04 異界の農園
「しかしケルベロスの分まで食事を準備するとなると、いささか食材が不足するのではなかろうか?」
ドラゴンがそのように言い出したため、一行は再び移動することになった。
次に向かうは、アトルとチコが管理する畑である。そちらには、まだまだ余分の収穫物がたんまり残されているという話であったのだ。
ドラゴンのぽかぽかと温かい背中に乗って、再び天空に舞い上がる。
ドラゴンが目指したのは、西から五つ目と六つ目の峰の狭間であり――そこに待ち受けていた光景に、咲弥は思わず「うわあ」と声をあげてしまった。
深い緑に囲まれて、実に広大なる畑が広がっている。
さすがに山中であるので三日月のように細長く湾曲した敷地であるものの、片方の端からは果ても見渡せないほどの広大さであった。
「すっげー……こんなだだっ広い畑を、二人きりでお世話してるのぉ?」
「はいっ! おせわのしかたはトシゾウさまからごきょーじされているので、たいしたくろうではないのです!」
アトルの言葉に、ドラゴンも「うむ」と首肯した。
「まあそれも、コメコ族の頑強な肉体あってのことなのであろうが……ともあれ、この山の作物は生命力が強く、そちらの世界の作物よりも面倒が少ないという話であったな。トシゾウも、たいそう感心していたものだ」
「うん、そっか……まあ、じっちゃんも若い頃はあんまり人を使わずに、だだっ広い畑を管理してたみたいだけど……」
そんな祖父が晩年になって、山中にこのような畑を切り開くことになったのだ。
祖父の辿った数奇なる人生に、咲弥はあらためて感じ入ってしまった。
「ただ、現在は冬であるからな。畑の七割がたは、眠っているさなかなのであろう?」
「はいっ! もうちょっとあたたかくなったら、もっといろんなさくもつをしゅーかくできるのです!」
「そっかぁ。そいつは楽しみなところだねぇ」
咲弥が笑顔を届けると、アトルとチコもはにかむように笑ってくれた。
「あっ! それと、このまえはおとどけできなかったさくもつもあるのです!」
ちょこちょこと歩くアトルを先頭に、一行は湾曲した畑に沿って進軍する。
その末にアトルが指し示したのは、畑ではなく山林のほうであった。
「こちらなのです! なまえはわからないのですけれど、おいしーおいしーなのです!」
咲弥は「ほえー」と間のぬけた声をあげることになった。
山林の茂みの隙間から、冗談のように巨大なキノコが顔を覗かせていたのだ。傘の直径は二十センチばかりもあり、しかもオレンジ色のベースに真っ赤な水玉という派手派手しいカラーリングであった。
「すっげー。なんか、食べたら巨大化しそうなデザインだねぇ」
「ふむ。それはそちらの世界の住人の意識を一万名ほど精査した我にしか理解の及ばぬ冗談口であるようだな」
「ドラゴンくんだけでも理解してもらえたら幸いだよぉ。これも、食べられるの?」
「うむ。そちらの世界のキノコと掛け離れた味わいではないように思う。むろん、危険がないことも解析済みである」
ということで、そちらの巨大キノコも三本だけ頂戴することに相成った。
「あとの収穫物は、あちらの小屋に保管されている」
ドラゴンにうながされて進軍を再開させると、やがてその小屋が見えてきた。
草葺きの屋根に土壁で、いかにも簡素な造りであったが、なかなかの大きさだ。
その内部には、咲弥にもお馴染みである三種の作物および巨大な水瓶がどっさり保管されていた。
「果実酒も、こちらで作りあげられている。本日は、もう片方の果実酒を持ち出してはどうであろうか?」
「はいっ! おーせのままに!」
チコがぱたぱたと駆け出して、何本かの土瓶を抱えて戻ってくる。
以前にいただいた『イブの誘惑』の果実酒と区別をつけるためか、土瓶に赤いしるしがつけられていた。
「こちらは『世捨て人の悦楽』の果実酒である。『世捨て人の悦楽』は温暖な季節にしか収穫できないため、冬に備えて作り置きを申しつけたのだ」
「はいっ! こちらもイブしゅにまけないぐらい、おいしーおいしーなのです!」
