第5話 社会人の素質

 二学期が始まってすぐ、数少ない就職希望の生徒を集めた模擬面接があった。就職希望者は十五クラス約七百人の同級生のうち十人程度で、うち七人が一クラスだけある商業科の生徒、普通科の就職希望者は三人だけだった。

 商業科クラスの教室を使って放課後行われた模擬面接では、就職担当の先生二人が模擬面接官となり、質問を受けた。

「高校生活で一番の思い出は何ですか?」

 何気ない、一般的な質問だと思った。

 ところが僕は、この高校に馴染んでおらず、部活動もしておらず、学校での思い出というのが思い浮かばない。

 アルバイトでお金を貯めて高二の時にバイクを買って比叡山の山道を走り回ったことや、中学時代の友人達と夜通しうろうろしたことなんかは、ダメなのだろう。ちなみにバイクは三年生になったばかりの春の交通安全週間の頃に北山通りで五十キロオーバーのスピード違反で百八十日の免停を食らうことになり、手放すことにした。だからマミコとも徒歩自転車デートしかできない。

 学校で思い出らしきものはないのだが、強いて無理に挙げれば修学旅行で沖縄へ行ったことかな、と思い、そう答える。

「沖縄のどこが良かったですか」

と返された。

「そうですね。どこが良かったか。う~ん」

 絶句してしまう。面接で絶句するのはダメなことだとは分かっていたが、分かっていればいるほど、口が金縛りに遭ったように動かず、言葉が出てこない。修学旅行で沖縄へ行った時に感じたことを思い出してみる。

 団体旅行はいややな、向いてへんな、とは思った。でもそれは、良かったことではない。飛行機に生まれて初めて乗った。この年の夏休みに日航機墜落事故が起こり五百数十人が亡くなり歌手の坂本九や阪神の球団社長も亡くなり、うちの学校の修学旅行でも日航機を予定していたそうだが急遽全日空に変えたと聞いている。墜落せず、無事だった。それは、良かったことなのか。あとは、ハブとマングースの戦いを見たりとか、海で泳いだことか。とりあえず、並べてみる。

「初めて飛行機に乗ったこと、ハブとマングース、海、が良かったです」

 小学生のような答え方やな、と我ながら思う。感情の伴わない言葉は、稚拙になる。分かっている。質問の内容が、僕にとって最悪過ぎる。一番無難で一般的な質問が、僕にとっては悪意のこもった質問に思える。

 模擬面接が終わって、面接官を務めた先生からのアドバイスを受ける。

「そういうのにも答え方があってな。ただ飛行機が良かった、海が良かった、やのうて、みんなで飛行機に乗ってどんな会話をして楽しかった、とか、海でみんなで泳いで楽しかった、とか言うたら、もっと楽しさが伝わるよ」

 それも、分かっている。本番の就職試験には、嘘でも良いから、良かったこと楽しかったことの思い出をまとめ、その理由や、楽しさが伝わる言い方を考えておかなければ、と反省する。

 実際には、初めて乗る飛行機については、クラスのみんなと仲の良くない僕はただただ、飛行機落ちるな、こいつらと一緒には死にたくない、との思いだけが強かったし、席に着いた瞬間から機内のイヤホンを洋楽チャンネルに合わせてひたすら音楽を聴いていたので会話は一切していないし、観光中のバスの中でもひたすらウォークマンで洋楽を聴いていて、会話は一切していない。

 就職指導の先生が言いたいのは、会社側も協調性のある人物かどうかを見たいようで、集団生活は学校卒業後もずっと続く、ということらしい。趣味や特技を答えるにしても、ひとりでやるものよりも集団でみんなと協力し合ってするものを言うと好印象を与えられるようだ。

 僕としては、もう集団生活はうんざりで、これからの人生はどうにかして集団生活というものから縁を切れないものか、と願っているのだが。こんな僕のような人間は、まともな社会人には決してなれない気がしてきた。社会人の素質がないのではないか。

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