第14話 大連へ

「どこまで行くんですか?」

 待合室の中からも聴こえてくる港の強い風の音とともに、完璧な日本語が聴こえた。

 目を落としていたガイドブックから顔を上げると、メガネを掛けた小柄な女性が微笑んでいる。手にはハンドバッグを持っている。

 大連へ、と返答すると、大連ですか。何でですか。

 『大連』のアクセントがダではなくレに入っている。

 東京の人でも関西の人でもなさそうで、初めて、中国人が日本語をしゃべっているのかも知れないと思う。それなら突然の話し掛け方にも納得がいく。何でですか、といきなり理由を聞いてくる。日本人はこんな会話の入り方をしない。

 日本から船で釜山へ渡り、ソウルの西の仁川港から船で天津に入った。再び船に乗り、大連へ向かう。

 船ばっかりですねえ、と彼女は笑う。できれば陸路で行きたいが、日本と韓国の間には海があり、韓国から中国へ行くのにも、日本と国交のない北朝鮮を通るわけにもいかず、船になる。

 大連へ行きたかったが、天津から列車やバスを使って行くには相当大回りをしなくてはならず、船で行くことにした。船に乗るのはこれを最後にしようと思っている。そう言うと、笑って納得していた。

「船が好きではないですね」

 船が好きというわけではないんですね、と言いたいのだろう。

「何で大連へ行きたい?」

「父親が大連で生まれているからです」

 そう言うと、彼女は軽く驚く。

「本当ですか。あなた、日本人ですね」(ですよね)

 彼女が戦前の日本についてどこまで知っているのか分からない。僕の知っていることも、ごく限られている。知っていることだけを説明する。

 戦時中、日本が中国を侵略して中国東北部に満州国という国を作っていた。僕の祖父にあたる人が満州鉄道の社員として家族を引き連れ、大連へ移住した。父は、大連で生まれた。

 父が三歳の時、祖父が病死したのをきっかけに一家で日本へ引き揚げてきたため、父に大連の記憶はないが、孫世代に当たる僕はどんな街なのか見てみたい、と思った。

 正確には明治期に日露戦争でロシアを破った日本が当初ロシアに管理されていた大連を獲得し租借地としたことから始まり、後の満州国建国につながった。現代の日本では満州という言葉はほぼ死語となっているが、中国でも戦後文化大革命が起こり中華民国から中華人民共和国へと変わり、若い世代は戦前戦中の中国のことを教わっていないのだろうか。

 僕よりは少し年上に見える彼女は「そうなんですか」と感嘆した後「大連の後はどこへ行くんですか」と話を先に進めてきた。

 僕も実はそんなに大連に対して思い入れがあるわけではなく、旅行のついでに寄るといった心づもりなので、大連や満州の話を深堀りされても知識があまりに薄っぺらいのでその点を突っ込まれたらどうしようと少しびくびくしていたので、ほっとする。

 大連や中国東北部の街を少し回って、北京へ出ようと思っている。北京から中国大陸を西へ進み、インドまで陸路で行き、できればヨーロッパまで行きたいと思っていることを話す。

「すごい旅行ですねえ」

 待合室の乗客の頻繁な出入りに混じり、細長いバックパックを背負った西洋人男性も入ってくる。彼女は西洋人のほうを見ながら、「あれもあんたと同じですねえ。旅行です」と楽しそうに言う。

 大連在住で日本語を勉強しているという彼女のアクセントや言葉のチョイスがユーモラスに聴こえる。バックパックの西洋人と僕以外は、全て中国人の乗客のようだ。

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