「それは楽しみだねぇ。そういえば、ケルベロスくんはお酒のほうは――」
そこで咲弥は「あり?」と小首を傾げた。
小屋の中に、ケルベロスの姿がなかったのだ。
「ケルベロスは、小屋の手前に控えている。何かの作物に気を取られているようであるな」
「ふーん? どうしたんだろ」
三種の作物と果実酒の土瓶を草籠に積んで小屋の外に出てみると、ケルベロスは畑ではなく山林の樹木を見上げている。そして、咲弥たちの視線に気づくと、真ん中の首が恭しげに頭を垂れた。
「失礼いたしました。こちらも、畑の実りなのでしょうか?」
「うむ。そちらは『イブの誘惑』であるな」
そちらの樹木を見上げた咲弥は「ひゃー」と声をあげてしまった。
深い緑色をした葉の陰に、黄金色に輝くリンゴのごとき果実が実っていたのだ。
「これは確かに、魅惑的な姿だねぇ。あれって、食べられるの?」
「はいっ! おさけにしなくても、あまくてすっぱくておいしーおいしーなのです!」
「ふーん。それじゃあ、食後のデザートにどうだろう?」
咲弥の提案が受け入れられて、『イブの誘惑』もいくつか収穫されることになった。
瞳を輝かせてそのさまを見守っていたのはケルベロスの真ん中の首のみであり、左右の首はまったく無関心の様子である。
「……どーでもいいけど、俺は腹がぺこぺこなんだよ。いつになったら、メシにありつけるんだ?」
いつも強気な右側の首がへたばった声をあげると、ドラゴンはずいぶん穏やかさを増した眼差しで見返した。
「三日も食事を口にしていなかったのならば、心も朽ちる寸前であろうな。サクヤよ、手間をかけるがよろしく願えるであろうか?」
「もちろんさぁ。じゃ、あっちに戻って拠点作りだねぇ」
咲弥がそのように応じると、亜人族の兄妹は「わーい!」と腕を振り上げて、ドラゴンとケルベロスはそれぞれ瞳を輝かせた。
そうして三たびドラゴンの背中に乗って、洞穴のある岩場に舞い戻る。
その地の景観をあらためて見回した咲弥は、「うーん」と悩ましいつぶやきをもらした。
「やっぱここは、最高の見晴らしだねぇ。ここを拠点にできたら、ウキウキだったんだけどなぁ」
「うむ? であれば、拠点にするがよかろう?」
「いやいや。いくら何でも、ここにペグは刺せないっしょ」
咲弥が爪先で足もとの岩盤を小突くと、ドラゴンは不思議そうに小首を傾げた。
「『昏き眠りの爪』と『聖騎士の槍』であれば、このていどの岩盤は土くれも同然であろうかと思うぞ」
「えー? それって、パワーありきの話じゃないのぉ? ドラゴンくんの力をお借りするのが嫌なわけじゃないんだけど……テントやタープぐらいは、自力で設置したいんだよねぇ」
咲弥のそんな返答に、ドラゴンは優しげに目を細めた。
「であれば、試してみるがよい。サクヤの思いもまた、岩を通すほどの力を持っていようからな」
そうしてドラゴンは尻尾の先端を洞穴の内側にくぐらせると、どっさり物資がのせられた巨大な台座を軽々と運び出した。
それを岩盤の上におろしたならば、今度は虚空に魔法陣を描いて咲弥の愛車を出現させる。
咲弥は半信半疑のまま、コンテナボックスからペグハンマーを取り出した。
そうして、奇怪な紋様が刻みつけられた禍々しい杭を一本ぬきとって、硬い岩盤に打ち込んでみると――ほどほどの手応えで、杭の先端がずぶずぶと岩の内側にめりこんでいったのだった。
「わー、マジで? これも、魔法の力なの?」
「否。あくまで、玄鋼の硬度の恩恵であろうな。魔法の力は、その精製の過程で使われているにすぎん」
では、『聖騎士の槍』はどうかというと――こちらもまた、ちょっと勢いをつけて振り下ろすだけで、岩盤にずぶりと突き刺さったのだった。
その周囲には、亀裂が入ることもない。それぐらいの鋭さで、すみやかに岩盤を貫いているのだ。咲弥の世界では考え難い現象であった。
「すっげー。なんか、カンドーしちゃった。……じゃ、ここを拠点にしてもいいかなぁ?」
「それに反対する者はあるまい。こちらはずいぶんな高台であるが、それほど強き風が吹くこともないようであるしな」
