第13話 やらなくてはいけない仕事

 それから数日が経った。

 お嬢様とラファイエット侯爵は、この侯爵邸で順調に親睦を深めていた。

 といってもただ当たり障りのない雑談をしているだけのようだが……出会ったばかりの男女には、これが一番いいと思う。

 二人はどちらからともなく誘い合い、庭園の散歩をしたり、図書室で本を読んだりと、穏やかなデートを重ねていた。相変わらず、お嬢様だけが一方的にしゃべり、侯爵はうんうんと頷いているだけ。それでもまた誘ってくるあたり、侯爵も楽しんでいる……のだろう。

 とりあえず、二人の交際は順調なようだった。


 私はいつものように夜明け前に起き出して、まず窓を開けて空気の入れ替えをした。夜のうちに用意しておいた水桶で顔と口を漱ぎ、服を着替える。髪を梳き、いつも通りにおだんごにしたら、エプロンを着けて身支度の完成だ。

 紅は差さない。ふつう、貴族の侍女はそれなりに着飾るものだが、私は素顔(すっぴん)のままだ。間違ってお嬢様のドレスを汚さないように……というのが建前。真実は、お嬢様は自分以外の女の美容に興味がない。当然、お給金にそのぶんは含まれていないのだ。わたしも化粧には興味がなく、ただ面倒なだけなので楽をしている。


 部屋を出て、まずは侯爵家のメイド長にご挨拶。それからランドリーメイドに継いでもらい、井戸の使用許可を得る。


「別に、もう勝手に使ってくれて構わないわよ……使い方はもう覚えたんでしょ」


 ランドリーメイドはそう言ったが、私は首を振った。


「メイド長からは毎回、許可を取るように言われています。水場は屋敷(いえ)の生命線、私は外部の者ですから、勝手に使うことはできなくて当たり前かと」

「あーあれはちょっと、あなたに意地悪しているだけよ」


 ランドリーメイドはくすくす笑った。


「ほら、あなたのところのお嬢様。ここへ来たその日にメイドを全員並べて跪かせ、自分のワガママリストを突きつけたでしょ。メイド長のスケジューリングまるつぶれ」

「……存じております。その場にいて、慌ててそのリストをひったくりました」

「あはは、それでメイド長、あなたたちのこと嫌いなの。結局リナさんが全部やってるからこっちに実害なかったんだけどねえ」


 ……その通りだけど、仕方ないことだと思います。

 井戸で水を汲み、今度は食堂へ。


「すみませーん、朝食とティーセットを取りに来ましたあ」

「……ああ。用意できてるよ、持っていけ」


 ぼそりと低い声で答えたのは、料理長のドーノト。二十代前半だろう、小柄でたくさんのそばかすがあって、少年みたいに不愛想な料理長だ。置いてあったものをワゴンに移していると、ドーノトがぼそりと呟く声が聞こえた。


「うちは、朝食とお茶は食堂で取っていただくスタイルなんだがな。侯爵様ですら毎朝そうしてるってのに」

「……すみません……」

「まあこないだみたいに、昼前に起き出して朝ごはんにケーキを出せと言われるよりましだけどさ」

「かえすがえすもごめんなさい」


 謝りながら、私は作業の手を早めた。

 ワゴンを押して廊下を進み、扉をノックしても、お嬢様の返事はなかった。これもいつものことなので、気にせず開ける。ぐーぐーと気持ちよさそうに眠っているひとを放置し、ベッドわきの窓を思い切り開いた。朝日が部屋に差し込む。


「お嬢様、もうすっかり朝ですよ」

「んあ……ああ、リナ?」

「顔を洗うお水と、朝食と、食後のお茶を持ってまいりました」

「……うー……うーん」


 お嬢様は寝起きが悪い。長年の夜遊び癖がたたって、すっかり夜更かし体質になっているのだ。もそもそと起き出したものの食欲がわかないらしく、ぼんやりと座っている。私は溜め息をついた。


「昨日、ラファイエット様から早朝のうちに庭園へ出るよう勧められたじゃありませんか。快く頷いておられたのに、いつまで寝ているおつもりで」

「んん、だって……野鳥が来るってだけでしょぉ? そんなのわたくし興味ないもん……」

「せめて午前中に起きるだけしておかないと、格好つかないでしょう。さあ早く朝ごはんを召し上がって、目を覚ましましょう」

「んんー……はちみつのスコーンが食べたい」

「……ありません」

「コックに言ってきてよ。材料はそんなに珍しいものじゃないから作ってくれるでしょ」

「そんなこと言ったら、ここの使用人達みんなにワガママお嬢様だと思われますよ」


 たぶん手遅れだと思うけど、ということは言わないでおいた。たぶん言っても言わなくても意味はないだろうけど。案の定、お嬢様は面倒くさそうに手を振って、


「下っ端の下僕に嫌われたからってなんだというの。給料のぶんちゃんと働かないなら首にすればいいだけよ。わたくしはここの女主人なんですもの」


 ええと、せめて『未来の』をつけたほうがいいと思います。


 まあお嬢様の言うことも、事実ではある。なにせここの従業員たち、ワガママお嬢様にだけでなく、全体的に活気がないのだ。やるべき仕事はちゃんとやっているけど、気が利くとまではいかないと言うか、侯爵様にも不親切というか。手際の良さを見る限り、優秀な者ばかりだと思うんだけど。


「知ってる、リナ。ここの侍従たち、侯爵様からお給金をもらっていないのよ」


 お嬢様が驚くべきことを言った。


「わたくしも、メイドの立ち話を聴いただけだけどね。この館も従業員も、戦勝のご褒美にと女王陛下が与えたもので、侯爵様が買ったわけではないの」

「ああ、そういえば、帰国したときは全部そろってて、なじみがないって言ってましたね」

「だから年俸も国庫から出ていて、侯爵様に雇われてるわけじゃないの。むしろ侯爵様のほうが彼らを扱いかねているみたい。へたに叱ったりしたら、紹介した王家に角が立つとでも考えておられるようね。侯爵様の方がよっぽど気を遣っているみたいだもの」


 クスクス笑っていうお嬢様。おそらく、侯爵の気遣いはただの杞憂――少なくともお嬢様はそう考えているのだろう。私もそう思う。気まぐれでクビにしたり虐待までいくとよくないが、気が利かないと叱る権限くらい、侯爵様に無いわけがない。


「そういうことだから、リナも気にせず、スコーンを作れと言ってきて。はちみつが無ければイチゴのジャムか、チョコレートでも許してあげるわ」


 そう言うなりお嬢様はベッドに戻り、手だけをひらひらさせた。私がスコーンを持って出直すまで二度寝するつもりらしい。私はもう一度、大きなため息をついた。

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