第6話 理解できなかった言葉

 私たちの住む国、オセアルダ王国は、豊かな資源に恵まれながらも、国土は小さなものだった。

 およそ百年前、科学の発展に伴い人口が爆発的に増加。資源を食いつぶすよりも前に、王国は近隣小国への侵略を開始した。

 功績を上げたものには公爵の地位を――そのお触れに、多くの貴族が兵団を編成し、後年、大規模な国軍へとまとまっていった。

 時の辺境伯、ジーク卿が兵団の長を任せたのが、当時の子爵位であり護衛騎士であったラファイエット。小国を墜とすたびその地位は上がり、ジーク卿は公爵に、その孫にあたる三代目ラファイエットは侯爵の地位を戴いた。それがティモシー・エルンスト・ラファイエット――お嬢様の婚約者である。


「落ち着け、ベルメール。まだ公にされていないが、終戦協定が成ったんだ。侯爵は先日、すでに帰国しておられたそうで……」

「だったらその連絡のひとつもよこせばよかったじゃありませんの、突然押しかけるなんて失礼ですわ!」


 お嬢様の手を引きながら、早口で説明する伯爵。それを聞き流し、関係ないところに激怒しているのがベルお嬢様である。私も早足になって、廊下を駆ける二人のあとに続く。


「それは国家機密で……侯爵様にも事情があられたのだ。ベルよ、どうか機嫌を直して淑女の微笑みを浮かべておくれ。侯爵様はおまえを花嫁として迎えに来られたのだぞ」


 ふんっ、と鼻を鳴らすお嬢様。

 父親の手前、さすがに口にしないが、お嬢様の本心は手に取るようにわかる。

 ――もうちょっと遊んでいたかったのに――だ。


 しかしさすが実の父、言葉にせずともお嬢様の気持ちも素行もお見通しらしい。伯爵は、侯爵がいかに有能で立派な戦功を上げたか、公爵様および国王に信頼を置かれているか、そして莫大な資産をお持ちかをベルお嬢様に説いて聞かせた。嫁に行けば一生遊んで暮らせる、という言葉に、お嬢様の眉がピクリと動く。だがやはり、すぐにため息をついた。


「それで、三十路過ぎのおっさんのお相手をしなくてはいけないの? あっちがこの身体に飽きるまで、一体何年かかるやら。わたくし、ばばあになるまでオアズケなんて御免ですわ」


 ……なんと品のない……。

 私は思わず半眼になった。伯爵も頭を抱えたものの、もういいとあきらめることはなかった。よくわからないけど、フィンドル伯爵家にとってこの縁談は相当おいしいらしかった。


「いいから、輿入れまでは大人しくしてなさい。結婚式まですればそうそうに離縁は出来ん、火遊びはそれからだ」


 最低のアドバイスをしてから、来賓室へ続く扉を開けた。

 ベルお嬢様の後ろについて、客室に入る。

 屋敷で一番立派な部屋だ。私の暮らす小屋が十軒くらい建ちそうな高価なソファに、大柄な男性がいた。


 ――ああ……わかってはいたけど。

 柔らかく肩にかかる桃色の髪、長身に分厚い胸。背筋をピシッと伸ばして座っている……ラファイエット侯爵。今日は鉄兜は着けていないけど、間違いなくあのお方だった。

 やっぱり――この方がお嬢様の婚約者……。私の胸に小さな痛みが走る。


 しかしその瞬間、


「ええええっ!?」


 というけたたましいお嬢様の声で、小さな痛みどころじゃなく心臓が跳ね上がった。


「嘘でしょう、ええっ? あ、あなたがラファイエット侯爵……!?」

「こ、こらベル、大きな声を出してはしたないぞ」


 ベルお嬢様の声で、ラファイエット侯爵がこちらを振り向く。私は慌てて顔をそむけた、が、あの夜、私は仮面を外さないままだったと思い出す。髪型も服装もぜんぜん違うし、貴族だけの集まりだ。この侍女が居たとはバレないだろう。私はシレッと胸を張って立っておく。

 それにしても、お嬢様の様子がおかしい。わなないている彼女を放って、伯爵が愛想よく、侯爵の向かいに腰かけた。


「どうもラファイエット侯爵、お待たせいたしまして、申し訳ございません。いや何、侯爵がいらっしゃったと言うと慌てて化粧直しを始めまして、いやはや女の身支度は時間がかかるというもので」


