰を持つ、雄大なる山である。

 麓からは全面くまなく緑に覆われているように見えていたが、上空からは灰色の岩場や渓谷などが存在することもうかがえた。


 今はまだ昼下がりであるため、二月の陽光が燦々と山肌を照らしている。

 この高みからでは細かなところまで見て取ることはできないが、まるで山そのものが輝いているかのようだ。

 その美しさに胸を詰まらせながら、咲弥は思わずつぶやきをもらしていた。


「すっごいねぇ……じっちゃんも、こうやって空からこのお山を見下ろしたことがあるのかなぁ?」


「うむ。アトルたちの管理する畑まで出向くには、こうして空を移動するしかなかったのでな」


 咲弥が「そっか」と満足の吐息をつくと、ドラゴンもさまざまな感情をひそめた声音で「うむ」と応じた。


「あっ! あれがぼくたちのしゅーらくであるのです!」


 と、咲弥のすぐ後ろからアトルが弾んだ声をあげた。

 そのちんまりした指先の指し示す方向を見やった咲弥は、小首を傾げてしまう。そちらは咲弥の暮らす村落とは反対の方向であったが、巨大なダムや送電の鉄塔などが立ちはだかっているばかりであったのだ。


「アトルよ。其方たちとサクヤが共有しているのは、二つの世界が同期したこの山のみであるのだ。山の外に見える光景は、まったく異なるものになろう」


「あっ、そうだったのです! ついついうっかりしてしまったのです!」


 アトルはそのように答えていたが、咲弥には最初から理解が及んでいなかった。

 まったく異なる世界の中で、ただこの山だけが同じ存在として屹立しているというのは、いったいどういう状態であるのか――それを正しく理解できるのは、ドラゴンただひとりであるのかもしれなかった。


「……横から失礼いたします。二つの世界が同期しているとは、いったい如何なるお話なのでしょうか?」


 事情を知らないケルベロスが不思議そうに声をあげると、ドラゴンはいくぶん厳粛さを加えた声で答えた。


「言葉の通りの意味である。我は転移の術式の応用で、こちらの山を異界と同期させた。こちらのサクヤは、異界の側の住人となる」


「い、異界? 異界とは……海の外の世界という意味でありましょうか?」


「否。こちらとは異なる歴史を辿った並行世界という意味である。基本的な大気や大地の組成に大きな差はないので、同じ星であることに疑いはなかろうな」


 ケルベロスは、三つ首そろって絶句したようであった。

 やはり、魔法の文明を築きあげたというそちらの世界でも、これは規格外の話であるのだろう。


 すると、ドラゴンが「到着した」と宣言するなり、地上を目指して滑空した。

 風圧などは感じないが、ものすごい勢いで周囲の風景が流れ過ぎていく。咲弥は再び「うひゃー」と声をあげながらドラゴンの首を抱きすくめた。


 そうして到着したのは、広大な岩場である。

 かなり山頂に近いらしく、びっくりするぐらい空気が澄みわたっていた。


「おー、すっげー。この山には、こんなスポットもあったんだねぇ」


 ドラゴンの背中から飛び降りた咲弥は、ぐるりと周囲を見回した。

 フットサルができそうなぐらいのスペースで、切り立った崖の向こう側には隣の峰の山肌を見下ろすことができる。

 澄んだ空気と相まって、最高のキャンプスポットなのではないかと思われた。


「見晴らしはいいし、地面もけっこう平らだし、ペグさえ刺さればここを拠点にしたいぐらいだなぁ」


「左様か。それはまったくかまわぬが、まずは装備の補充であるな」


 ドラゴンは長い首をもたげて、崖と反対の側を見た。

 そちらは壁のように岩盤が立ちはだかっており、そこに洞穴がぽっかりと黒い口を開けていたのだ。


「ふむふむ。お宝の山は、あちらに保管されてるのかなぁ?」


「左様である。こちらも結界を張っているので、魔物や獣が潜んでいる恐れはない。サクヤたちにも、足を踏み入れる許しを与えよう」


 ドラゴンの尻尾がふわりと宙をかくと、きらめく光の粒のようなものが咲弥たちの頭上に振りかけられた。


「では、参るがよい。……サクヤたちには、明かりが必要であるな」


 ドラゴンがまた尻尾をひと振りすると、青白い鬼火が生まれいで、洞穴の内部を煌々と照らし出した。


「おー、すごいすごい。できればランタンも補充したかったんだけど、この魔法があれば十分かなぁ」


 咲弥の言葉に、ドラゴンは小首を傾げた。


「我も以前に同じような思いを抱いたのだが、トシゾウには不要と判じられている」


「あ、そーなの? じっちゃんは、何がお気に召さなかったんだろ?」


「うむ。青白い光というものは人の心に緊張の効果をもたらすため、キャンプには不向きであると申していたな」


 それで咲弥も、納得した。咲弥の使用しているLEDランタンも、あえての暖色系であったのだ。


「……かえすがえすも、我の生み出す炎は人の世にそぐわないということであろうな」


 ドラゴンがふっと目を伏せたので、咲弥はその首をぺちぺちと叩いた。


「もー、いちいち気にしないでいいってばぁ。それ以外の魔法は、みんな大活躍じゃん。そもそもドラゴンくんがこの山に魔法をかけてくれなかったら、あたしやじっちゃんがドラゴンくんと出会うこともできなかったんだからさぁ」


「うむ。またサクヤに、いらぬ気遣いをさせてしまったな」


 ドラゴンはやわらかく目を細めたが、ケルベロスの三対の視線に気づいて居住まいを正した。


「では、進むがよい。宝物は、この奥に保管されている」


 そのように告げるなり、ドラゴンは真紅の輝きを発してシベリアンハスキーぐらいのサイズに縮んだ。こちらの洞穴はかなりの規模であったが、もとの姿で足を踏み入れるのはさすがに窮屈であったのだ。


 そうして一行は、ふわふわと漂う鬼火に導かれるようにして洞穴の奥に進んでいく。

 黒い岩盤が青白い輝きに照らされて、なんとも幻想的な雰囲気である。

 そして、同行するのは真紅の竜に三つ首の狼、そして角の生えた亜人族の兄妹であるのだから――咲弥がもっと繊細な人間であったならば、夢とうつつの境も見失ってしまいそうなところであった。


「ひゃー! ほんとーに、おたからのやまなのです!」


 やがて洞穴の奥に到着すると、アトルが仰天した声をあげた。

 そちらには、まさしく宝の山がどっさり積み上げられていたのだ。


 絵に描いたような宝箱からは、金貨や宝石などがあふれかえっている。今にも動きだしそうな白銀の甲冑だの、宝石がちりばめられた剣や槍や斧のセットだの、用途もよくわからない奇怪なオブジェだの――それもまた、現実とは思えないような光景であったのだった。

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