褒められる覚えはない
「いやちがう、これは、朝ごはんが足りなかったとかそういうことではなく!」
なにやら言い訳をしている侯爵。「ははは……」と私は乾いた笑いを漏らした。
平常だったら、「侯爵様もお腹を鳴らすことなんてあるのね、そりゃそうか人間だもの」なんてほほえましく思えただろう。
だけど今はひたすらに同情する。朝食は蟹肉(クラブ)サンド、私とドーノトの予想が正しければ、素材の蟹は侯爵にとっての『毒』そのものだ。まともに食べられていないのだろう。可哀想でいたたまれない。
執事のロイさんはそれを知っているのかどうか、表情からは読み取れない。ただ私の手元を見て、微笑んだ。
「そういえばリナさん、なんだかおいしそうなにおいがするね。それ、何持ってるんです?」
「あっ……これは、お嬢様の……」
ワガママで、急遽作らされたとは伏せておこう。かぶせていた布を取って、焼きたてのスコーンをちらりと見せる。するとまた、「ぐううぅぅ!」と盛大な音が聞こえた。慌ててまた腹を抑える侯爵。
私は思わず叫んだ。スコーンの入ったバスケットを差し出して、
「あのっ、これどうぞ、召し上がってください!」
「いや、しかしそれはベルメール嬢の」
「大丈夫です、もともとお嬢様にはちゃんと朝ご飯がありましたし。これ、一人では絶対食べきれないくらいたくさんあるので!」
差し出してしまってから考えた言い訳だけど、事実だった。料理長ドーノトに消費を命じられたのは小麦粉だけでなく、レモンジャムやバターなどほかの材料も大量で、バスケット山盛りのスコーンが出来てしまったのだ。余った分はメイドにでも配ろうと思っていた。けど考えてみれば、侯爵様に食べてもらった方が断然いいわ。材料はどれも世界中で一般的なものだし、『安全』だろう。何より、彼は今、誰よりもお腹を空かしているんだもの。
「……では、ひとつだけ……」
私の熱意を無下にできなかったのか、あるいは本当に空腹に耐えかねたのか、侯爵はスコーンを掴み取った。彼の手が大きいので、スコーンがやけに小さく見える。私が三口で食べるサイズのを、ばくんと一口。瞬間、侯爵の青い瞳が輝いた。
「――レモンだっ!!」
今まで聞いたことが無いほど、大きな声でそう言った。
ロイさんが、自分もひとつ(勝手に)食べながら笑う。
「ラファイエット様、レモンスコーンがお好きでしたか」
「うん! この館に来て初めての朝食で、ドーノト料理長が焼いてくれた。あまりにも美味しくて、一口食べた瞬間、これしか無いのかと聞いてしまったくらいだ」
晴れやかな笑顔で仰る。私はふと嫌な予感がした。
「ラファイエット様、それもしかして、料理長は哀しい顔をしませんでしたか? こう……『ご満足いただけなくてすみません』みたいな」
「ああ……そういえば。『明日からはもっと精進します』とか言っていたような」
私とロイさんは頭を抱えた。
……そうだった。このひと、無口である以上に、口下手なんだった……。
ロイさんが頬杖を突き、半眼になって言う。
「ラファイエット様……その言い回しでは、量ではなく質に対して不満……『不味い。こんなもの食えるか、他のを出せ』の意に聞こえます」
「えっ」
「ドーノト君はきっとそれで、落ち込んじゃったんですよ」
「そ、そうなのか」
今度は侯爵が目を点にする。やっぱりわかってなかったのか……。
「……では、本当に量が足りないときは、我慢するしかない……?」
「いえいえ、まずは『美味しい』と明確に褒めて、さらに皿を綺麗に食べつくしたうえで、『申し訳ない、あまりに美味しすぎてもっとたくさん食べたいのだ。追加が欲しい』と伝えればオーケーです。……もちろん、料理人の心象など気にせず、『足りん!』とか『不味い!』の一言でも構いませんが」
侯爵はぶんぶん首を振った。そして慌てた様子で席を立つ。
「そんな誤解が生じていたとは、このラファイエットの不覚。ドーノトに謝らなければ」
私は侯爵の服を掴み、引き留めた。
「大丈夫、その誤解はもう解けていると思います。ドーノトさんが私に、スコーンにレモンジャムを使うよう言ったのはそういうことかと」
首を傾げる二人に、私はくすくす笑ってしまった。
そう、ドーノトは、侯爵が自分の料理で渋面になるのは味のせいではないと理解した。むしろ美味しいって、喜んでいたのだと。そこから連鎖的に、初日の誤解にも思い当たったのだろう。
侯爵が今、お腹を空かせていること。お嬢様が食べきれないくらいたくさんのスコーンを持たせたら、私が彼へのおすそ分けを思いつくこと。もしかしたらこの時間、侯爵たちがこのバルコニーにいる習慣を知っていたのかも?
