【7】夢と引き換え
大都市の高級ホテルのホールを貸し切って開催されるのは、全国の私立大学の理事長会だった。自由に歓談出来るように、あえての立食パーティーだ。ホールの端には美しい盛り付けの料理が、ずらりと並んだ給仕係によって取り分けられる。
「さすが一流ホテルだ。味だけでなく見た目や接客も徹底している。きみたちの経営する飲食店もぜひ見習いたまえ」
そうやって自慢げな波方理事長だが、彼以外は豪華な宴席で深刻な顔をしていた。
「うちの大学はずっと定員割れが続いている」
「学部名やカリキュラムを変えたのですが、効果がなくて」
「それはうちも同じだよ。どこも経営は苦しい」
「このままでは学校運営が成り立ちません。合併も検討に入れないと」
ただ一人、場違いなまでに機嫌がいいのが波方理事長だった。
「何だなんだ。そんな弱腰でどうする。きみたちも理事長で経営者だろうが。そりゃあ、きみたちの事業は吹けば飛ぶような小規模かも知れない。だが真剣に取り組めば、私のように何百人もの従業員を抱えることも不可能ではないんだぞ」
波方理事長のマウンティングが始まった。
「うちの経営は盤石の体制だ。焼肉店。自動車ディーラー。人材紹介。あらゆる事業を統括するグループは私が一代で築き上げたものだ」
「……その話、何回目ですか」
「何か言ったか」
「いえ別に」
ほかの理事長たちの多くが同じように自分の事業を持ち、傍らで私立大学を経営している。大学経営など金持ちの道楽だと誰もが自覚していたが、彼ら彼女らを波方理事長は、本業すらも立ち行かない不甲斐なさだと、明らかに見下していた。
「そういう波方理事長の大学はどうなんですか。さっきから事業の自慢ばかりしていますが、そんなに簡単に大学の赤字の補填が出来るとは思えないんですがね」
「ああ? それが私に向かう言葉かね」
波方理事長はグラスを手に、ほかの理事長に突っかかっていた。
「知らないなら教えてやろう。この前、我が教養知識大学に
まだホームページにも載っていない波方理事長の言葉を、ここにいる誰もが理解できなかった。いや信じられなかった。ブランドのスーツに身を固めたこの男。羽振りの良さを協調するように高級腕時計を見せびらかす男に比して、その人物の名は余りに不釣り合いだったからだ。
「牟岐教授が、まさか」
「嘘でしょ」
「なぜあんたのところに」
驚く理事長たちに波方は満足した。
「それなりの支度をしただけだよ。まあ、きみたちには出せない額だろうがな」
「ほう。牟岐教授を獲得とは。さぞ高かったでしょう」
下品に笑いシャンパンを飲み干す波方理事長のもとに、悠々と男が歩いてきた。あれだけ傲慢だったのに、その顔を見るや否や彼は頭を深く下げたのだ。
「これはこれはお久しぶりです」
その男は、全国有数の巨大私立大学の理事長だった。
「お目に掛かれて光栄です」
今まで波方の自慢話に付き合わされていた他校の理事長が、一斉にそちらに集まる。ブランドに着られるだけの成金趣味の波方とは違い、その理事長は、一見普通に見えるスーツを颯爽と着こなしている。
「今日は普段着のような高級スーツですか。珍しいですなあ。それに較べれば、イギリス視察のときに仕立てた私のスーツなどただの布切れですよ」
自虐ふうの自慢をする波方だったが、その理事長は意趣をあっさり返した。
「これは会員制の国産テーラーメイドだ。金を積めば買えるものではないぞ」
「それは失礼……」
ここで波方は引っ込まなかった。格上の存在にもマウンティングしようとした。
「ですがそんなあなたでも、牟岐教授の存在には勝てませんよ」
「それは良かったですな。覚えておきましょう。波方理事長」
だが男は来たときと同じように悠々とほかのテーブルに去ってゆく。他校の理事長たちが後を追い、あっという間に波方はぼっちになっていた。
「くそう。Fラン大学だと見下しやがって」
あの理事長は権力と強大な支持者層で、近々政界に進出すると聞いている。波方は交換されたばかりのグラスを、テーブルから引っ掴んで飲み干した。
――――――――
「わたしがこの大学に呼ばれのは、大学改革を達成するためなの。今までロクに勉強していなかった学生と、学生を金蔓としか思っていない教授たち。理事長はこの状況を変えたくて、学力を底上げしようと考えてるの」
「離してください」
「今までの
「離してください」
「教養知識大学を、一流大学並みの講義レベルに引き上げるのがわたしの役目。自主的に勉強しなければ絶対に単位を取れないようにするの」
「離してください」
瑞希は快晴に体を密着させ、また興奮した。
「この大学も、家が貧しい学生が多いって聞いたわ」
「
「違うわよ。奨学金や教育ローンを限界まで借りているから、留年は絶対許されないってことを言いたいの」
目を逸らす快晴に瑞希は唇を押し当てた。
「福井さんには大事な役目があるわよ。みんなのリーダーになるっていう」
あなたは頭がいいから。そう褒められ、こんな酷い状況なのに瑞希への抵抗は完全に失われていた。
「福井さんが頑張れば、
それに就職だって。
「わたしに任せて。全部」
実学教育を潰さなければ、自分の未来が消えてしまう。知識や教養は自分を裏切らない。それを証明したくて、快晴は瑞希の欲望をまた受け入れた。
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