07 星の花
しばらくして、ついにメインディッシュとなるふた品が完成した。
「お待たせしましたぁ。今日の献立は、炊き込みご飯と和風煮込みのお鍋でぇす」
トータルで一時間以上も火にかけていたため、ダッチオーブンの中身はすっかり煮詰まっている。
なおかつ、蓋も分厚い鋳鉄製であるダッチオーブンは密閉性が高く、圧力鍋に似た圧力効果が望めるのだ。それで頑強なるデザートリザードの肉がどれだけやわらかく仕上げられるかは、前回のロースト料理でも証明されていた。
他なる具材はダイコンとジャガイモとニンジンとタマネギの四種であるが、圧倒的な質量を誇っているのはダイコンとなる。
これはご近所の田辺老婦人からいただいた大量のダイコンを消費するための献立でもあったのだ。そのダイコンこそ、トングでつまむだけで崩れてしまいそうなほどやわらかく仕上がっていた。
咲弥はそれぞれの食器に、炊き込みご飯と和風煮込みを取り分けていく。
アトルたちは自前の木皿を持っているし、メスティンやコッヘルの蓋も空いているので、新参たる銀の食器も活用すればまったく不自由はなかった。
「ケルベロスさまも、おさけをおのみになるのです?」
チコがおずおず問いかけると、ケイが真っ先に瞳を輝かせた。
「酒! 酒まであるのかよ! なんの酒だ? 火酒か? 麦酒か?」
「こ、こちらはよすてびとのえつらくのかじつしゅなのです」
「『世捨て人の悦楽』? そんなもん、都じゃ高級酒じゃねーか!」
ケイはぶんぶんと尻尾を振りたてつつ、今にもはしゃぎ回りそうな風情である。
そしてルウとベエも表情は動かさないまま、ぴこぴこと尻尾を振っていた。
「そっか。ケルベロスくんたちは、食料庫に入らなかったんだっけ。こんなに喜んでもらえるなら、頑張ってお酒を作った甲斐があったねぇ」
「は、はい。ケイさまは、とてもかわいらしいのです」
「だ、誰が可愛いだよ! ふざけたこと抜かすと、その角をへし折ってやるぞ!」
そんな威勢のいい言葉を吐きながら、ケイはとても気恥ずかしそうだった。ふさふさの毛がなければ、頬が赤くなっていたのかもしれない。
ともあれ、『世捨て人の悦楽』の果実酒も人数分が準備される。咲弥と竜王はマグカップ、アトルとチコは木彫りのコップ、ケルベロスたちは銀の深皿だ。
顔が見えないと寂しいので、ケルベロスたちは台座に前足をのせた格好で料理を楽しんでもらうことにした。
「ではでは、いただきましょう。みなさん、ご堪能あれぇ」
かくして、ようやく食事の本番が始められた。
さんざん間食をしてしまったが、食欲が減退したメンバーはひとりとして存在しないようである。
まずは炊き込みご飯から口にした亜人族の兄妹が、「おいしーのです!」と声を張り上げた。
「おこめはトシゾウさまからもいただいたことがあるのですけれど、これははじめてのりょーりなのです!」
「ほんとーなのです! おこめそのものがおいしーおいしーなのです!」
「うんうん。悪くない仕上がりだねぇ」
デザートリザードの肉はやはりいくぶん歯ごたえが強いように感じられたが、これだけ小さく切り分ければ気にならない。そして、巨大キノコの豊かな風味が、炊き込みご飯の味をいっそう向上させているように感じられた。ほのかに香る『黄昏の花弁』の甘い香りも、好ましい限りである。
そして、アトルたちよりも勢いよく炊き込みご飯を食しているのは、ベエであった。その耳は垂れたままであったが尻尾はせわしなく振りたてられており、何よりその食べっぷりが彼の心情を物語っていた。
いっぽうケイは先刻の羞恥心も忘れた様子で、和風煮込みをがっついている。たとえ肉が好物であっても他なる具材をよけたりはせず、一緒に食しているようだ。それでこそ、肉の味もいっそう際立つはずであった。
「うーん。ダイコンもとろとろだねぇ。ちょっと火にかけすぎたぐらいかなぁ」
「それでも大ぶりに切り分けられているため、食感を楽しむことに不都合はない。きわめて、美味である」
スポークを扱うドラゴンは直食いのケルベロスたちほどがっつくことはなく、一定のペースで二種の料理を食している。
しかしその瞳の輝きは、他の誰にも負けていなかった。
「これまでの料理は刺激的であったが、本日の料理はきわめて心を安らがせてくれるようだ。やはり、サクヤの手腕というのは見事なものであるな」
「いやいや。なぁんも難しいことはしてないからねぇ。でも、みんなが美味しそうに食べてくれるのは嬉しいなぁ」
咲弥がそんな内心をこぼすと、ドラゴンがそっと耳もとに口を寄せてきた。
「あのケルベロスは、魔族でも屈指の危険なる存在であるのだ。それがああまで無邪気な姿をさらしているのは、ひとえにサクヤの度量に感服したゆえであろうな」
「そんなことないっしょ。ケイくんはちょっとやんちゃだけど、根っこは優しい子だろうからねぇ」
