第2話 五山送り火の景色
大文字に火がつく前後になると京都市内の街明かりが少し暗くなる。何百年も続いていると言われるこのイベントを、街全体で光を抑えることで演出している。
マミコと身体を何となく寄せ合い、大文字山の方角を見つめる。マミコの体温が伝わり、息遣いが感じられる。回りにいる人達の話し声が聴こえてくる。
中年男性の低音の声が闇の中でひときわ響く。声の方へ目を移すと、眼鏡を掛けたストライプのワイシャツを腕まくりした男が、ねっとりした口調で饒舌に喋っている。横にぴったりとひっついて話を聴く女性も中年に見えるが、夫婦にしては仲が良すぎる気がする。化粧のにおいが漂ってくる。男からはうっすらと酒のにおいがする。二人では決して出掛けないうちの両親のことを思い出す。夫婦ではないのではないか。
「大文字焼きって言わんと、送り火って言うんやで、知ってた?お盆の間、死者の魂があの世からこの世へ帰って来ててな、その魂があの世へまた帰るのを送るんやて。でもな、実はいつ始まったんか、はっきりとは分からへんのやて。弘法大師さんが始めたとか、江戸時代頃からやとか、色々言われてるらしいんやけどな」
「こんなに有名な大文字がいつ始まったか分かんないなんてね~。でも、そこがロマンよねぇ~」
男は京都弁というか関西弁なのに、女性は標準語だ。この男女が夫婦ではない疑いが強まった、いや、こんな夫婦もあるのかな、京都には全国から人が集まってるしな、でも異常に仲良すぎやな、などと思いを巡らせてしまっていた。
マミコと大文字を見に来たのに意識がこの男女に向かっていて会話が途切れていることに気付き、マミコの華奢な肩を抱いて、少し離れた所へ移動しようとするが、無数の人込みに阻まれ、ほんの二、三歩しか動けない。肩を抱かれたマミコは一瞬びくんと身体を震わせた。
七時頃一乗寺公園に来た時は人が少なく見やすい場所に来たな、と思えたが、いつの間にか人が集まっていて、京都特有のじめじめした空気の中、人の無数の話し声とじっとりとした人いきれが入り混じり、暗闇に湿気を与えていた。
夜八時に大文字山の「大」の字の左端の方から点火してゆく。筆順通りに火が付いて行き、少しずつ「大」の字が浮かび上がる。暗かった周囲が少し明るくなってくる。
続いて五分おきぐらいに妙、法、船形、左大文字、と点火していく。そのたび、ああ、ついた、と方々でため息のような声が上がる。花火大会だと一気に上がるので歓声となるが、大文字の場合はざわめきのようなどよめきのようなぼんやりとした声々の集合体になる。
五山全てに火がつき、夏の夜の闇に浮かび上がる五つの文字や絵を眺め、僕は口を開く。
「この景色を見んのは、今年が最後かも知れんな」
「えっ」
マミコが、暗闇の中で顔を覗き込んでくる。少しの驚きが混じっている。
「そうか、言うてへんかったな。高校卒業したら、できたら、京都を出たいんや」
僕にとっては以前から当たり前のように思い続けていたことだが、マミコには意外だったようだ。
「えっ、どこ行くの?」
マミコの声にいつになく動揺の色が混じっている。
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