第12話 京都でも東京でも
夜の闇に見える一色の鮮やかな光と言えば京都で二十年間ほど見続けた大文字で、あれは松明の火の明かりで東京タワーの電気による光とはまた違うが、東京で五年ほど生活して見た中では忘れられない光となった。
東京タワーの展望台を降り、赤坂プリンスホテルまで歩いて行き、何食わぬ顔でロビーを通り抜け、慣れた手つきでエレベーターのボタンを押し、乗り込む。あの有名女優と同乗して以来、今度はユミさんと乗っている。
最上階で降りて大きな窓の方へ向かうと、あの夜と同じように、闇に落ちた東洋の空を赤と白にライトアップされた東京タワーの全景が見渡せた。やはり素晴らしい眺めで、窓際でユミさんと肩を寄せ合い、展望台から見下ろすのと同じ感覚でうっとりしながら眺めていると「すいませーん」と背後から呼び止められ、ぎくりとする。恐る恐る振り向くと、制服姿のホテルマンは笑顔で、少しほっとする。こういうことをする人が他にもいるのだろうか。
「ここから東京タワーを見るのは遠慮していただきたいんですが」
との非常に角の取れたやんわりとした言葉に、平謝りに謝ってエレベーターを降りた。
高校卒業時点で就職も進学も決まらなかった僕は、その後一年半ほど京都でアルバイトしていたが、その頃に東京へ遊びに来る機会があり、東京と言えば東京タワーだと思い、観光した。タワー横にある赤い階段を昇って上まで行った。
翌年から東京に住むようになったが、仕事で赤坂プリンスホテルから眺めたことがある以外は一度も来なかった。
東京では巣鴨に六畳一間風呂なしトイレ共同のボロアパートを借りた。京都を出るという念願を叶えることができたが、お金が全然なかった。給料が良く、休みも多いパチンコ店員となった。
勤めて二年半ほど経った時に夜間のライター講座へ通い、書くことで生活できないかと思い、講師の紹介で週刊誌の記者となることができたが、張り込み班に配属されたために毎日が数人の記者と組んでのチームプレイとなった。
芸能人やプロスポーツ選手の私生活を張り込むのだが、芸能人よりもスポーツ選手の方が張り込みに気付かれやすく、車で追われていることに気付いて猛スピードで逃げて片側一車線で渋滞気味の車列をセンターラインをオーバーしてごぼう抜きし、さらに信号無視して振り切ろうとするJリーグ選手のポルシェに付いて行ったこともあった。
一緒に車列をごぼう抜きしたがさすがにこれはバレていると思い相手が信号無視してそのまま突っ切ろうとした時点であきらめて反対方向へハンドルを切ったがそこで後方座席のカメラマンから「何で追い掛けないんだ!」との罵声が飛び、別の車で追っていた先輩記者からも「追い掛けないんだったら無線送れ!」と無線を通して怒鳴られたハンドルをさばくのに必死で、無線マイクを握る余裕はなかった。
他にも都内の複雑な道路網を把握できず仕事以前の問題として現場に着くのに遅れたりと小さなミスが何度かあった。
新人記者は小さな失敗を大きく吹聴されがちで、同じようなミスを繰り返すと容赦はない。それに、こうした人の私生活を調査するという犯罪すれすれの仕事は軽微なミスでも雑誌存続の危機を招く可能性も大いにある。
何度かのミスの後、デスクとの話し合いの結果、辞めることとなった。たまたま配属された張り込み班での仕事ができなかっただけだが、この雑誌というかこの世界では最初に配属された先で仕事ができないと評価されると、できない人間と見なされ、他の普通の取材をする班の編集者からも引き取ってもらえない。事実上の解雇だった。
僕がもともと抱えていた社会や仕事への疎外感は、高校卒業後の数年間での社会経験で、強化されてしまっていた。子供の頃からのスポーツへの苦手意識が仕事や社会への苦手意識となり、仕事に対して、子供の頃から絶えず感じ続けていた周りの社会というか集団というか人間への苦手意識や仲間外れ意識とまったく同じ感情を感じていた。京都でも東京でも変わらなかった。
お金は少し貯まっていたので、かき集めて、アパートを引き払うことにした。パスポートを取得した。ユミさんとはライター講座の同期で、講座を修了してからも何度か休日などに会っていた。お別れに、会うことになった。
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