 侯爵は何も答えなかった。

 凛々しい面差しに表情らしいものも何もない。

 それを、機嫌が悪いと受け取ったらしい、伯爵は慌てて立ち上がり、娘の方に手をかざして、


「こちらが我が娘のベルメールです。よろしくお願いいたします!」

「……ア…………」


 お嬢様は動かない。私はこっそりお嬢様の背中をノックした。ハッと気づき、カーテシーを行うお嬢様。私はお嬢様の後ろで体を縮め、顔を伏せるという侍従式のお辞儀をした。

 侯爵は、やはりしばらく無言だった。声をかけてくれるまで、私たちはお辞儀をやめることができない。来賓室に緊張が走る。だけど私は知っている。彼は今、何かを悩んでいるのだと。


「……あ……あの……」


 たまりかねた伯爵が、恐る恐る話しかける。そして侯爵は、やっと言葉を発した。


「どちらだろう?」

「…………は?」

「…………同じ年ごろの女性が、二人いる」


 と、指差したのは深紅のドレスに真珠のサークレットを着けたお嬢様と、その後ろにいる、ひっつめおだんごにエプロンの私。


 …………ええ……?


「は、あ、ははっ、はははははっこれはこれはラファイエット侯爵、意外と冗談がお好きで!」


 うん、そう思うほうが常識的ですね。さらに伯爵はこれを、ちゃんと名乗るよう促されたのだと解釈したらしい。ベルメールお嬢様の肩を抱いて、強引に前に出した。


「さあどうしたベル、挨拶をしなさい」

「あっ……し、失礼いたしました。ベルメール・ガブリエル・フィンドル……です」

「そうか。そういえば俺も名乗っていなかった」


 侯爵は、ぽん、と手を打った。席を立ち、とてもいい角度でしっかりと一礼した。


「ティモシー・ラファイエット。洗礼名はエルンストだが、終戦に伴い返上してきた。今は亡き父の跡を継ぎ、侯爵位を戴いたばかりの若輩者、ただのティモシーだ」

「意外と、かわいらしいファーストネームですのね……うふっ」


 それは私もちょっと思ってた。けど、初対面の年上男性相手に口に出すのはとても失礼だ。


「ティモシー様……ティムとお呼びしてもよろしくて?」


 さらにとんでもなく失礼だっ!? お嬢様の後ろで冷や汗をかく私。ちらっと見ると、伯爵のうなじが汗で水浸しになっていた。慌ててお嬢様を制し、侯爵のご機嫌を取ろうとする。(たぶん彼は機嫌を損ねてはいないけど)


「すすすすみません侯爵、娘はその、初めて顔を合わせた婚約者が、これほどの美丈夫だったので驚いて舞い上がってしまったようです! いつもはこんな素っ頓狂なことをする娘じゃないのですよ! そりゃもう、国一番の淑女と評判で」


 大嘘つき。むしろ今のお嬢様は平時より大人しいくらいだ。いつもなら腰に手を当てて高笑いし、「わたくしに何の用ですの?」くらい言い放つ。

 それと比べて、今日のお嬢様はずいぶんと静かである。もともと見た目は良い女性だから、こうして楚々としていれば普通の可愛い淑女に見えるかもしれない。うつむき頬を染め、扇で口元を隠すしぐさなど、本当に恋する乙女のようだ。

 ……本当に……本当に?

 私の胸に、ざわりと鈍い不快感。


 侯爵と伯爵、そしてベルメールお嬢様はソファに腰かけ、対面する。侍女の私は扉口に立ち、お茶の支度をしていた。本性は庭師の娘とはいえ、侍女の仕事もそれなりに慣れたものである。貴族たちのお話を邪魔しないよう、音を立てず、そこに存在しない空気のように……。

 しかしなんとなく、ラファイエット侯爵からの視線を感じるような。

 もしかして紅茶、お嫌いですか?


 伯爵の明るい声が場を仕切る。


「戦地ではたいへんな功績を為されたとのことで、おめでとうございます。終戦の締結はいつ?」


 仕事の話ならばちゃんと喋れる侯爵は、やっと会話を始めた。


「つい先日だ。国民には吉日を持って報(しら)される。これでしばらくは平和な生活が続くだろう」

「おおそれは、酪農と商売で食いつないでいる地方貴族にはありがたいことこの上ない。侯爵もこれからはこの国で暮らして行かれるのですね」

「そうだな。いち外交官として勤めながら、領地と屋敷を護っていくことになるだろう」

「なるほどなるほど――ではいよいよ、我が娘ベルメールと正式に婚姻し、娘を迎えに来られたのですね!」


 伯爵様がウキウキと言う。ベルメールお嬢様は「きゃっ」と歓声を上げた。

 だが、侯爵は静かに首を振った。


「いや……実はその婚約を破棄させて頂きたい」

「…………えっ?」


 全員の動きが止まった。


「今日、俺はそのためにここへやってきたのだ」


 ……え?

 今…………なんて?


 誰も動けない。侯爵も動かないので、来賓室は再び、時が止まったかのように静まり返った。


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