第一節 SCENE-003


「暑い……」


 ただでさえ、環境由来の不快指数が高いというのに。そのうえ、既に事切れている妖魔が残した魔力の匂いが、たまらなく鼻につくものだから。

 まったくもって、不快だと。機嫌の悪さを隠そうともせず、伊月は顔を顰めた。


 昨日までは鼻でもつままれたよう、何も感じていなかったのに。

 今日に限って、どうしてこんなにも……と、今日までに数えきれないほどその手にかけてきた妖魔の魔力が今日になって突然、鼻につくようになった理由を深く考えることはない。


 考えるまでもなく、伊月には自分の身に起きた変化が理解できていた。

 だからもう、これはどうしようもないことだと理解したうえで、腹を立てている。


 そんなとき、地面に落ちた自分自身の影を地団駄でも踏むよう踏みにじるのは、伊月が物心つく前からの癖だった。




 何をどうして、そんな癖がついたのか。それこそ、伊月のことを生まれる前――母親のはらに抱えられていた頃から知っているような近親者の誰もが首を傾げながら、幼い子供のすることだと微笑ましく見過ごされてきたその癖に、いったいどういう意味があるのか。


 今の伊月には理解できている。

 全てを思い出したのだという、自覚があった。


 暗く深い水底から浮き上がってきた水泡が、いつかは水面みなもへと辿り着いて弾けるように。


 なんとも、あっけなく。

 〝八坂伊月〟が知るはずもないことを、頭の中から溢れんばかりに思い出して。生まれてこの方、自身を取り巻く環境に不満どころか、些細な疑問さえも抱くことなく、見聞きする全てをあるがままに、そういうものだと受け止めていた無垢で純粋な少女の意識は塗り替えられた。


 青天の霹靂めいた、突然の変化に驚くこともないほどに。

 来たるべき時が来たのだと、もはや無垢でも純粋でもない伊月には理解することができていた。



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