ドラゴンの温かい言葉に、咲弥はぐんぐんと気合がみなぎっていくのを感じた。
高台ならではの澄みわたった空気に、断崖の向こうに広がる景観が、さらに咲弥を昂揚させていく。十年以上にわたってキャンプを楽しんできた咲弥でも、このような環境で設営するのは初めての体験であったのだった。
「よーし、それじゃあ設営を始めようかぁ。アトルくん、チコちゃん、今日もよろしくねぇ」
「はいなのです!」という頼もしい合唱とともに、咲弥たちは設営を開始した。
まずは広々とした岩場のど真ん中まで移動して、二枚のグランドシートを広げる。ふた組のインナーテントを組み上げたならば風向きを読んで入り口の向きを決定し、『昏き眠りの爪』でもって固定した。
ペグハンマーは二本しかないので、アトルなどは手頃な岩を代用にしていたが、『昏き眠りの爪』は傷ひとつつくことなく岩盤の中にうずまっていった。
「よしよし。お次は、タープだねぇ」
咲弥のテントの前には自前のタープを張り、祖父のテントの前には『精霊王の羽衣』なる織物を広げる。そちらは四隅と四辺の真ん中に小さな銀の環が取り付けられていたので、タープとして設置するのにうってつけであった。
ポールの代用である『聖騎士の槍』は、もちろん穂先を下側にして使用する。ポールの先端を地面に刺す必要はないのだが、刺したら刺したでいっそう安定感が増すようだ。ただし、のちのちの事故を防ぐために、穂先は残らず地中に沈める必要が生じた。
そうして『精霊王の羽衣』が三メートルの高みに持ち上げられると、咲弥たちの頭上で玉虫色の織物が美しくきらめいた。
その美しさに「わあ」と瞳を輝かせたのは、チコだ。おもに機能美を追い求める咲弥でも、それは溜息を誘発されるほどの壮麗さであった。
しかるのちに、『祝福の閨』の運搬はドラゴンにお任せして、咲弥と兄妹はコンテナボックスやウォータージャグや米袋を運び込む。
そうして、設営は完了し――咲弥の胸に、また深い感慨をもたらしたのだった。
「いやぁ、立派だねぇ。これがグルキャンの然るべき姿かぁ」
ふた組のテントにタープ、ふた組のコンテナボックスと焚火台、巨大な台座に、ウォータージャグとクーラーボックス、ローチェアとローテーブルとグリルスタンド――いささか変則的であるものの、グループキャンプを行うのに不足のない設備だ。
なおかつ、テントとコンテナと焚火台のひと組ずつは祖父の持ち物であり、白い台座にはドラゴンのお宝がどっさり山積みにされているのである。
これは咲弥と祖父とドラゴンの装備を結集させた結果なのだと思うと、咲弥の胸にはいっそうの感慨があふれかえった。
「あ、でも……作業台の高さは、どうだろう? チコちゃんたちは、問題なさそう?」
作業台たる『祝福の閨』は、高さが五十センチていどとなる。
あらためて見ると、背丈が一メートル弱であるチコたちには、いかにも中途半端な高さであった。
「えーとえーと……はいっ! このようにすれば、ちょーどいいのです!」
と、チコは『祝福の閨』の前で膝立ちの姿勢を取った。
「いやいや。ずっとその姿勢じゃ、しんどいでしょ。コンテナを椅子代わりにしてみよっかぁ」
咲弥が使用しているコンテナボックスは頑丈であるので、人が乗っても問題はない。アトルやチコぐらい小柄であれば、二人まとめてでも支障はないだろう。
ただし、コンテナボックスもそれなりのサイズであるため、チコたちが座ると完全に足が浮いてしまう。そうして前傾の姿勢を取ると、コンテナボックスが倒れてしまいそうな危うさが感じられた。
「うーん。ローチェアはひとつしかないし、こいつはちょっと悩ましいところだなぁ。……ドラゴンくん、もういっぺんお宝の山を拝見させてもらえる?」
「チコたちが座るための、椅子であるな? ひとつ思いついたことがあるので、しばし待っていてもらいたい」
そのように告げるなり、ドラゴンは単身で飛び去っていく。
ケルベロスが少なからず驚きに打たれた様子でその姿を見送っていたので、咲弥は笑顔を届けることにした。
