第12話 何もないけどもやもやする
三人で中庭に降り、迷子の侯爵をお迎えに行くと、彼は手を振って迎えてくれた。自宅で迷子になったことが少し恥ずかしかったのか、大きな体を揺さぶって、侯爵は心地悪そうにしていた。
「いつもいつも、自分の部屋に出入りするたび迷子になるわけじゃないぞ。ただ今日は、近道をしようとして分からなくなっただけだ」
言い訳になっているような、いないような。私とロイさんは苦笑いをしていたけど、お嬢様はそもそも聞いていないようだった。目をキラキラさせ、あたりを見回す。
「すごい、薔薇がこんなに。これだけ立派な庭園に、新しくてきれいなお屋敷……戦争って儲かるんですのね!」
「……俺が戦で利益を出したわけじゃなく、戦果を称えて陛下から頂戴したものだ」
「どう違うんですの?」
率直なお嬢様の問いは、実は私も同感だった。だけど侯爵がどこか悲しそうな眼をしたので、追及してはいけないのだと察する。どうにか話を逸らせないかと思っていたら、ロイさんが助け舟を出してくれた。
「今日はいい天気ですね。テラスにお菓子を並べて、庭園を見ながらみなさんでお茶しませんか?」
あっ、それはとっても素敵! 私は思わず目をきらめかせた。ところがお嬢様は「えーっ」と不満の声を上げた。
「わたくし、お屋敷のなかへ戻りたいわ。さっきちらっと見ただけだけど、侯爵のお部屋もとても素敵でしたもの。わたくし用の部屋も気になりますし。わざわざ土埃に当たらずともよいではありませんか」
「……まあ、そうだな」
侯爵様は素直にうなずいた。
そうなると、誰が反対できるわけもない。私も黙って彼らの後をついていく。通り道、名残惜しく庭園を眺めながら……。
……本当に、すごい薔薇だなあ……。
お嬢様が言った通り、薔薇は高価な花だった。管理が難しいだけでなく種そのものが高額で、私たち庭師が手間暇を惜しみませんからと懇願しても、フィンドル伯爵の許可が下りなかったのだ。いいなあ潤沢な予算。それさえあれば私も父も、大喜びで育てたのに。
大きなテーブル、それすらも小さく見えるくらいの大きな食堂。
侯爵邸の食堂にたどり着くと、すぐにたくさんのメイドがやってきた。かわるがわる出入りして、豪華なティーセットとお茶菓子を並べてくれる。そして用が済むとすぐ、逃げるように去っていった。……とても手際がいいけど、なんか、せわしない。
侯爵が席に着くと、すかさずお嬢様が隣に座り、椅子を寄せる。侯爵は一瞬、居心地悪そうな顔をしてから、そばに立つ私を振り向いた。
「リナはなぜ座らない?」
「え? ……私はお嬢様の使用人ですから」
「うちの執事はもう座って、先に食べているが」
と、言われてみてみると確かに、ロイさんはお口をもぐもぐさせながら、紅茶に砂糖をぽいぽいと放り込んでいた。
「ロイさん、給仕とかしなくていいんですか?」
「それはメイドの仕事ですねえ」
黒髪の執事は、お茶をすすってそう言った。
……まあ、侯爵様が気にしていないなら、私が何か言うことじゃないけど……。
彼は怒るどころか「ほらな」って感じで私を見上げ、口元に微笑みを浮かべる。私は仕方なく、お嬢様の横に腰かけた。
「まあティモシー様、このお茶とっても美味しいですわ。さすが侯爵家、とても良い従者を召し抱えていらっしゃるのね」
おおっお嬢様、珍しくいい感じに会話を振れた。侯爵も嬉しそうに目を細めた。
「ああ。俺もよくは知らないが、仕入れを任せている料理長はとても腕がいいようだ。料理もお菓子も、いつもとても美味しい」
侯爵様……ご自分の財力じゃなく、従業員を褒められて嬉しいのね。機嫌よくロイさんに目配せをして、
「ベルメール嬢が褒めていたと、ドーノト料理長に伝えてくれるか?」
「いっそここに呼んできましょうか。ふだんラファイエット様がひどく不味そうに召し上がってるから、本気で喜びますよきっと」
侯爵様はちょっと怒ったように眉を寄せた。
「……不味いなんて思ってない。ただちょっと……のどがむず痒くて、咳き込んだり手を止めてしまうだけだ」
……ん?
ロイさんは肩をすくめ、
「そうですか。だったらこの機会に、ねぎらいの言葉をかけてあげてください。ドーノト君、本気で自信を失くしかけてるみたいでしたから」
「そうなのか。ではぜひ――」
「あら、必要ありませんわそんなこと。たくさんお給料をあげているんでしょう? それで十分、使用人をあまり甘やかしたら調子に乗って手抜きをしますわよ」
……お嬢様。せっかくちょっといい流れだったのに。
立ち上がっていたロイさんが眉を顰める。侯爵様は少し寂しそうな顔をした、けど、すぐにうなずいてロイさんを座らせた。
「ベルメール嬢の言うことも一理ある。定められた褒章以上のものを一人に与えると、他の者が不満に思い、全体の士気(しき)が落ちる。褒めるときも叱る時も連帯責任でと、軍の規律には書いてあった」
「……まあ、それはそうですけど」
ロイさんは憮然としながらも席に着き、もう何も言わなかった。
肯定されたお嬢様は上機嫌で、ラファイエット侯爵にどんどん話しかけていく。相変わらず侯爵の口数は少ないけど、そのぶんお嬢様がよく喋るので、会話が成立している。
「ティモシー様は国内有数の上級貴族なのですから、毅然としていればよろしいのですわ。侍従たちと会話する必要などありません」
「……そうか。……それは……楽ではあるな」
「あなたは黙って座っているだけで十分魅力的ですもの。むしろ全然喋らなくても構いませんよ?」
「……うん。自分でもそう思う……」
お嬢様の発言は大体突拍子も無くて、私は頭を抱えたくなる。しかし侯爵様は、ほとんどの発言に頷き、肯定していった。
……意外だ。この二人、意外と話が合う……。
私は何となく、胸がモヤッとした。
なんだ。『貴婦人』以外とだって、ちゃんと会話が成り立ってるじゃないの。
…………いや、それは何よりなんだけど。お嬢様の恋が実り、二人の縁談が順調に進むのが私の本望……なんだけど。
……なんか、もやもやするぞ。
胸の曇りを飲み下すように、私はティーカップをぐいっと呷った。
トン、トン、トン。近くでなにか、変な音がした。
私の正面に座っていたロイさんが、人差し指でトントンと、テーブルを叩いていた。
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