【6】意地悪だって構わない

 陥れてやった朝倉彩音あさくらあやねの絶望が嬉しかった。好きな人を苦しめ続けた元凶を取り除けたことで、雲ひとつない初秋の青を見上げ、色づく並木が自分の居場所だと納得した。


圭祐けいすけくん」


 ふと見つけたのは自分と同じ、いや自分より酷い境遇の男子だ。同じ故に解れるし解ってくれると足を速め、彼の下に向かった。圭祐は振り向いた。


「聞いて。あいつらリア充どもを理事長が処分してくれるって。今までみたいな甘い対応じゃない。長期間の停学とかになるわよ」

「そうなんだ」


 圭祐は小さく頷いた。


「それにね圭祐くん。今までの圭祐くんのことも、理事長が何とかしてくれるって」


 その言葉に圭祐が驚いた。快晴はるかはそれが嬉しさの表現だと勘違いしていた。


「退学者を出したくないから学長が圭祐くんのこと無視してた。でも理事長はそんな事実を知らなかった。いろんな会社を経営している実業家で、すごい権力がある理事長が、これから大学の運営に本格的に関わっていくって。学力を重視して単位取得を厳しくするって」


「……そんなこと、誰がしてって言ったの。ねえ快晴さん。ねえってば!」


 突然怒り出した圭祐が余りにも意外だった。彼は快晴を睨み付け言った。


「そんなに僕のことを情けないって思ってるの? 僕のことを何も出来ないって思ってるの? 僕は、自分に出来ることが何もないから我慢していただけなのに。誰よりも有利なものを手に入れるまで待っているだけなのに。快晴さんは僕を無能だって笑ってるんだ」


「そんなこと」


 頼って欲しい。弱くて不幸な人だから。慈悲は押し付けなんかじゃない。彼が喜んでくれると信じていたからだ。そのはずだった。


「大学内の待遇が良くなっても社会じゃ何も変わらない。必要なのは学力じゃない。会社が欲しがる資格や実務経験だ」

「圭祐くんまで! 実学教育なんかに影響されて」


 快晴はなんとか諭そうとした。


 圭祐くんも勉強出来るから解るでしょ。一流大卒が一流企業に入れるのは、知識や教養のレベルが高いからよ。彼らと同等の学力があれば大学名なんて関係ない」


「そう思ってるのは快晴さんだけだよ」

「実学教育なんてただの奴隷教育よ。安い労働力として企業に使われるだけだよ。大卒だからみんなのリーダーになれるのに、そんなので人生を無駄にしないで」

「罠に嵌ってるのは快晴さんの方だよ」

「待って圭祐くん」


 ――――――――


 講義は数人の学生しかいなかった。教養知識大学は少人数の単科大学なので多くの講義室は高校の教室なみの広さで、それでも黒板を見渡す青空たちにとっては広すぎる空間だった。


 いつもの青空そらなら、こんな講義は就活には役に立たないと叫ぶか、特待生を継続させるために嫌々でもノートを纏めるだろう。だが今日はスマホ片手にじっとしていられなかった。終了のチャイムが待てなくて講義を放棄していた。


 昨日のあれがここまで拡散するなんて。


 青空は石畳の並木を走った。職員室のある管理棟の前でとぼとぼ俯く彩音あやねがいた。名を呼ぶと疲れ果てた彼女が振り返った。


「……須崎すざきくん」

「ちょっとは反省した?」


 だが青空はすぐに助ける気はなかった。その悪意に彩音がまた下を向いた。


「須崎くんも最低だね」

「あんな連中といっしょにいるからだよ」

「だからって福井快晴ふくいはるか。あいつのせいで」

「このままじゃ朝倉あさくらさん、本当に留年しちゃうよ」

「言わないで須崎くん」


 購買のある建物の外のベンチで、彩音は立ったまま耳を塞ぎ嫌がった。青空は両手に紙パックのジュースを持ったまま、一つを渡す機会を失っていた。


「ほかの人たちは?」

「みんなバイト先に行ってる。クビにならないように謝ってる」


 たかが飲酒くらいで。


「だからボクは言ったのに。ああ」

「福井快晴も酷いけど、須崎くんも大概だよね! 最低だ!」


 彩音が叫び、拒絶するのを青空が宥めた。


「ボクは朝倉さんに解ってほしいんだ。見たいものしか見ない。聞きたいことしか聞かない。知りたいことしか知ろうとしない。いつも自分が絶対に正しいって思ってると、悪い空気に巻き込まれるんだ」


 炎上の末路はネットで嫌というほど知っている。アルバイトを失い生活費を稼げなければ大学には通えない。貧しい親は助けてはくれない。就職も出来ず中退で奨学金を返すために、ひたすら底辺以下の労働に堕ちる地獄に彼女は絶望した。


 ――こいつらFランだからな。残当。

 ――未成年飲酒は就職に響くよ。

 ――この子かわいいな。でもニート確定か。

 ――夜の仕事があるじゃない。

 ――おじさんが指名してあげるよ。


「絶対いや! こんなの絶対わたしじゃない」


 地獄の底で手ぐすねを引く悪意がネットから聞こえる。だがそこで、小さく肩に触れる感触があった。はっと振り返ると青空が指だけで恐る恐る、彼女の震えを止めようとしていた。


「飲酒なんて大したことない。謝れば許してくれるよ。炎上もすぐに収まるよ」

「どうして須崎くんはわたしに付き合ってくれるの」

「ボクは」


 言葉に詰まった。リア充と陰キャじゃ地位が違いすぎる。幸せな結末などありはしないのだろう。でもそれでも、今まで女子に触れたことがなくても、希望の欠片だけでも見つけたくて青空はここにいる。


「きみの。みんなの未来を変えたいから」


 彩音は立ち上がった。涙が零れ落ち、それを拭いながら歩み出す。青空はつかず離れず彼女の見えない杖を見つけようとした。


「実学教育をボクは実現させるよ。それがFラン大学の悪評をなくす近道だ」

「うん」


 表情を直し、素直になった彩音が可愛く見えた。


「そういえば朝倉さん。圭祐に誘われたんだ。今度ほかの大学で実学教育の討論会があるって」

「須崎くんは行くの?」

「もちろん。正しい実学教育の知識を持ってる人は大歓迎だって」

「実学教育の広まりはすごいね」

「これで大学が良くなる。みんなまともな会社に就職出来るようになる」


 きっと。絶対。

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