聞きたくない話

 突然やってきたロイさんを、とりあえず招き入れたものの、この狭い部屋に応接テーブルなんてものはない。

 扉から三歩先にある簡素なベッドと、身だしなみを整える程度の小さな鏡台兼デスクだけだ。 寛ぐときはだいたいベッドに腰かける私だけど、男性をそこへ座らせるわけにもいくまい。とりあえず鏡台の椅子を勧めてみた。が、ロイさんは首を振り、むしろ私に椅子を促す。そして自分は立ったまま、扉にもたれかかった。

 ……遠慮をし、異性の来客として、一定の距離を保ってくれている。けど、内側から扉をふさぎ、誰も入ってこれないよう封じているとも見える。


 ロイさんはフフッと笑った。


「妙な心配をしないで。僕はふつうに、美人が好きだよ」

「い、いえいえそんな疑いなんてしていません」


 ……実際、そういうのを警戒しているわけではないのだ。といっても、じゃあ何を警戒してるのかと言われたらよくわからない。本当になんで自分がこんなにも、彼に心を許せないのか不思議なくらいだ。いままで何か、嫌なことを言われたわけじゃない。むしろお嬢様と私の部屋を手配してくれた。彼は温和で、模範的な執事でしかない。


 でもなんだろう――なにか――。


 ……根っこに毒のある花を前にしたような、ざらりと感じるものがあるのだ。


「本当になにもしないよ。ただお話がしたいだけだって、そう言っただろ」

「雑談、じゃないですよね。私に何の御用でしょうか」

「うん。ちょっとしたお願いなんだけどね」


 彼はやはりにこにこしたまま、言った。


「単刀直入に言う――ベルメールお嬢様に、ラファイエット侯爵から手を引くよう進言してほしい」


 なんとなく、そのような用事である予感はしていた。私は一礼して、答えた。


「お断りします」

「うんまあ、そういうよね。君はフェンデル家の使用人だから」

「それ以上にお嬢様の侍女です。お嬢様は、政略的婚姻は別として侯爵をお慕いされています。私はお嬢様の恋が実るようお手伝いするのが仕事です」

「うーん。じゃあ君から侯爵に言うのはどう? あのお嬢様はあなたにはふさわしくないですよ、って」

「この流れでどうして、それならオーケーになるんです? もちろん不可です。ベルメール様を、侯爵にふさわしいよう教育するならば、私にできるだけのお手伝いをいたしますが」

「それが本当にできるなら、まあそれでいいんだけどさ」


 彼は考えるフリをした。少しだけ間をおいて、首を振る。


「無理だろあの糞淫売。頭も体も腐りきってやがる。糞はどれだけ叩いても飛び散るだけだぜ」

「…………。なるほど」


 彼の言葉に、私は一種の安心感を覚えた。


 そうかそうか。ロイ・アダムス……こういうひとだったか。ならばこちらも、おとなしくしてたら吞まれるだけだ。私は足を組み、頬杖をついた。


「ベルメール様がご令嬢らしくないのは認める。でもそれで言うと、ロイさんのほうがよほど執事らしくない気がするわ」

「おや、そうかい? 紳士のふるまいってやつはそれなりに勉強してきたんだけどな」

「主の意志に反してまで、その婚姻に口出す執事がいる? あなたがここに来たのは越権行為よ。なぜお嬢様と侯爵様の結婚を邪魔しようと?」

「それはさっき言った通り、彼女が妻としてふさわしくないからだ」


 きっぱりと言い切るロイ。私は鼻で笑った。


「それで、主の妻はボクのお眼鏡にかなう女性がいいと駄々こねてるわけ? あなたは侯爵のママ? それとも侯爵に片思いでも?」

「まさか。ただラファイエット様はただのおひとではない。この国の上級貴族、稀代の英雄だからさ」

「だから何。王族(ロイヤルファミリー)でもなければ貴族の妻なんてほとんど飾りでしょう。年に数度の社交界で、淑女ぶって見せるくらいならお嬢様にだって出来るわよ」


 ロイさんは後ろ頭をコリコリ掻いた。「それは、そうなんだけどね……」などともごもごいいつつ、肩をすくめる。


「人前で取り繕うだけじゃなく、日々の生活で夫を癒してこその良妻だ。あの女はまず、人の話を聞いてない」


 う。それはまあ、たしかに。侯爵が素直に「そうかそうか」って聞いてくれているから成立しているように見えるだけで、微妙にすれ違っているのは私も感じている。


「それに、館の住人……侍従たちとも、うまくやっていく気が無いだろう? あれは深刻だ。ただでさえ誤解されがちなラファイエット様が、彼女の影響を受けたらますます孤立してしまう」


 それも、真実。

 では彼は本当に、純粋に主を思いやって? ……いや違う……やはり私の中に、それだけじゃないという確信がある。このセリフをドーノト辺りが言ったならば信じられただろう。だけどロイはその言葉の裏に、もう一枚なにかを隠している。言葉は真実だけど、真理はボカされているような――そうだ、彼は今『困る』と言ったわ。何が困るの? 主が侍従と仲良くする必要はない、同時に侍従も、必要以上に主に媚びる必要もない。お嬢様は確かにわがままだけど、世の中にはもっと傍若無人で、使用人に残酷な折檻を与える貴族が大勢いる。お嬢様はマシな方だと思う。

 侯爵と侍従、夫婦の仲が悪くても、ほっとけばいいじゃない。ロイに何の関係があるのだろう。

 それがどうしても納得いかなかった。


「あなたの目的は何?」

「……さっき言った。侯爵様に、この館で心地よく過ごしてもらうこと」

「聞き方を変えるわ。なぜあなたは、そうしたいの?」

「……このロイ・アダムスは、ラファイエット侯爵の執事でございます。主を慮るのは、当然の職務でございますよ」

「あなた何者?」


 はははっ、と、ロイは声を上げて笑った。


「うん、いいよ、教えてあげよう。その代わりに、さっき言った僕の願いを聞いてもらうよ」

「あっ、だったらいいです」

「おい!?」


 フイと背を向けた私の肩を掴み、無理やり振り向かせるロイ。いや知らないわよ。この家の執事がどんな生まれ育ちかなんて私には全然関係ないことだし。というかこの件、全方面私は関係ないし。

 むしろ現時点でも踏み込みすぎだ。私は平民、通りすがりの侍女、お貴族様の結婚とか陰謀とか関係ないです!

 私はロイを部屋から追い出すべく、背中をドシドシ押した。


「これでもう話は終わりですね、出て行ってください」

「いや待て待て、まだ何も済んでない、押すなよってか君、力強いな?」

「お褒めいただきありがとうございます庭師の娘で特技も趣味も薪割りなもので下半身には自信があるんです、さようなら」

「待てってわかった、わかった! もう何も言わない君を巻き込まない、転ぶから手を離して危ない、痛い痛い痛い!」


 ロイの叫び声に、私は手を離した。木の床に突き倒したくらいで怪我もしないだろうけど、反射的に力が抜けた。

 その一瞬の隙に、ロイは私の手首を掴んだ。そのまま持ち上げるように体当たりされ、狭い部屋の突き当り、ベッドにドッと押し倒される。

 あっという間の形勢逆転。仰向けになった私を力づくで束縛し、ロイは一息に言い切った。


「僕の本名はカルロテッド、ティモシーの後見人である公爵の落とし胤だ」

「……ぴえっ」


 思わず、変な声が出た。


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