第3話 言う必要はない内情

「……へ?」


 私は思わず、素っ頓狂な声を漏らしてしまった。何かの聞き違いかと思ったが、男はそれきり黙り込んで、また所在なさげに俯いている。なにか言いたいことはあるが、言葉に出来ない心理がありありと伝わって来た。


 ……無口なだけ――それも本人が不便さを感じるほどに深刻なレベルで――というのを理解し、私はふと合点がいった。


「もしかしてさっきの花、ぶつかったお詫びのつもりで?」


 こくり、と鉄仮面が前に倒れる。


「跪(ひざまず)いたのも……?」


 またこくりと頷く仮面の紳士。私は吹き出した。


「ごめんと口にできないのに、そういうことは出来るんですか。普通に謝るよりもずいぶん大仰になってません?」

「……いや……」


 久しぶりに出てきた声は、やはり獣の唸り声のように低い。


「謝ろうとは、したのだが。その……あなたは、ぶつかられたことではなく、耳飾りが壊れたことに悲鳴を上げたように見えた。

 ……俺は、この通り武骨な男で……女性のアクセサリーの価値がわからない。どのくらいの詫びが適量なのかと、悩んで」


 詫びの適量とは。


「……騎士の伝統的な最敬礼をしてみた。嫌がられた。そこにとても綺麗な花があった。……採ってはいけないやつだった……」


 つまりこの人、本当になんて言ったらいいのかわからなかったので自分に出来る最大の贖罪をして見せたわけだ。それがあの敬礼であり、花だったと。


 ――変な人だ。


 そう確信しながらも、私はちょっと嬉しくなってしまった。だって彼は気まぐれで野花を摘もうとしたのではなく、本当に綺麗だと思ったからこそ、贖罪の証に月光華を選んだのだ。騎士の最敬礼に匹敵するものとして……。


「ふふっ」


 と、思わず笑い声が出る。何を笑われたのか分からないらしい、彼は鉄兜を横に傾けて(たぶん首を傾げたんだと思う)、直後に腰元の剣を取った。ぎょっとする私に、その刃を、ではなく鞘ごと手渡してくる。女性でも振れるほど細身のレイピアで、鞘にも柄にもアホみたいに宝石がびっしりついている。


「な? な、ななな、なんですか」

「今俺の手元にある、最も貴重なものだ。部屋にある騎士剣は、身分証明でもあるからどうしても渡せないが、これならばただの飾りだから……」

「無理です無理です要りません、いや受け取れません!」


 だってあのイヤリングはただのガラス玉、母がまだ若いころから使っていたという年代物で、市場価値など無いに等しい。それを貴族の宝飾剣で弁償なんて、桁外れどころの騒ぎではない。当たり屋だって恐縮しておつりを返すわ!

 大慌てで突き返したが、男は頑として退かなかった。私の手にしっかりと剣を握らせ、叱るように、言い聞かせてくる。


「金銭的価値で釣り合うかは関係ない。あなたにとって貴重で、大切なものだったのだ。これで駄目なら、俺はもう腹でも切るしかない」


 ……無茶苦茶だわ。

 私は諦めて、宝飾剣を受け取った。頃合いを見てどうにか返すにせよ、とりあえずそうしないと男は本当に自決でもしそうだったから。

 ……となるとここでお別れというわけにはいかないな。なにせ今いるのは仮面夜会、素顔も家名も分からない。鉄兜が異様に目立つぶん、ほかの特徴の印象が薄いのだ。色々と聞き出しつつ、じっくり観察しないと……。


「良かったら少しお話しませんか? ほら、あそこのベンチで」


 私が誘うと、男はやはり無言で、のそのそと付いてきた。ベンチに座ると、隣に座る。

 そしてまた黙り込む。


 私は男の外見的特徴を覚えようとした。


 ……鉄兜、からは目を逸らして……それ以外のところ。襟足からちょろりと見えるのは、少しクセのある金髪……いや銀髪か? かなり明るい色。

 首はがっちりと太く、肩幅が広い。今は座っているのでよくわからないけど、相当な上背だった気がする。優美なパーティー服がはちきれそうで、正直あまり似合っていない。肥っているわけではなく、実戦的な筋肉が衣装の下に満ち満ちているのだろう。

