【7】僕に出来ること

 講義が終わるとすぐ焼肉屋のバイトだ。自転車で街に出ると、道行く人の目にいつも厳しさを感じていた。自分の、あの大学の学生だから、こんな状況は勉強では変えられないことを噛み締め、圭祐けいすけはペダルを早めた。


 ――大学は高等教育で社会を牽引する人材を育成する場所です。教授である私の知る限り、資格や実務経験だけではリーダーにはなれません。文科省もそれを解っているから、全ての大学で知識や教養を身に着けることを教えているのです。


 ――私は中堅企業の経営者です。はっきり言わせてもらえば、知識や教養のない人材は必要ありません。私の会社でも、言われたことを言われた通りにするだけの従業員を多く雇っています。ですが国際競争が加熱する中で、そんな人材はただの使い捨てです。自分で考え自分で行動出来るのは、やはり従来の大学教育を受けた人だけなんです。


 ――フリーランスのワイも実学教育はやめた方がええと思ってるで。ワイも勉強は出来なかったけど、知識や教養はクライアントの前で滲み出るものや。仕事の発注先はたいがい高学歴だから、シンパシーを感じるんやろな。たとえFランでも勉強した成果はどこかで発揮できるんやで。


 実学教育を揶揄する声がネットでは溢れている。まだ多くのFラン大生が、実現するかどうかの成功より、すぐ未来の卒業後の進路が大事だった。


 ソラーの小説はまだまだ小さなムーブメントだ。多くの人を巻き込まなければいけない。そうしなければ、大学は現実逃避の箱庭になってしまう。卒業と同時に未来を奪われ死んでしまう。


 圭祐は思い出していた。


 ――――――――


 親は勉強に理解がなかった。3Kの仕事に不満を漏らしながらも、資格を取ったり技術を磨いたり自己価値を高めることなく、会社が悪い社会が悪いと他責し、給料を酒や車に浪費し、給食代さえも出し渋っていた。


 電気やガスが止められても、両親は深夜まで遊び歩いて、食べるものや成長に合わせた服さえも与えてくれなかった。中学の頃から学校の許可でアルバイトを続け何とか生きてきた。勉強をしないとあんな大人になってしまう。享楽的な不幸に気が付かない両親と決別するために、大学に行きたいと思った。


 親は猛反対した。高校を出たらすぐに働け。家に金を入れろ。育ててやった恩を忘れたのかと。高卒で肉体労働の方が給料が高い。頭を使わなくていいからストレスが溜まらない。大卒でも就活に失敗すれば、ブラック企業で使い潰され心と体を壊す。肉体労働は決してなくならない。考え直せと説教された。


 その親が違法薬物で逮捕され貧困が加速した。


 アルバイト漬けで勉強する時間も取れず、成績は良くなかった。苦学生が一流大学の特待生になるなど、夢物語だと思い知った。それでも大学にさえ行ければ、あれほど嫌悪した親が決して見ることのない世界があると信じていた。莫大な奨学金や教育ローンは保証協会を通して借りた。そこまでして、両親に勘当されてようやく入学出来たのはこのFラン大学だった。


 だが僅かな時間でも毎日勉強を続けた効果があったのだろう。入学時のテストで全学年二位の成績を取り、授業料免除の特待生になれた。経済的負担が減ったのは良かったが、希望はすぐに落胆に変わった。


 周りは四則演算もロクに出来ない連中ばかり。大卒の肩書だけのために講義を受け、生活費と小遣いのためにアルバイト漬けになる日々。ここで知ったのは、この大学を卒業しても就活も中小企業ならましな方で、契約社員や派遣社員、フリーターが当然の末路だということだった。


 たとえ特待生でも学歴フィルターを捻じ曲げる力はなく、透けて見える将来に暗澹たる毎日を過ごしていた。それが変わる日がやってくる。実学教育は希望だった。


 ――――――――


 日曜日の二両編成の電車は空いていた。圭祐に誘われるままロングシートに座った。本当は長距離の電車代にも困っていたが、相手の大学の人が交通費を出してくれて、二人で普通電車に二時間揺られた。到着したのは中学や高校の遠足で来たことのある県外の大都市だった。ロータリーにバスや路面電車が列を成し、無数の人を飲み込む光景が久しぶりで戸惑った。スマホの地図を頼りに混雑する路線バスにどうにか座り、揺られて郊外に出るとビルの校舎が見えた。


 同じ私立大学でもここまで違うものだと圭祐と驚いた。バスは正門からさらに中に進み、両側に高層のキャンパスが続く車窓に圧巻された。よく手入れされた並木の先に広場があり、そこでバスは停車した。降車するのは学生ばかりで、賑やかに校舎に入ってゆく。資金力と学生数の差に驚きながら、SNSで送ってくれた地図にあった、体育館のような大講堂に着いた。


「教養知識大学の黒川圭祐くろかわけいすけくんに須崎青空すざきそらくんですね。よく来てくれました」

「これで今日は勝てるぞ!」

「私たちの大学が変わるんだ!」


 何十人もの学生が歓迎してくれることに驚いた。


 青空は尋ねた。


「どうしてボクたちを呼んだんですか」

「あれ? 自覚がないのかい」


 スマホで見せてくれたのは、青空が講義中に実学教育を主張する動画だった。知らないうちに誰かに撮られて、知らないうちにネットに流れて、再生数が万に達していることに混乱していると、肩を軽く叩く感触があった。それはにっこりした圭祐で、青空はようやく顛末を知った。


「勝手にアップロードするなよ」


 圭祐は自信をもっていた。青空は知らない場所で知らない人たちにこれだけ中心に据えられたのが恥ずかしかった。

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