第7話 就職試験

 就職試験当日となる十月一日、普段から着ている詰襟の制服に久しぶりにカラーを付け、左京区の家を出てバスで三条駅まで行き、京阪京津線に乗り換える。

 京阪京津線は京都の三条から三条通りの真ん中に線路が敷かれ、山科を通って大津へ向かう路線で、路面電車に乗っているように街の風景が近く感じられる。

 京阪山科駅で下車し、会社へ向かう。大きな社屋に圧倒され緊張感が高まった。正面玄関から入ると濃紺のスーツ姿の女性がにこやかに案内してくれた。

 何か、学校へ行っても存在感がなく成績は最低クラスの自分だが、この会社ではまともに扱われている感じがして、こんな扱いを受けても良いのか、正体を知られたら手の平を返すのではないか、との思いが湧いて妙に居心地が悪く、歩き方がふわふわとぎこちなくなった。

 会議室のような待機場所へ通されると、採用人数は一人のはずなのに、十人以上も、方々の高校から来たと思われる応募者が座っていた。挨拶も会話もなく、しんと静まり返っていた。私立高校に入学した当初の四月の教室のようだった。席に座ると僕も彼らとは目を合わせず、下を向いた。さっきの女性は僕を案内するとすぐに行ってしまった。

 言われるがまま待合室から廊下へ出て、順番が来て、いかにもオフィスという感じの、木製だが強固かつ重厚で会社の権力が詰まっていそうなドアを、ノックする。ノックする加減にも、気を遣う。強過ぎず、弱過ぎず。僕はこういう時、必要以上に強く叩いたり、逆に音もしないほど弱々しい叩き方だったり、とおかしなことにしばしばなる。手の骨を軽く当てる感じで気を付けて叩くと、コンコン、と丁度良い抑制の効いた音が出た。世の中を渡って行くのにもこの音のような微妙な調節が必要なのかな、と思う。

 ドアの向こうから「はーい」と野太い声が聴こえる。それだけで縮こまりそうになり入りたくなくなるが、面接なので、部屋へ入って行かなくてはならない。

 緊張の面持ちを隠せないままお辞儀をし、面接マニュアル通りに椅子をすすめられるのを待つが、間が持たない感じがする。

 どう考えても、そこに椅子があるのだからさっさと座るのが自然だ。しかし社会では目上の人間にすすめられるまで待っていなくてはならない、とされる。

 待つのは苦ではない。ずっと立っているのも平気だ。何が何でも座りたいわけではない。しかし椅子をすすめられるのを待つ間、どう振る舞えば良いのか。

 できる社会人は、こんな時もそつなく世間話などをして、間をもたせることができるのだろう。そうだ、このすすめられるのを待つ間の間の持たせ方も見られているのだ、と思うと、おろおろした。慌てふためき、入室した瞬間から顔に張り付けたような作り笑顔をまとっていたが、その顔を固定させたまま、大きなデスクに座る重役の髪の薄いどっしりした体格の男性と目を合わせるなり、僕は、椅子を指で指すように示し、座っても良いですか、というようなジェスチャーをしてしまった。

 そんなことをしてはいけない、と肝に銘じていながら愚かな行動をとってしまい、しまったと思い、取り返しのつかない後悔の思いと猛烈な羞恥が胸の奥から湧き起こった。 

 こうした種類の後悔や羞恥は、行動を重苦しく痛々しくさせる。顔に張り付けた笑顔が錆びていくのが分かった。

 対する重役ぽい男性は笑顔を崩さなかったが、ごくかすかに眉毛の上のほうにぴりりと皺が寄ったのが分かった。あ、怒ってる、と思い、恐れおののいた。

 子供の頃から抱え続けてきた、父親や回りの大人をはじめとした大人全体への畏怖のようなものが目の前に大きな障害となって立ちはだかった。それはこの部屋の木製のドアのように分厚く、びくともしなかった。僕は社会に出るにあたって、この自分の意識の中にある大きな壁を何とかしなければいけないということは自覚していた。

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