第15話 同じ船の仲間
彼女は自分の船室の番号を教えてくれ、良かったら遊びに来て下さい、お話ししましょう、と言ってくれる。船は夕方出航、船内で一夜を過ごすこととなる。
食堂で夕食を食べた後、することもないので、と瑞華と名乗る彼女の船室を訪ねてみることにする。僕の船室と同じ二等船室には二段ベッドが四台置かれ、計八人の乗客が一室で寝泊まりできるようになっている。
大連から天津へ一人で出張に来ていたと話す彼女だが、船室では同室の人達が並んで二段ベッドの下段に座り、まるで昔からの知り合いのようにも見える親密さで話し合っている。瑞華が僕を見つけると、早速皆に日本人旅行者だ、と紹介してくれ、座る場所を空けてくれ、隣りに座るよう招かれた。
大連が父親の出生地だから行きたいということも皆に言っているようで、日本占領時代の地名と現在の地名とは変わっており、それを照合するオフィスがあることを教えてくれる男性がいて、場所をメモ帳に書き、行き方を説明してくれた。果物や落花生などをもらい、食べながら話をしていると、日本人と言えば彼らをかつて占領していた敵のはずだがそんな感情は彼らにまったくないようで、ここでは同じ船に乗る仲間だ、という温かい空気が感じられる。
住所照合オフィスのことを教えてくれた男性は商売人らしく、僕が着ている革ジャンとジーパンの値段を知りたがる。日本人の着る物の値段に興味津々のようだ。彼が差し出した計算機を借りて日本円を人民元に換算して示すと「」(安いな)と驚き、金銭的に豊かなことで知られる日本人の若者が安い服を着ているということで船内は爆笑に包まれた。
彼女はその後、僕の船室にも遊びに来てくれた。同じ船室の人達に挨拶し、初対面の彼らと早速会話に興じている。同室の中年女性が、さっき話し掛けたのに無視したからどうしたのかと思っていたら、日本人だったとは思わなかった、と驚いていた。僕の方は話し掛けられていたことにも気付かなかった。
天津へ出張で来ていた彼女は僕に「李瑞華」と印刷された名刺を渡し「このゴンスーで働いています」と会社という意味の言葉だけはなぜか中国語でゴンスー(公司)と言い、彼女自身は大連で生まれ育ったのだが「出たい」と話す。中国の都市では一、二を争うほど物価が高い街なのだそうで「だから出たい」と言うが、出て行く理由にはならないのではないかとも思うが、自分も生まれ育った京都を夏が暑いとか色々と文句を言い、正当な理由もなく出て来ている。
「家族は先祖代々大連に住んでいたのか」と尋ねると「親の代からで、それまでは北京にいた」と言う。でも、今は北京に知り合いもいない。
話していると気分が高まってきたのか「大連高いです、大連嫌いです」とイヤイヤするような仕草で身体をくねらせ脚をバタバタさせ始めた。感情表現が大陸的な気がした。スカートが少しめくれ上がったのを直そうとしないので僕が目のやり場に困っていると突然ハンドバッグから身分証明書を出し、見せてくれた。
「中国人は皆、常にこの身分証明書を携帯しなくてはならないのです」と言う。
民族の区分けも書かれている。漢族、満族、蔵族…。親の代で北京から来た瑞華は漢民族だ。
大連を含む中国東北部は古くは満州族が支配していた。身分証明書の写真を瑞華は「犯罪者みたいです」と自嘲して笑う。
瑞華が自分の船室へ帰った後は同じ船室の人達とも筆談を交えて会話するようになった。皆好奇心いっぱいで、日本のことや旅について、なぜ大連へ行くのかについて、たずねてきた。
自分としては長い旅行のついでに父の生まれた街へ立ち寄ってどんな街なのか見てみたいというだけなのだが、皆はそれを目的として日本から父親のルーツを探して出てきた青年の物語であるかのように感心し感動し、応援してくれた。今さら何も言えず、声援にこたえた。
夜が明け、同室の人達ともだいぶ仲良くなったところで大連港へ到着し、別れを惜しんだ。彼女ともお別れとなるが、船から降りぎわ、良かったら会社へ電話下さい、と言われた。
港から出ると、市街地まで歩いてすぐだった。空気は暖かく、海からの風が心地良い。通りは広々として、歩きやすかった。
大きな街だった、と伯父も言っていた。父の兄で、大連で生まれ十三歳まで育ち、日本へ引き揚げた。今回出発前、博多港から釜山行きの船に乗る前日、佐賀の伯父宅へ寄り、一泊させてもらった時に話を聴いていた。
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