 背が高い、というより「ごつい、でかい、いかつい」という印象が先立つ体型だ。職業は騎士……かな? それよりも傭兵団の元締めとかのほうがしっくりくるくらいだけど。

 でもこの国で騎士は、あまり高い身分とは言えない。ギリギリ貴族にカウントされる程度の職業軍人だ。公爵邸の夜会に誘われるとは思えないのだが。


「あの……あなたは何故、この夜会に?」


 気になっていたことを率直に訪ねてみた。彼は率直に答えた。


「公爵に誘われた。というか、食事に誘われ、来てみたらこういう会だった」

「……ではその兜は自前で?」

「屋敷にあった置物から拝借した」


 回答はわかりやすく、それなりに早い。長セリフもちゃんと理路整然としていた。答えが分かっていることならば問題なく会話できるらしい。


「なぜ公爵様は、あなたを誘ったのかしら」


 という、ぶしつけな問いにもちゃんと答えてくれる。


「俺の婚約者が、あまり評判がよくなくて。公爵は彼女との結婚を辞めたほうがいいと思っているらしい」

「な、なるほど?」

「だが俺は、『普通の女性』が、よくわからない。彼女がひどい悪女なのか、マシなほうなのか……」

「えっ、それ分からないものなんです?」

「わからない。というより、知らない。俺は十になる前から兵舎で過ごし、二十年余り……女性との会話は、叙任式で女王陛下にお声をかけて頂いたくらいだ」

「ひょえ」


 思わず変な声が出た。慌てて口をふさぐ。


「そんな男が、真実も理解していないのに、古くからの約束を反故にするのは不義理だと思う。そう公爵に言ったら、だったら他の女と交流しろと連れてこられた」

「それはそれは……お、お疲れ様です……」


 なんと言ったらいいか。聞いてはいけないことを聞いた気がする。通りすがりの他人にぶっちゃけちゃっていいのかしら。

 思わず心配になってしまったけど、彼は男の見栄とかプライドといったものは、あまり持ち合わせていないようだった。


 ……きっとこのひと、口下手というよりはとんでもなく素直なのだわ。

 出会いに来ているのに、こんなところで私と長話をしているのがその証拠。

 私自身は庶民の小娘だけど、お嬢様おつきの侍女として、貴族の男女のなんたるかは目にしてきている。ふつうこういう時、男性が女性をリードしてとにかくあれこれ話しかける。それで女性の気をよくさせて、さらに深い仲になるよう打診をかける――そのために男は女を誘い、逆に言えば、その気もない女に無駄な時間や労力をかけないものだ。

 それをこの人ったら、欲がないと言うか、何というか。

 さっきの弁だと年齢は三十代、少なくとも二十代後半? 十六の私よりずっと年上だけど、お節介魂がうずいてしまう。


 私は言った。


「それなら早く屋敷へ戻って、目ぼしい女性を誘わないと。こんなところで時間を無駄にしてはいけませんわ」


 彼は、返事をしなかった。

 しばらく待ってみる。だけどやっぱりずっと黙ったまま。

 どうやらまた、何と言っていいか分からないらしい。さらに待ってみる。と、


「……なんと言ったらいいか分からないのだが……」


 あ、やっぱり。

 彼はさらに熟考し、そして、私に質問することにしたらしい。子供が先生に尋ねるように、まっすぐに。


「あなた以外の女性とはこんなに話せない気がする」

「気のせいです」


 私は答えた。彼はまたしばらく停止し、やがて、首を傾げた。


「そうか……」


 あっ、納得した。本当に素直で変な人だ。

 ……どうしよう、私、面白くなってきてる。

 宝飾剣を返すため以上に、個人的に興味を引かれてしまった。貴族らしからぬ彼の面白おかしい言動に――いや、それだけじゃない。さっきの言葉を、嬉しく思ってしまっている。


 私も、もっと彼の話を聞いてみたい――そう口に出そうか迷っている間に、


「でも俺は、あなたともっと話がしたい。もう少しここに居てくれないか」


 初めて、彼の方から語りかけてきた。私は頷いた。


「……こんな気持ちになったのは、生まれて初めてだ」


 また黙って頷く。私も同じ気持ちだったから。

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