「否。サクヤの優しさこそが、ケルベロスの隠された内面を引き出したのであろう。少なくとも、我の知るケルベロスは勇猛さと冷酷さと残虐さをあわせもつ危険な存在であったのだ」
そのように言われても、サクヤにはピンとこない。
ただ、ドラゴンの優しい眼差しに心を満たされるばかりであった。
「まあ何にせよ、今日のキャンプも大成功だねぇ。これもドラゴンくんが大事なお宝を貸してくれたおかげだよぉ」
咲弥がマグカップを持ち上げると、ドラゴンもスポークをマグカップに持ち替えた。
そうしてチタンのマグカップを軽く打ち合わせてから、『世捨て人の悦楽』なる果実の酒を口に運ぶ。こちらの果実酒は、桃のような風味と甘さを持つ味わいであった。
「……竜王殿、折り入ってお願いしたき儀があるのですが」
ルウがそのように声をあげたのは、大量に作り上げた料理の七割がたがそれぞれの胃袋に消えたのちのことであった。
「もしよろしければ……私もこちらの山に住まうことをお許し願えないでしょうか?」
「ふむ。放浪の生活にも倦み果てたということであろうか?」
「はい。いずれの地に赴こうとも、他なる種族との戦いを避けることはかないませんし……この地であれば竜王殿の庇護のもとに安息を得られるのではないかという、浅ましき思いにとらわれての申し出と相成ります」
そのように語りながら、ルウは毅然と頭をもたげていた。
そのかたわらで、ケイとベエは素知らぬ顔でそれぞれの好物を食べあさっている。
「ふむ……そちらの者たちの心情をうかがう必要はないのであるな?」
「はい。たとえ意識が分かたれていようとも、心根はひとつですので」
ドラゴンはひとつうなずいてから、咲弥のほうに視線を向けてくる。
咲弥が期待を込めて見つめ返すと、ドラゴンは深い理解をたたえながら目を細めた。
「よかろう。では、其方にも我の仕事を手伝ってもらいたい」
「はい。竜王殿の仕事とは?」
「この山の、安寧を守ることである。我は二つの世界の融合が安定するように処置したが、まだ不安定な部分も残されているのでな。何処かで調和が乱れていないか確認するために、定期的に見回っているのだ。しかしこの山は広大であるので、其方の助力を願えればありがたく思う」
「承知いたしました。竜王殿のご温情に、心よりの感謝を申し上げます」
そんな風に言ってから、ルウはちらりと咲弥のほうに視線を向けてきた。
そして、ケイとベエも熱心に食事をあさりつつ、上目づかいに咲弥の様子をうかがっている。
それで咲弥がまとめて笑顔を返すと、三つの尻尾がまとめて振りたてられたのだった。
「ひゃーっ! なんだか、すごいのです!」
と、アトルがいきなり声を張り上げたため、咲弥は三頭のケルベロスとともにギクリと身をすくめてしまった。
その中で文句の声をあげたのは、やはりケイである。
「い、いきなり大声を出すんじゃねーよ! びっくりするじゃねーか!」
「も、もうしわけありませんのです! でも、ぼくもびっくりびっくりなのです!」
何事かと思ってアトルのほうを振り返ると、彼は横合いに目を向けている。
そちらは、切り立った断崖の方角であった。
その視線の先を追った咲弥は、思わず言葉を失ってしまう。
断崖の向こうの闇に、宝石のごとき輝きが散りばめられていたのだ。
「わーっ! なんだ、ありゃ?」
同じものを目にしたケイが、猛然たる勢いで崖のふちに駆けていく。
咲弥たちも、おっとり刀でそれを追いかけることになった。
すでにとっぷりと日は暮れているので、何もかもが闇に包まれている。
そして、断崖の向こうには隣の峰の山肌が広がっているはずであるが――その一面に、青とも緑とも黄ともつかない不思議なきらめきがいくつも灯されていた。
まるで、星空のヴェールが地上に投げかけられたかのようである。
それは蛍の光にも似ていたが、規模が尋常ではない。
闇が深くて判然としないが、おそらくは山肌のすべてに光の粒がまぶされているのだ。
そうして頭上を見上げれば星空が広がっているのだから、咲弥は宇宙空間で銀河に包まれているような心地であった。
「あれは、星の花であるな」
咲弥のすぐかたわらから、ドラゴンの低い声が響きわたった。
三頭のケルベロスと亜人族の兄妹はもっと際どい崖のふちまで進み出て、それぞれその信じ難い光景に見入っている。ケイとアトルとチコのはしゃぐ声が、とても遠くに感じられた。
「便宜上、我がそのように名付けた。おそらくは、二つの世界が融合したことにより生まれた新たな種であるのであろう」
「それじゃあ……こんなすごい光景を見られるのも、ドラゴンくんのおかげってことかぁ」
咲弥は名付け難い感情に胸を震わせながら、そのようにつぶやいた。
ドラゴンは、とても優しい声音で「うむ」と応じる。
「星の花は、冬の終わりに咲くようだ。春の訪れなど、まだまだ先ではないかと考えていたが……存外、間近に迫っているようであるな」