……うん、やっぱりドーノトを引き留めて良かった。彼は最高の料理人であり、ラファイエット様に必要な使用人だわ。
あっという間に食べ終えてしまった彼に、バスケットを差し出す。
「良かったらもっとどうぞ。まだまだたくさんありますから」
「そんなことを言われたら、ひとつ残らず全部食べてしまうぞ」
「あはは、お嬢様のためにひとつだけは残しておいてください……あ、それと、お昼ごはん用のお腹の隙(あき)も」
私は言った。さっそくレモンジャムスコーンを両手に持っている彼に、ちゃんと釘を刺しておかねばならない。
「これから召し上がるお料理は、すべて『安全』なものになります。今、ドーノトさんが侯爵様のために頑張っていますから、今後は安心して、お腹いっぱいお召し上がりください」
私が言うと、侯爵はふんわりと柔らかな微笑みを浮かべた。私はドーノトへのお褒めの言葉を期待した。だけど、彼らから出たのは意外な言葉だった。
「ありがとう、リナ」
「……へ? な、なぜ私?」
「リナが何か、ドーノトに働きかけてくれたのだろう? それにこのスコーンもとても美味しい」
「えっ、いやそれはドーノトさんが――」
慌ててそう訂正したけど、侯爵はニコニコ笑ったまま。
「さっき、ドーノトにレモンジャムを使うよう言われた、と言った。リナが焼いたのだろう?」
「た、確かにそうですけど……でもドーノトさんに言われなければ、たくさん作ることもありませんでした。お褒めの言葉はドーノトさんにお願いします」
「おおー謙虚だねえ。手柄を他人に譲るとは」
「ロイさん何を言うんですか、それこそドーノトさんでしょう。彼は私に、ラファイエット様から褒めさせようとしたのだわ。彼はきっとここでお二人がくつろいでいるのを知っていて、私が通りがかるのを予測して」
「結果、彼の期待通りに分けてくれた。きっとそうするだろう、とドーノトが見込んだということだな」
「ラファイエット様までっ……!」
「いやあきっとリナさんは、本気で自分が何もしてないと思ってるんですよ。いつもお嬢様のもとでこき使われてるから、素晴らしい働きも日常業務でしかないのかと。根っからの働き者ですねえ」
「ロイさん――」
「というよりも、誰に対しても常に親切で、優しいのだと思う。ドーノトにもそうしたから見込まれた。リナは……本当にいいひとだ」
「ラファイエット様っ!」
とうとう私は怒鳴った。いつの間にか全身が真っ赤に紅潮していた。そんな私を見て、二人はさらに大笑い。
ラファイエット様がスコーンを食べ終えるまで、私は顔から湯気を出し続けたのだった。
余談だが……このあとお嬢様の部屋に帰ったら、彼女はクラブサンドを食べつくし、お腹いっぱいになったらしい。大の字でシアワセそうに二度寝していた。
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