食べられない理由?

「うーん……」


 私は唸りながら、食堂の奥、厨房へ向かう。


「このままじゃよくない……お嬢様が嫌われ者になってしまうわ……」


 もう手遅れかもしれないけど、と心の中で追記する。

 ……確かに、お嬢様の言う通り、使用人に好かれることは、必要不可欠ではない。使用人たちは給金のために務めているだけ、仕事のクオリティに主への好感度は関係ない。

 この私こそがその典型例だ。お嬢様や伯爵様のことは全然好きじゃないけど、仕事をサボることはないもの。きっとお嬢様もそれが分かっていて、だから安心しているのだろう。別に嫌われてもかまわない、何であれリナ程度には尽くしてくれるはず、と。


 ……もしかして、私が甘やかしてるのが良くないのかなあ。

 でも私もお嬢様の侍女で、尽くすのが仕事だし。

 どうしたものかと首を傾げつつ、侯爵邸の調理場に到着した。

 私の足音を聞いたのか、料理長ドーノトが振り向き、すぐに不機嫌な顔になる。


「なんだあんたか。どうしてまた来た?」

「あのう、お嬢様がスコーンが食べたいと……」

「スコーン? なんだよ、俺の作ったクラブサンドが食えないってのか!?」


 いきなり怒鳴られた。


「えっ、い、いやそんなことは。ただいつものワガママで」


 慌てて言い訳すると、今度は急に仏頂面になった。


「別に、不味いもんを不味いと言うのはワガママじゃないだろ。好きにすればいいさ」


 そう吐き捨て、背を向ける。

 すいません――と謝ろうとして、口をつぐむ。ここで謝ってしまうと彼の言葉を肯定してしまうからだ。お嬢様がスコーンを欲しがったのは、ただそんな気分だったというだけなのに。

 いやそりゃあ、それはそれでひどいわがままなので弁明にはならないけど、とりあえず料理の味の問題ではないことは主張しておきたい。だってドーノト料理長のごはんは本当に美味しいし、お嬢様も楽しみにしているんだもの。

 というか……ちょっと気が短くない? 私が何かいうより前から不機嫌というか、ピリピリしているというか。なにかあったのだろうか。


 その思考を、顔に出しはしなかったはずだけど、


「……悪ぃ、八つ当たりだ、今の」


 ドーノトは自分からそう言った。

 頭をガリガリ掻き、私に背中を向ける。表情は見えないけど、しょげた肩から落ち込んでいるのが分かる。


「あのクラブサンド、ラファイエット様にも不味そうな顔されてさ。自信失くしてたとこに追い打ちかけられた気になった。しかしあんたに怒鳴ったって何にもならねえよな。悪かったよ」

「えっ……でも、侯爵様、美味しいって言っておられましたよ」


 私が言うと、「お世辞は結構」とばかりに首を振る。


「表情や言葉が渋いだけなら、誤解の可能性もあるけどな。俺にはわかるんだ。あの人は……俺のいないところで、こっそり吐き出してる。何日もまともに食ってないのさ」

「そんな……でも本当に」

「間違いない、見るからに痩せてきてる。俺ァ女王陛下から『英雄』の鋭気を養うよう言わてるのに、ほんと……ざまぁねえぜ」


 はーっ、と大きく溜め息をつくドーノト。


「侯爵は何十年もの間、南部の内陸国へ出征してたからさ。あっちじゃ食えなかったろう、この国名物の新鮮な海産物を張り切って並べたのによ。……俺の腕は、内陸国(あっち)の料理人の足元にも及ばなかったってことだ」


 思っていたよりもずっと深刻で、そしておそらくは真実の悩みに、私は戸惑った。どうして? 確かに侯爵様は「味は良い」と言った。ドーノトが居ない場所でだ、お世辞や気遣いで言ったはずがない。私やお嬢様も同じものを食べたけど、本当にどの食事も美味しかった。彼の腕は間違いなく一級品だわ。

 それに、彼は使用人としてとても従順だ。ラファイエット侯爵の体は、もともと大きい。ちょっとやそっと体重が落ちたところでわからないだろう。それを、彼は見て取った。侯爵自身からは何も言われていないのに、主の健康状態をいつも気にかけて、試行錯誤をしていたんだ。

 理不尽な八つ当たりも、彼の悩みの深さゆえ。真剣に侯爵のことを考えているからこその悩みだった。

 ……いい料理人だ。口下手なラファイエット様には、こうして気遣いができる彼のような侍従が必要だった。


 だけど――確かにろくに食べられてないというのは事実で……。

 そういえば、『咽喉がむず痒くなる』とは言っていたような?

 ……ん? 待てよ、それってもしかして――。


 ドーノトはもう一度大きく溜め息をつき、そして、コック帽を脱いだ。


「俺はもうここを辞める。いや料理人自体、才能無かったのかもしれねえな」

「ま、待って!」


 私はドーノトの肩を掴み、無理やり振り向かせた。驚く彼に熱弁を振るう。


「やめるなんて言わないで。あなたの料理の腕に何の問題もないの! 問題は、侯爵様のほうにあるのよ!」

「な……なんだ? 変な慰めはよせよ。言っとくけど侯爵のせいにはできねえぞ。主がどんな偏食家でも対応してみせるのが専属料理人――」、

「好き嫌いでもない、ほんとに美味しくても食べられなかったのよ。そして侯爵自身、なぜ呑み込めないのかわからなかったのだわ」

「んん? はあ?」


 困惑のあまり首を傾げることすらできず、目を白黒させているドーノト。彼のクリッと丸い目を真正面から見つめて、私は頷き、断言した。


「ドーノト料理長……植物を触って、肌がかぶれたことはない? 自分以外の人は大丈夫だったのに、っていう」

「……ああ……そうだな。漆がまだ乾いてなかった什器に触って、手がパンパンに腫れたことがある。職人は『慣れているから平気』と言っていたが……」

「それと同じことが、ラファイエット様の咽喉で起きたのよ。不味いから吐き出したんじゃなく、咽喉が腫れて、飲み込めなかったの」

「…………へ?」

「あなたが毎日、ほとんどの料理に使うものって何? 内陸国には無くて、わが国の郷土料理ではテッパンの食材や調味料。私たちが毎日当たり前に、ラファイエット様は初めて食べたもの。それさえ外せば、あなたは一流の料理人だわ!」


 ドーノトはやっぱりまた、目をぱちくりとさせた。

 

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