第4話 社会へ出ることへの不安
京都の夏の暑さも九月の声を聞く頃になると少し和らぎ、朝夕は涼しくなる。
それでも、二学期が始まるのは憂鬱でしかない。クラスに馴染んでいない。ばらばらの地域から生徒が集まって来る私立男子校で、一年生の時は全員が初対面であるために逆に話しやすかったが、二年、三年、とクラス替えを重ねると、運悪く一年生で仲良くなった相手とは同じクラスになれず、他のみんなは既に輪ができている感じで、なかなか入って行けず、日が経つうちに新しい友人を作る気力が萎えていった。
同世代同年代が好む芸能人なんかの軽い話題には、テレビもあまり見ていないし、今ひとつついていけないということもある。スポーツが苦手なために体育の時間にヒーローになるようなこともできない。結果、ずるずると孤独な日々を送るようになっていた。
始業式へ行ったが、誰とも喋らず、誰も話し掛けて来ず、クラスの喧騒の渦の中に一人ぽつんと居ると、吐き気がしてきた。終わって、立ち上がって帰る時も少しふらふらした。
夜、マミコに会い、学校へ行った時の気分の悪さを伝えると
「それって自律神経失調症や」と言われた。
聞き慣れない病名だったが、精神的なバランスを欠くことから気分が悪くなったり頭痛や腹痛などを起こしたりする病気らしい。マミコも、よくなるのだそうだ。
学校への馴染めなさを抱えながらも、早く自立したいと思い、就職に向けて、自己分析の本などを熱心に読んでいると、自分はこうありたい、という自己像と、実際の、これと言った趣味も特技もなく、スポーツが苦手で、高校に入ってからいくつかやったアルバイトも続かず、無口で、どちらかと言うと暗い印象を与えるようで友達も多くない実際の自分とはものすごくかけ離れていて、それが就職して社会へ出ることへの不安となり、体調にまで影響してきた。
五月頃、ホームルームの時間、クラス全員に対して進路希望を聞かれた。
大学、専門学校への進学を希望している人は手を挙げるよう言われると、男ばかり五十人のクラスのほとんど全員が手を挙げた。それまで進学か就職か決めかねていたのだが、この瞬間、僕のアマノジャクな心に火がついた。
就職したいと思っている人、と挙手を求められ、手を挙げると、一人だけだった。
私立高校の普通科、男子校。元々、大学へ行きたいから通っている生徒ばかりで、僕もはじめはそのつもりだった。
一年生の時に成績がクラス最下位になると、考えが変わってきた。それでも入れそうな大学はあるし、専門学校は申し込めば無試験で入れるが、私立高校に進学したことで公立へ行く何倍もの学費が掛かってしまったことへの引け目があり、そういう所へ行くことも自分に許せなかった。家でデザインの仕事を一人でしている父の仕事量が減ってきていることもあった。
八〇年代中盤のこの頃からグラフィックデザイン業界ではコンピューター・グラフィックが取り入れられつつあり、それまでコツコツと手作業で定規やペンを使ってライティングデスクに向かってしていたミリ単位の細かい仕事を初期のコンピューターの画面上で簡単にできるようになってきていた。
「コンピューターに仕事をとられた。稼ぎを持って行かれた」との父の愚痴を聞くたび、こんな状況で進学してはいけないのではないか、と思った。
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