第2話 はじめて夢中になれるもの
【1】終わらない残暑
夏休み明けの講義室は賑やかだった。友達同士で近況を報告し合い、いつも以上に講義などそっち退けだ。だが残暑でも節電された冷房の中、今日はいつもとは全く違う話題が学生の中心だった。
「あの小説読んだ?」
「もちろん読んだ。すごく面白かった」
「心に刺さるよね」
「私たちの気持ちを解ってくれてる」
「作者の『ソラー』はきっと同じような大学の学生だね」
女子も男子もスマホを手に盛り上がっているそれは、小説の投稿サイトだった。
「あのう。静かにしてください」
気弱な講師は気弱な注意だけだ。講義を行うだけの機械だと自分に言い聞かせ、小説への賞賛の声が講義室から消えることはなかった。嬉しくなって
「学校の勉強が知識や教養ばかりなのは、それが上級国民の権力の源だからだ。野外活動、自由研究、部活動、留学。どれも金の掛かるものばかりだ。奴ら上級国民は高い知識や教養を持つ者だけが国を動かせるルールを作った。生活に余裕のない貧困者を永遠に奴隷にするためだ」
「だが考えてほしい。奴ら上級国民が知識や教養以外を認めない理由を」
「それは奴ら自慢の学問が、実際には社会で役に立たないことを知っているからだ。中身のない勉強でふんぞり返る奴らは、本当に能力のある持つ者を恐れているんだ」
いつもならおかしな奴だと、いつものように無視されただろう。だが今日は周囲から青空に賞賛の拍手が起こったのだ。
「それってソラーの小説の言葉だよね」
「あの小説の感動する場面だ」
「俺も同じ考えだぞ」
「青空もソラーの小説読んだんだ」
誰も知らない正体なのに青空は自分のことだと舞い上がっていた。こんな短時間に評判が広まったのは、トモがSNSで拡散してくれたからだ。
青空の隣の席は
「圭祐。お前は読んだのか」
「うん。続きがすごく楽しみだよ」
不遇な境遇から困難に立ち向かう小説の主人公は、僕の憧れだと圭祐は言った。こんな嬉しそうな圭祐は初めて見たと、青空も小説を書いて良かったと心底思った。
だが一人だけ、反論の声を上げていた。
「それでもあなたは特待生なの?」
「どういうことだよ」
いちばん前の席にいた
「大学は知識や教養を身に着ける場所なのに。それを否定するなんてあり得ない。今だって講義中よ。大学でしか学べない高度な勉強を無駄にするなんて。そんな連中がまともな就職がないのは当たり前じゃない」
ようやく援軍が来たと講師は涙を流して応援した。青空は自分に酔っているようにしか見えない快晴に尋ねた。
「そんなに偉そうに言うなら、快晴は小説読んだの?」
「そんなくだらないもの読むわけがない。あなたたちこそ、たかがフィクションでそんなにはしゃいで。留年したいの?」
そう息巻いた彼女だが、そんな脅しを誰もが踏みつけた。
「特待生って勉強しか出来ないんだね」
「こんな講義受けたって就職に関係ないのに」
「だからぼっちなんだよ」
「青空だってさ。よく考えれば
「違う」
自分の生み出した正しい方向性を否定する快晴と同類だと思われなくなかった。
「同じ特待生だから仕方なくいるだけだ。それにボクは、たとえ特待生でも大学の講義には興味はない。みんなと同じでまともな就職をしたいだけだ」
勉強は無意味だと言い切ると快晴が鬼の形相になった。
「この裏切者」
「最初から言ってるだろ。成績と就職は関係ないって」
どうして快晴は解らないんだ。青空が言うとみんなの攻撃が、また快晴に向く。
「福井みたいに妄想に自己満足する奴って、意識高い系って言うんだって」
「意識高い系って動画で見たぞ。口ばっかりで、実際には何も実現できないんだ」
「恥ずかし。ネットのおもちゃだね」
「うるさい。黙れ! 黙れ」
快晴が悪意を否定した。そして圭祐の名を呼んだ。
「圭祐くんは違うよね。あなたはこいつらと違って、いい成績を取って会社に認められて就職をするんだよね」
だが圭祐は青空の横から離れなかった。
「どうして」
「僕は何も持っていないから。だから少しでも就職に有利になりたいんだ」
従ってくれる圭祐に青空は自信を持ち、快晴にいたずらっぽく笑ったのだ。
「快晴。もう優等生なんかやめたらどう?」
「そっちこそ。そんなに資格が好きなら専門学校でも行けば?」
「お前がそれ言う? ここに来ているボクらの全否定だよそれ」
専門学校より大学の方がいい就職があると信じて、みんなここに来ているんだ。
「快晴は勉強ばっかりしてるから、人の気持ちが解らないんだ」
その言葉にみんなが追随した。
「そうだそうだ」
「やーい勉強バカ」
「バカバカ」
大学生とは思えない幼稚な煽りが大合唱で響き渡り、講師も呆然とするだけだ。
青空がいつも言う資格や実務経験。そんな得体の知れないものに同級生は浸漬され、圭祐でさえ主体性を失ったことに快晴は絶望した。今までなら青空のことを低俗な自己満足だと鼻で笑っていたのに、その影響力は想像を大きく超えていたんだ。
そして彼ら学生に次に攻撃されたのは講師だった。
「役に立たない講義なんかやめろ」
誰とも知れず声が上がった。拍手とともに次々と同調の輪が広がった。
「講義の時間で資格の勉強をしろ!」
「仕事にすぐ役立つことだけを教えろ!」
「まともな就職がなければ奨学金が返せない」
「わたしたちには実学教育が必要なんだ!」
ついに、次の瞬間誰もが驚いた。
「大学は学生のためにある。高い学費を取るのに、大学は学生の将来を潰すな!」
最も声を張り上げたのは圭祐だった。誰もがこんな圭祐を見たことがなかった。このままだと講師に手を出しそうなほどだった。
守銭奴! 文科省の犬め!
「ちょっと圭祐くん」
掻き消されようとする自分の存在を取り戻そうと、驚く快晴は圭祐の肩に触れようとした。だが彼はまるで無視して、その手を掴んで降ろさせたのは青空だった。
「実学教育をみんなが欲しがっているんだ」
「もう嫌! こんなのやめて」
講師は怯えるばかりで、快晴も耳を塞いでしゃがみ込んだ。
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