【5】残当と言われて

 大学職員は出勤したときから無数の電話対応に追われていた。


 ――この大学は未成年の飲酒を許すのか。

 ――大学生としてあるまじき行為にどう対処するつもりか。

 ――お前らはあんな不良学生を野放しにするつもりか。


 受話器を置いたら一秒もしないうちに次の苦情が襲い掛かる。職員はただただ電話口で平謝りするだけだ。


「何てことをしてくれたんだ!」


 そこに彩音あやねたちが青い顔で職員室に入ってきた。事前に電話連絡し、登校と同時に彼ら彼女らを叱責したのは初老の学長だった。そして職員室にも同じ怒号が響いて学生は震え上がった。


「お前らはこれがどんな事態なのか解っているのか!」


 SNSが炎上した。昨日の焼肉屋の飲酒が動画に撮られていた。心当たりはあった。通路の向かいの席にほかの大学の学生らしき人がいた。だが大学生で飲酒は珍しくないと知っていたから、そのときは誰も気にしなかった。


 でも実際は通学の段階から彩音たちは同級生に何度も呼び止められた。炎上は怖い。個人情報を特定されアンチに粘着される。それがアルバイトや就職に影響することを、中学や高校のネットリテラシー教育で知っていたのに。他人事だと思っていた事態にうろたえる彩音たちに学長は容赦なかった。


「入学時の説明会でも言ったぞ。成人する日まで飲酒は絶対禁止だと。破った者は退学もあり得ると。それを忘れるとは。お前らタダで済むと思うな」


 彩音だけでなくほかのリア充どもも涙目になっていた。大学の名を汚す行為をそうやって懲らしめようとする学長。そこに現れたのは快晴はるかだった。彼女は職員室の入口から真っ直ぐ進み、彩音の胸をいきなり突き飛ばした。


「不真面目だけじゃなくて大学に迷惑かけて。大学の評判が落ちて、私たちの就職に影響があったらどう責任取るつもりなの」


 ほかのリア充たちに体を起こされ彩音が反論した。


「たかがお酒で。これが一流大生なら適当に流されてた。Fラン大学だから叩かれるんだ」


 こんな理不尽が許されてたまるか。


「何を言っても犯罪は犯罪よ。朝倉彩音あさくらあやね

福井ふくいもやめろ!」


 鳴りやまない電話を後ろに学長が二人を怒鳴り付けた。一瞬だけ静かになったところで学長は近くの事務椅子に腰を落とした。今までの激昂はどこへやら。彼は静かに呟いた。


「あのなあお前ら。私はこの事態を大事おおごとにはしたくないんだ。お前らが本当に反省するなら、退学とかはさせないから。お前ら。ネットのクレーマーを納得させるには、どんな処分が適切なのかをいっしょに考えてくれないか?」


 他校で極貧の准教授を何十年も続け、誰にも認められない論文を書き続けた。それが無駄な努力だと気付き、プライドを捨ててを求め、やっと手に入れた学長の地位。それを絶対に失うわけにはいかない。大学の存続に拘る学長は急に優しくなり、彩音たちは安心した。やはり自分たちはお客なのだと特権を噛み締めた。


 だが快晴はそんな学長の心の事情などお構いなしだった。


「そんな甘いこと。それでも学長ですか。法律は法律です。守れない者は停学でも退学でも処分するべきです」


「福井。気持ちは解るが飲酒くらいで退学はあり得ない」

「ここで厳罰にすれば、それこそクレーマーが納得すること間違いなしです」

「前も言ったよな。キミの学費免除は他の生徒の授業料から捻出されているんだ」

「そんな態度だからこの大学は定員割れするんです」

「だから解ってくれと何度言えばいいんだ」


 快晴の理想は正論であるが故に学長の理想を崩してゆく。快晴にとって、学長は圭祐けいすけを放置した残念なオッサンでしかなかった。


「朝倉さんは典型的な劣等生です。絶対に追放するべきです」

「ダメだ。絶対にダメだ」


 しかし学長は全否定した。


「厳罰は生徒のためにも大学のためにもならない。だからSNSの炎上などは適当にやり過ごし、あとは本人の反省を促すだけでいいのだ」

「さすが学長。解ってますね」

「別に許したわけじゃないぞ。とりあえず反省文をレポート用紙十枚で書いてこい」

「えー」


 彩音たちは文句を言いながらも嬉しそうだった。こんな処分ともいえない軽微な対応が快晴には許せなかったが、立場が逆転した彩音の方が煽ってきた。


「特待生はわたしたちの貴重な学費で生かされていることを忘れないでね」

「朝倉彩音」


 彼女は彩音に掴み掛かろうとした。だが今度は学長が快晴を突き飛ばした。よろけて倒れる快晴を助ける者はいないはずだった。だが、その背中は支えられたのだ。


「これは酷いな」


 現れたのは学長と同年代だろう男性だった。一目で上質なスーツと解るその男性が快晴に微笑んだ。高価そうな腕時計が袖から見え隠れしていたが、ブランドに着られることなく、その風貌を当たり前にしていた。


「ありがとう、ございます」

「ケガはないかね」


 心配してくれる男性が誰なのかを、快晴は知らなかった。


「福井さんは大学始まって以来の優等生だと噂になっているよ」

「あのう。あなたは」


 そこで学長が声を上げた。


「理事長。どうしてここに。こんな些細なことで」

「これは学長の考える以上に大学の存続に係る問題だからだ」


 偉そうだった学長が頭を下げるさまに、快晴は男性の立場を知り同時に口が動いた。


「理事長。このままではこの大学は蔑まれたままです。厳正な処分をお願いします」

「それはキミが詮索することではない」


 快晴を諫める学長だが、理事長は学長を無視して快晴だけに話し掛けた。


「私もこの大学を良くしたいと常々思っている。一流大生が一流の就職先を手に入れられるのは、大学に品位があるからだ」


 さて、厳しい処分を考えようか。


「えっ」

「理事長そんな」


 形勢が逆転された彩音たちと学長の声が重なった。


「理事長それは」

「黙りなさい」


 学長を一喝して理事長はまた快晴に向いた。


「この大学には特待生に対して悪意を持って、宿題やレポートを押し付けてくる奴らがいます。特待生は生徒の奉仕者ではありません。何とかしてください」

「福井さん。その話、詳しく聞かせてくれないか」

「理事長そんな学生の言うことを聞く必要は」

「学長は黙りなさい」


 学長は反論を完全に止められた。


「福井さん。恨みがあるからって、こんなところでわたしたちを貶めないで」

「そうだそうだ!」

「俺らは飲酒以外は何もしていないぞ!」


 彩音たちリア充は圭祐をイジメた犯人だ。悔しげな彼女ら彼らの前で快晴は自らの正当性を誇示した。理事長は大学運営を学長に任せていて、どうやら実態を知らなかったらしい。


「この大学の悪評を払拭するのは、レポートを人に押し付ける劣等生を追放することです。学力が底上げされれば、企業も絶対にこの大学に振り向いてくれるはずです」


「それは絶対にいけません。理事長も解っているでしょう。規律を厳しくしたら退学者続出でこの大学は潰れてしまいます」


「それでもあなたは学長ですか!」


 お金と権力を持つ理事長が、快晴にはたまらなく頼もしかった。

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