みられたくなかった光景
……こ……公爵令息っ?
このロイと名乗っていた執事、ただものじゃないとは思ってたけど――予想をはるかに超えてきたぞ!
上級貴族の執事に、貴族の子息が就くのは珍しくない。だけど公爵といえば王家の次に高貴な家柄で、血縁的にはガッツリ王族だ。世が世なら王子様。そこの男児? 未来の公爵様!?
「な……なんでそんなご身分の方が、執事なんかやってるのよ……」
絶句してしまった私に、してやったりと笑うロイ……カルロなんとか。とはいえ彼も、正体をばらすのはずいぶん覚悟のいることだったのだろう。頬の横に汗が伝っていた。
「たいした身分じゃない、非公式の庶子だ。父――ジーク公爵にとっては使いやすい部下くらいのものだろう」
「待って、なおさら聞いちゃいけないやつ」
「この家には父の手引きで潜入した。指令はさっき話した通り。ティモシー・ラファイエットがこの館、いやこの国で、心地よく過ごせるよう導くこと。この言葉に一切の嘘はない」
この言葉は――ということは、このさらに奥に、もう一枚裏があるってことだ。
そういえば……と思い出す。私がお嬢様と入れ替わったあの夜会を計画したのは、公爵だった。ラファイエット様はだまし討ちのように連れてこられたのだ。参加の目的は、女性との出会い。そして評判の悪いベルメール・フェンデルとの婚約解消。そうだ、初めからそういう話だった。
……公爵はお嬢様が気に入らない、だから、婚約破棄させようとしている。
――なぜ? 意地悪な姑じゃあるまいし――。
「ラファイエット様も、公爵の隠し子……なんてことはないわよね?」
ロイは微笑んだまま首を振った。それからにやりと笑う。
「聞きたい? なら、聞かせてあげよう」
私は無言のまま、自分の現状を確認した。
……ロイは細身だけど、私よりは二回り大柄で、体重も差があるだろう。路上なら砂や石でもあっただろうが、柔らかなベッドの上、手の届くところには枕しか無い。スカートの裾を踏まれ、手首を抑えられた今、ほとんど動くことができない。
だけどこれは、身体的な危機じゃない。ロイは私に聞かせようとしているのだ。
聞いてしまったが最後、聞かなかったことにはできなくなるような、とっても怖い話を。
彼に協力せざるを得なくなるような、ヤバい話を。
そして私は、そこから逃げることができない。
「ティモシー・ラファイエットが、数か月前まで南部の戦地に居たのは知っているね? そこで大いに活躍していたことも」
……知っている。実感は全くないけど。
「強く美しい男は、脳筋兵士にモテるものだ。彼は軍神と呼ばれ、カリスマ的存在だった。しかし誰よりも熱狂的なファンがいる――女王陛下だ」
こ、公爵令息の次は女王陛下ときたか。
「女王はティモシーに、名誉以上のご褒美をあげたくてたまらない。さてそこに、ちょうど彼が制圧した小国がある。元国王はとっくに処刑され代表者不在の状態だ。……将来的に公爵が統治する予定だったんだけどね?」
「ああああもう大体わかっちゃったよ……状況まとめて説明するの上手ね……」
「どうもありがとう。父からしたら寝耳に水もいいところだよ。そもそもラファイエット家を派遣したのは、自分がそこの公王となるためだ。そういう約束で大金も投じた。それを今になって……しかし気まぐれは気まぐれ、ティモシー本人が断固拒否すれば、女王陛下も退くだろうさ」
「それで……この国からもう出ていきたくないって思うように、館を居心地よくしよう、と……?」
「まあ、そういうこと。僕の役目は、離れがたいと思えるような良妻を見繕うことだけども」
さらりと言う。
……どうしよう。マジで全部聞いてしまった。しかもこれ、想定以上に大事だ。普通に国家機密ってやつじゃないだろうか。