「うん、そっか。……ねえ、じっちゃんもあの花を見たことがあるの?」
「うむ? 星の花は、あちらの峰のあの位置にしか生息していないようであるのだ。あれを目にするにはこの場所にたたずむ必要があるので、トシゾウが目にする機会はなかったろうな」
「そうなんだね。……じゃ、じっちゃんはこの場所まで来たこともないってこと?」
「うむ。トシゾウが足を踏み入れたのは、アトルとチコに任せた畑ぐらいであるな」
「……そうなんだね」と、咲弥は繰り返した。
ドラゴンはいくぶん心配そうに、横から咲弥の顔を覗き込んでくる。
「どうしたのであるか? サクヤは……いくぶん普段と様子が違っているように見えるのだが」
「ごめんごめん。別に落ち込んだりしてるわけじゃないから、心配はご無用だよぉ」
咲弥が心からの笑顔を届けると、ドラゴンもほっとした様子で目を細めた。
「落ち込むどころか、その反対かなぁ。今までは、じっちゃんと同じ思いを辿れるのが嬉しかったんだけど……これは、じっちゃんも知らなかった楽しさなんだもんねぇ」
「ふむ。それが、嬉しいのであるか?」
「嬉しいっていうのとは、ちょっと違うのかなぁ。なんか、気合が入ったっていうか……もっともっと楽しんでやろうって気持ちがわきたってきたんだよねぇ」
気持ちも考えもまとまっていない咲弥は、心に浮かぶ思いをそのまま言葉にするしかなかった。
そんな咲弥の姿を、ドラゴンは優しい眼差しで見守ってくれている。
「じっちゃんはせっかくドラゴンくんと仲良くなれたのに、二年足らずでお別れすることになっちゃったわけでしょ? もっと長生きしてれば、こんな楽しさも味わえたはずなのにさ」
「うむ。トシゾウはあまり好奇心の旺盛な人柄ではないようであったが……楽しいと思う心地に変わりはなかろうな」
「うん。だから、この山をプレゼントされたあたしは、じっちゃんの分まで楽しんであげないとなぁとか思っちゃったりなんかしてさ。なんか、うまく説明できないけど……この山の楽しさを、ひとつ残らず味わってみたいんだよねぇ」
そう言って、咲弥はもういっぺんドラゴンに笑いかけた。
「でも、あたしひとりじゃこの山を制覇することはできそうにないからさ。ドラゴンくんも、協力してくれる?」
「それを断る理由があろうか?」
それが、ドラゴンの返答であった。
咲弥は満ち足りた思いで、また正面に向きなおる。
星の花は、今もなお燦然ときらめいていた。
ひとつひとつの輝きはささやかなものであるが、それが無数に寄り集まることでこれほどの美しさを形づくっているのだ。
ドラゴンの言う通り、祖父はそれほど好奇心の旺盛な人間ではなかった。
咲弥が初めて出会った十二年前のあの日から、祖父は充足しきっていたのだ。
伴侶に先立たれて、実の娘からはいないもののように扱われて、このような山奥で孤独に過ごしながら――祖父はいつも眠たげな目つきで、満足そうに微笑んでいたのだった。
その血筋は、咲弥にも確かに受け継がれているのだろうと思う。
母は祖父を拒絶していたが、咲弥は最初から祖父に共感を抱いていた。ひとりで気ままに生きていくことができる祖父の人柄は、隔世遺伝で咲弥に継承されていたのだ。
だが――咲弥は祖父と出会ったことで、今まで以上の楽しさを知ることができた。ひとり気ままのソロキャンプは十分に楽しかったが、祖父とのデュオキャンプはそれ以上の楽しさであったのだ。
そして咲弥はドラゴンと出会い、アトルやチコと出会い、ケルベロスたちと出会い――いっそうの楽しさを知ることができた。
祖父が知らないこの岩場で、祖父が知らない宝物をキャンプギアにして、祖父の知らない美しい光景を見て――こんなに幸福な心地を抱くことができた。
きっと祖父もこの場にいたならば、咲弥と同じ思いであったことだろう。
『ほりこし』の美味しさだけは共有できなかったが、きっとケルベロスとは仲良くなれただろうし、ドラゴンの宝物には感心しただろうし、この光景には目を奪われていたはずであった。
しかし祖父は、もうそんな楽しさを味わうこともできない。
であれば、この山を受け継いだ咲弥が何もかも楽しみ尽くすべきではないのか――と、言葉にすると、そんな話になるのかもしれなかった。
(ま、理屈なんてどうでもいいさ)
咲弥はただ、この胸の内側に満ちる思いに従うのみである。
その第一段階として咲弥がドラゴンの首を撫でると、彼は無言のまま目を細めて咲弥の思いに応えてくれたのだった。
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ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
次回の更新は12月中旬を予定していますので、少々お待ちください。
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