07 レッツ・クッキング!

 かくして、すべての下処理が完了した。

 作業台には、これまでの成果がずらりと並べられている。基本的な食材の質量は、魚の身だけで過去最大なのではないかと思われた。


 まず八尾のニジマスモドキは串打ちをされた状態で塩をまぶされて、アルミホイルの上に横たえられている。

 巨大魚たる『大喰らい』の内臓の山は、ダッチオーブンに収められた。

 そして『大喰らい』の巨大な胴体は、すべてブロックに切り分けられている。鱗を剥がすのはなかなかの手間であったため、半分は鱗がついた状態のままだ。これはこのまま、網焼きで仕上げる算段であった。


 表皮が分厚い上に胃袋が巨大であったため、想像よりは可食部が少なかったが――それでも、体長百センチを超える巨大魚である。すべての肉を合計すれば、五キロは下らないだろうという目算であった。


「いやぁ、立派なもんだねぇ。アトルくんとチコちゃんがいなかったら、下処理だけで半日がかりだったよぉ」


 咲弥がそのように告げると、仲良し兄妹は充足しきった笑顔で「とんでもないのです!」という声を合唱させた。


「それではいよいよ調理に取りかかりたいところだけど……こいつは何をどう考えたって、火元が足りなそうだよねぇ」


 こちらが所持してる火元は、五つ。三台のバーナーと二台の焚火台である。なおかつ焚火台の片方では、いまだに『大喰らい』の頭部がじゅわじゅわと焼きあげられているさなかであった。


「串焼きは兜焼きの完成を待ってもいいけど、バーナーは炊飯で全部使う予定だからなぁ。鍋と焼き物も順番に仕上げるしかないかしらん」


「ふむ。地面に直接火を焚くと、地中に悪い影響が出かねないという話であったな。トシゾウもかねがねそのように気づかっており、我もありがたく思っていたものだ」


 とても優しい眼差しで、ドラゴンはそう言った。

 そしてその黄金色に瞬く瞳が、玉虫色に輝くタープに向けられる。


「そこで、提案であるのだが……『精霊王の羽衣』をいったん地上に下ろして、その上で火を焚いてはどうであろうか?」


「ええ? あの綺麗な織物の上で、火を焚いちゃうのぉ?」


「うむ。以前にも説明したかと思うが、『精霊王の羽衣』には炎や冷気や風雨を退ける力が備わっているのだ。焚火ていどでは焦げ目のひとつもつくことはあるまいし、熱も遮断するはずである」


 それにしても、あの美しい織物の上で火を焚くというのは、あまりに恐れ多いことだ。

 しかし、背に腹は代えられない。咲弥はしばしの逡巡ののち、ドラゴンの提案を受け入れることにした。


 まずは実験で、新たに火を焚いた焚火台の上に織物をかぶせてみる。炎が透けて真っ赤に輝いたが、おそるおそる触ってみても熱さを感じることはなく、裏返してみても玉虫色の輝きに変化はなかった。


「ほんとだぁ。防熱シートなんて目じゃないぐらい、熱に強いんだねぇ」


「うむ。『精霊王の羽衣』には五大元素のすべての効力が備わっているがゆえに、相反する元素の作用を無効化することがかなうのだ。……火竜族が吐く滅びの炎であれば、そのような道理ごと焼きはらうこともかなおうがな」


 ドラゴンがふっと目を伏せたので、咲弥は無言のままその背中をぺしぺしと叩くことにした。


「じゃ、鍋をこっちで仕上げることにしよっかぁ。まずは、土台の設置だねぇ」


 巨大な『精霊王の羽衣』は四つに折り畳み、その上に石で土台を築いていく。空気の抜け道も作らなくてはならいため、なかなかに難儀な話であったが、数分ていどで野趣あふるる手製のかまどが完成した。


 その中心に火を育てて、ダッチオーブンを設置する。内臓にはすでに塩をもみこんでいるので、そこに適量の水と味噌と調理酒を注ぎ入れて、白菜に似た『黄昏の花弁』と巨大キノコの切り身もどっさり追加した。


 短い時間でしっかり熱を通すべく、蓋を閉めたダッチオーブンの上に焼けた炭を積んでいく。

 それらの作業を終えてから、咲弥は「ふう」と身を起こした。


「こんなことなら、長ネギでも準備しておくんだったなぁ。まあでも、これは予定外の献立だしねぇ。……ではでは、次の献立に取り掛かりましょう」


 お次は、鱗と皮つきのブロック肉である。

 こちらはさまざまな味付けを楽しむべく、塩をふらずにそのまま焚火台の火にかけることにした。


「あんまり小さく切り分けると、巨大魚の醍醐味がなくなっちゃうからねぇ。ゆっくりじっくり炙り焼きにすることにいたしましょう」


 そうして最後に残されたのは、鱗を剥がした半身のブロック肉であった。

 これだけで、ざっくり二・五キロという目算である。これだけあれば、いくらでも調理を楽しめそうなところであった。


「とりあえず、炊き込みご飯の具材として使わせていただくねぇ」


『大喰らい』の身は、綺麗なサーモンピンクをしている。それを端から小さく切り分けて、炊き込みご飯の具材とした。他なる具材は、あら鍋でも使用した巨大キノコである。


 巨大キノコの傘も赤とオレンジのツートンであるため、実に派手派手しいカラーリングとなる。生米を水に漬けていた二台のメスティンと兵式飯盒にそれらの具材と調味料を添加して、三台のバーナーの火にかけた。


