第四節 SCENE-013

 人造王樹デミドラシルが仕える小王おうの一人でありながら、伊月の前に躊躇いもせず膝をついて見せるキリエの振る舞いは、自身の最愛に誠意を捧げる騎士のそれですらない。


 たった一つ、伊月が受け入れられる愛の形を丁寧になぞり、下僕のように跪いて見せることも厭わない。

 そんなキリエの姿に、伊月――キリエ・ヘルシングという吸血鬼に〝牙〟を差し出され、望まない形で永遠を手にした女の生まれ変わりレナトゥスは、自分でも信じられないほど甘く、それでいて苦くもある、複雑な感情を抱いていた。




 それが不快かと言えば、そうでもない。

 伊月がキリエに対して抱く感情は、強いて言うなら諦めと呼ぶのが相応しい。


 ここまでされては仕方がないと、観念して。伊月は気難しい女の機嫌を慎重に窺っているキリエへ、鮮血の拭い取られた両手を伸ばして抱きついた。




 物理的な距離がゼロになれば、伊月とキリエがそれぞれ自分の体の周囲に巡らせている余剰魔力は否が応でも混ざり合う。

 その感覚がどうしようもなく心地良いのは、伊月にとってキリエが極めて安全で、どこまでも無害な存在であるからに他ならなかった。


 キリエほど強大な人外が、伊月でさえ太刀打ちできないほど優れた魔術師であり、伊月のことをキリエ自身の命や尊厳よりも丁重に扱っているという事実・・が、伊月にそれを信じさせる。




 黒姫奈としてキリエと過ごした数年と、黒姫奈として死に、八坂伊月として生まれ直してから今日に至るまでの、二十年にも満たない期間。

 伊月が覚えている限り、全ての思い出と経験を踏まえて、伊月はキリエが恐る恐る――伊月の様子を窺いながら、そろりそろりと薄氷を履むよう、焦ったくなるくらいゆっくりと回してきた腕に、なんの不安もなくその身を任せた。



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