「自分がいなくてもケルベロスくんは悪さをしたりはしないって、信用してるんだろうねぇ。もちろんあたしも、おんなじ気持ちだよぉ」
「……はい。竜王殿とサクヤ殿の信頼を勝ち取れたのでしたら、心よりありがたく思います」
真ん中の首は厳粛な面持ちで一礼し、右側の首は「へんっ!」とそっぽを向き、左側の首は陰気に目をそらす。しかしやっぱり尻尾はぱたぱたと振られているので、咲弥は微笑ましい心地であった。
しばらくして、ドラゴンは悠然と舞い戻ってくる。
その尻尾には、直径三十センチ、長さは一メートルもありそうな、実に立派な丸太が巻きつけられていた。
「おー、すっげー。この短時間で、伐採してきたの?」
「否。樹木が過密になると山の調和が保てないため、以前に大規模な伐採を試みたのだ。しかし、こちらの都合で伐採した樹木を腐らせてしまうのは不憫であったし、いずれは焚きつけにでも使えるのではないかと考えて、風通しのよい峡谷に保管していた。……これを望みの長さに寸断すれば、椅子の代わりにできるのではなかろうか?」
そうしてドラゴンに耳打ちされたアトルは目を輝かせながら洞穴の内に駆け込んでいき、その身の丈よりも長い大剣を抱えて戻ってきた。
「これが『竜殺し』の大剣である。……ケルベロスよ、これでこちらの丸太を寸断してもらえまいか?」
「あん? どーして俺が、そんな面倒な真似をしなくちゃならねーんだよ?」
「キャンプとは、苦労と喜びを分かち合う場であるのだ。其方もほどこしを受けるばかりでは、誇りが傷つこう?」
ドラゴンが楽しげに目を細めつつそのように告げると、右側の首は「ふん!」と鼻を鳴らしてから大剣の柄をくわえこんだ。
「こちらを、どのていどの長さに切るべきでしょうか?」
右側の首の口がふさがったので、真ん中の首がそのように問うてくる。
咲弥はチコたちの体のサイズを検分し、三十センチていどの見当で丸太にナイフでしるしを刻みつけた。
ドラゴンは反対側の先端に尻尾を巻きつけたのち、天空に舞い上がって、丸太を宙吊りにする。ケルベロスは大剣をひと振りして鞘を放り捨てると、白銀の刃を丸太に叩きつけた。
岩塊をも輪切りにできる『竜殺し』は、バターでも切るように丸太を一刀両断にする。それが何度か繰り返されると、あっという間に二脚の丸太椅子が完成した。
「すごいのです! きりくちがまっすぐですべすべなのです!」
「うむ。上下の断面が正確に平行の角度であるようだ。其方は剣の扱いにも長けているのであるな」
「へへん! 動かねーもんをぶった切るぐらい、楽勝だろ!」
そんな風に言いながら、右側の首はとても得意げな面持ちである。
その愛くるしさに触発されて、咲弥はこっそり忍び寄ることになった。
「ケルベロスくんは、いい子だねぇ。それでは、ごほうびを進呈いたしましょう」
右側の首が「ぎゃーっ!」とわめいたのは、咲弥がその首を抱きすくめたためであった。
「うーん。期待通りのモフモフだなぁ。このチャンスをずっとうかがってたんだよねぇ」
「お、お前、なんなんだよ! 俺は魔族の、ケルベロス様だぞ?」
「ぬっふっふ。なんと言われようとも、このモフモフの誘惑にはあらがえないのです」
咲弥がおのれの欲求を思うさま満たしてから身を離すと、ケルベロスは子犬のように逃げて丸太の陰に隠れてしまった。
咲弥は「にひひ」と笑いつつ、視線を感じて横合いを振り返る。
そちらでは、ドラゴンが静かな眼差しで咲弥のことをじっと見つめていた。
「あー、いや、そのぉ……ドラゴンくんのすべすべのお肌は至高の感触なのですけれども、モフモフにはモフモフならではの魅力が存在いたしますので……」
「うむ。サクヤが楽しそうで、何よりであるな」
ドラゴンが楽しげに目を細めたので、咲弥は「てへへ」と頭をかいた。
「ではでは。喜びと苦労の共有も一段落したところで、調理を開始しますかぁ」
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