 これにて火元はすべて埋まったが、作業台にはまだ巨大なブロック肉が残されている。

 もちろん『精霊王の羽衣』のスペースにはまだゆとりがあったが、咲弥は火を使わない献立を考案していた。


「ちょっと試してみたいことがあるんだけど、量が量だからまずは味見をしていただくねぇ。アトルくんとチコちゃんは、いちおう作業の手順を覚えてもらえる?」


「りょーかいなのです! どんなりょーりなのか、わくわくなのです!」


 アトルやチコと一緒になって、ドラゴンもひそかに瞳を輝かせている。いっぽうケルベロスはうろんげな眼差しであり、スキュラは相変わらずの皮肉っぽい笑顔であった。


 それらの七対の眼差しに見守られながら、咲弥はブロックから切り分けた身を渓流ナイフでたたきにしていく。最初の献立は、なめろうであった。


(まあ、なめろうってのは青魚だった気がするけど……川魚だって、悪いことはないだろうさ)


 サーモンピンクの身があるていど細かく切り刻まれたならば、調味料を添加する。みじん切りにしたニンニクとチューブの生姜と味噌の三種だ。持参した食材はニンニクとタマネギのみであったが、調味料だけはいつも通りどっさり携えていた。


 さらに細かくたたいて各種の調味料が馴染んだならば、ひとまず完成である。

 咲弥はその成果をコッヘルの蓋に移して、「よしよし」とほくそ笑んだ。


「まずは、あたしが責任をもって味見させていただくねぇ。問題なかったら、みんなもよろしくぅ」


 生食でも問題はないという話であったが、味のほうまではわからない。味噌の影響でいくぶん色合いが濁ったなめろうを、咲弥はスポークで口に運んだ。


 まずは、調味料の香りが鼻に抜けていく。味噌にニンニクに生姜というラインナップであるのだから、香りも強烈だ。

 魚の生臭さを緩和させるために、そういった調味料が必要なのであろうが――お味のほうは、申し分なかった。川魚にしては魚らしい風味が強かったが、それはそれでなめろうらしい力強い味わいであった。


「うん。あたしとしては、文句のない味わいだなぁ。みんなも、確認してくれる?」


「うむ。生鮮の魚を食するのは初めての体験であるので、期待が高まるところであるな」


 まずはドラゴンが自前のスポークで、なめろうをすくいあげる。

 そうしてその大きな口でなめろうを食すると、黄金色の瞳が明るく輝いた。


「これは、美味であるな。魚の風味が豊かであるし、それが各種の調味料によって絢爛に彩られている。火を通した魚とは、まったく趣の異なる味わいであるようだ」


「お気に召して、何よりだよぉ。さあさあ、みんなもどうぞぉ」


「わーい! おしょーばんにあずかるのです!」


 アトルとチコは、咲弥の祖父から贈られた木製の匙でなめろうをすくいあげる。そちらの両名は、たちまち驚嘆の面持ちになった。


「おさかなは、はじめてくちにしたのです! ふしぎなかおりがしますけれど、おいしーおいしーなのです!」


「そっか。砂漠に魚はいないだろうしねぇ。……スキュラさんは、分身でも味とかわかるのかなぁ?」


「ふふん。あたしにも、そいつを喰らえって言うのかァい? そいつには、あんたの世界の薬味がふんだんに使われてるんだろォ?」


「うん。でも、みんな美味しそうに食べてるよぉ」


 すると、ドラゴンが穏やかな眼差しをスキュラに向けた。


「サクヤの世界の食材も構成物を解析して、我々にとって害がないことを確認している。好みに合うかどうかは本人次第であるが、危険がないことは保証しよう」


「ふん……」と鼻を鳴らしつつ、スキュラはコッヘルの蓋に盛られたなめろうを睥睨する。

 そしてしばらくの沈黙ののち、そのしなやかな指先がなめろうをすくいあげた。

 妙に妖艶な仕草で、スキュラは指先のなめろうを血の気の薄い唇に運ぶ。

 その末に、スキュラは透き通るように白い肩をすくめた。


「こんなに味が強いのは、魚の香りを消すためなのかァい? それじゃあ、なんのために魚を喰らうのかもわからないねェ」


「正確には、臭みを消すためかなぁ。そうしたら、こんなに美味しく感じるわけだからねぇ」


 そのように応じてから、咲弥はケルベロスに向きなおった。

 凛々しいルウと陰気なベエは相変わらずであったが、ケイはどこか子供がむくれているような面持ちである。そしてケイは、その表情に相応しい声で語った。


「……どうしても、俺に生の魚を食えってのかよ?」


「うん。本当に嫌だったら、無理をする必要はないけどさぁ。あたしはこれを美味しいと思うから、ケルベロスくんにも美味しいって思ってもらえたら嬉しいなぁ」


 咲弥がのんびり笑いかけると、ケルベロスは無言のままに黒い竜巻と化した。

 そののちに現れるのは、三頭に分裂した姿だ。一頭ずつが大型犬ぐらいのサイズをした、雄々しくも愛くるしい姿であった。


「ありがとぉ。よかったら、ルウくんとベエくんもよろしくねぇ」


「はい。肉を食して大きな喜びを得るのは右の首ですが、私は最初から興味深く拝見していました」


「うむ……サクヤから最初に頂戴した魚の肉も、美味であったからな……」


 ルウとベエは順番に、コッヘルの蓋のなめろうを舌ですくい取った。

 ケイはあくまで仏頂面で、最後に首をのばす。

 しかし、最初にぴこんと尻尾を跳ね上げたのは、ケイであった。


「どうどう? 悪くない仕上がりでしょ?」


「……これっぽっちじゃ、わかんねーよ」


 そんな風に言いながら、ケイの尻尾は躍動をこらえるようにぷるぷると震えている。咲弥は至極やすらかな心地で、「そっか」と答えた。


「じゃ、残りの身も仕上げちゃうねぇ。アトルくんとチコちゃんも、お手伝いをよろしくぅ」

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