無いものの代わりに
私には医学知識なんか無い。料理も家庭料理程度で、王宮料理人ドーノトの技術、知識と比べれば足元にも及ばない。
だけど、私は庭師の娘だった。植物のことならよく知っている。料理人が扱う野菜より、庭に植える草花のほうがずっとずっと種類が多い。
「触ると発疹や呼吸困難を起こすような毒草も、全然平気って人がいるの。逆に『ほとんどの人にとっては安全』なもので、死んじゃうくらいひどい反応をする人もいる。生まれつきって人もいれば、大人になってから急にダメになるひともいるし、逆もある」
私の話を、ドーノト料理長は真剣な表情で聞いていた。
「……そんな話、初めて聞いた……」
「仕方ないわ、料理人は『安全なもの』だけを料理に使うのだから」
そう、『食材』とは安全に食べられるものとして市場に流通しているものをいう。でも庭師が扱う植物は、食用だけでなく観賞用、薬や毒にもなるものも含む。王宮料理人ドーノトには無い知識が、私にはあった。
「ドーノトさんは海外から帰ったばかりの侯爵をもてなすため、この国で伝統的に食べられているものを使っていた。侯爵はそれを食べて発症した……なら、悪いのはこの国特有の食材だわ。何か思い当たるものはない?」
「……この国伝統……で、内陸にないものっていったら、海産物だ。貝やエビの殻からは、美味い出汁(ベース)が取れる。それをほとんど毎食どこかの皿には使っていた」
「では今日のお昼、怪しいもの全部排除した料理をお出ししてみましょう。それでだめだったらトライアンドエラー。大丈夫だったら、今後は一種類ずつ順番に試食してもらって、公爵にとっての毒がどれなのか絞る作業に入るのよ」
ドーノトは黙り込んだ。さっきまでの、不機嫌で陰鬱な沈黙ではない。きっともう魚介出汁を使わないフルコースメニューを考えているのだろう。むしろその眼は、きらきらと輝いていた。
……よし。これでもう大丈夫みたいだ。
せっかくのお料理を食べられず、侯爵が苦しい思いをすることはなくなる。
ホッとすると、私は自分の用事を思い出した。そうだ、スコーン! お嬢様の朝ごはん!
「あのう、スコーンが欲しい……んですけど、料理長、お忙しいですよね」
おずおずと申し出ると、彼も思いだしたらしい。ちょっと考えてから、「ん」と戸棚を指差した。
「あそこに小麦粉、バター、下の棚には砂糖壺とそのほか諸々」
「あっはい、私が作れってことですね」
別に、それで構わない。スコーンくらいなら、フェンデル家にいた時からお嬢様の気まぐれで何度も作らされている。むしろ侯爵家の材料や厨房を使わせてもらっていいんですかありがとうございますって感じだ。
お言葉に甘えて材料を集めていると、不意に頭の上に何かが乗って来た。ちょっと痛い。振り向くと、後ろにいたのは料理長ドーノト。
「この館にはちみつは無い。代わりにこのレモンジャムを使え」
「え? ……ど、どうも」
一応、お礼は言ったけど、目の前に「はちみつ」と書かれた壺があるのですが……。まあはちみつは高級品だしね、侯爵様のためのものだから、お嬢様に食わすなということだろう。
「あとその小麦粉、発注ミスって余ってる。たくさん焼いて消費してくれ」
私はハイと素直にうなずいた。
レモンジャムのスコーンは初めて作ったけど、とても上手く焼きあがった。ドーノトが貸してくれた、可愛いバスケットに入れて屋敷へ運ぶ。
厨房からお嬢様の部屋へ向かうには、階段をひとつ登らなくてはならない。その踊り場……いや中二階に、小ぢんまりとしたバルコニーがあった。そちらへ目をやって――足が止まる。
小さなガーデンテーブルに、大きな体の男がいたのだ。彼はすぐ私の気配に気が付いて、こちらに顔を向け、手を振った。
「やあ、リナ」
「……ラファイエット様」
「僕もいますよー」
ラファイエット様の向かい席に、執事のロイさんもいた。私はお二人に頭を下げた。そこへ侯爵のやわらかな声が届く。
「おはよう、というにはちょっと遅いか。こんにちは」
「こ……こんにちは」
「何か、用事の最中か? そうでなければ少しだけ、こちらへおいで」
えっと……どうしようか。スコーンをお嬢様に届けなくてはいけないけど、侯爵のお誘いよりも優先すべき急用とは言い難い。
戸惑いながらも、バルコニーへ出る。
「何か御用でしょうか――」
と、言いかけた言葉を、「ピュウウ!」と甲高い音が遮った。直後、目の前を何かが横切っていった。……鳥だ。「ピュウ、ピュウ」と奇妙な声で鳴く、綺麗な色の鳥だった。
「野鳥、ですか?」
「ああ。蜜を吸う鳥だ。薔薇の庭園に入り込んだらしい」
ほら、と外を指差す侯爵。身を乗り出してみると、バルコニーの下には一面の薔薇がひろがっていた。そうかここ、庭園の真上なんだ。ここはこの景色を楽しむためのテラスだったのね。
薔薇の花園を、高いところから見下ろしたのは初めてだった。朝露に濡れているのだろうか、陽光の下、きらきら光輝いて見える。
「綺麗ですね。薔薇も、鳥も」
私が言うと、侯爵は目を細めた。「そうだろう」って、自慢するみたいに微笑んで、
「花も鳥も、暑いのが苦手らしい。この景色は午前中にしか見られない。……ベルメール嬢を誘ったのだが……」
「お嬢様はあんまり、こういうものには興味が無いようですねえ」
ロイさんが言う。あっ、やばい。侯爵もなんかシュンとしちゃったぞ。どうしよう、なんとかフォローをしなくてはっ……。
「あ――あの、ええとお嬢様は……その……なんというか!」
どうにか言い訳を並べようとした、その時だった。
――ぐうぅ。
何か、奇妙な音がした。思わず視線を巡らし、音の出所を探る。ロイさんも同じだったらしい。二人の視線は、侯爵のお腹部分で交差した。
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