確かに、ラファイエット様は幼いころから戦地にいて、この国にはほとんど里心が無いらしい。今、女王から正式に打診をされたら、二つ返事で受けてしまうだろう。それじゃ困るという公爵の立場もよくわかった。となると、私にできることは――。
「……わ……わかりました。お嬢様に、侯爵様の心を射止められるよう努めることと、侍従たちとも仲良くするように進言します」
「いやいや、それで二人が上手くいったとしてあのお嬢様、夫の出国を止めると思うかい? 自分も王妃になれるってのに」
……無理だなあ。お嬢様は美男子(イケメン)も好きだけど、地位や名誉っていうブランドも大好きだ。婚約者が王になると聞いたら大賛成するだろう。
むしろわがままだとか色ボケだとかより、よほど深刻な問題だ。でもこういっちゃなんだけど、お嬢様以外の女性もだいたいそうなんじゃないの? 貴族の女性にとって、王妃は最高の大出世だろう。よほど欲が無いか、この国に未練でもなければホイホイついていくと思う。
なるほどなあ、公爵様も難しい状況なんだな。うーんこれどうしたらいいのかなー。
一度目を閉じ、ぼんやりと考える。やがて眼を開けると、そこにいたロイは、満面の笑みだった。
「そういうわけだから、リナさん。ティモシー・ラファイエットを、君が誘惑してよ」
「…………はっ?」
「実は君、すっごく都合がいいんだよね。生まれ育ちが平民だからか、そういう欲がないみたいだし。君には父親が居て、この国を離れたくないだろうし」
な、何を言い出すのだこの男は!
私はじたばた動いて逃げようとしたが、ロイは完全に私の腹に跨って、びくともしなかった。イエスというまで離さないつもりらしい。
やってることは外道だが、笑顔だけは朗らか。私の体の上で、ロイは鼻歌でも歌うみたいに言う。
「身分の壁はむしろ好都合、簡単に結婚できないからこそティモシーをこの地に縛りつけられる。それに付き合うだけなら問題ないよ、僕の母親も娼婦だ」
「ちょ、ちょっと待って、ついていけない……私に、どうしろって!?」
「侯爵を誘惑。思わせぶりな手紙でも差し出すなりセクシーなネグリジェで寝室を訪ねるなり、とにかくあのお嬢様を遠ざけて、代わりに君が彼の恋人になってくれ」
「なってくれって、めちゃくちゃ言わないでよ! だいたいラファイエット様のお気持ちを無視しすぎ。あの人にだって、好みというものが――」
「だからそれ、君がピッタリだから話している。ティモシー・ラファイエット侯爵は君が好きだよ。君も同じ気持ちだろう?」
――……。………………。……………………。
「な……い…………いいえべつにそういうことはぜんぜんないわっ!?」
思わず、とても大きな声で絶叫し――ロイが反射的に耳をふさいだ、その時だった。
ふと、第三者の視線を感じて、顔を上げる。
開きっぱなしだった扉の内側に、闖入者がいた。
――熊のように逞しい肉体に優美な貴族の衣装、凛々しい面差しに、明るいピンクブロンド。大きな手の中に、こぼれそうな薔薇の花束を抱えた、ラファイエット侯爵……だった。
私と、ロイ。ベッドの上で、二人ともの動きと思考が停止する。
「…………ええと」
ラファイエット様は、ぼんやりとした声を漏らした。
「………犯罪?」
「違いますっ!!」
ロイが絶叫する。それを聞いて、侯爵は「……ああ」と、意味のない言葉を呟いた。
「…………そうか。じゃあ、これ……花束。……ベルメール嬢に、渡してくれ」
「…………は……い」
「ここ、置いておく。じゃあ」
鏡台の上にそっと花を置き、すぐに踵を返す侯爵。
ぱたん……と寂しげな音を立て、扉が閉められた。
「ーーそれも違いますーーっ!!」
直後、ロイは全力疾走で追いかけて行った。
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