第12話
受験の前日みたいな緊張するようなことがある日はちゃんと寝付けないタイプの人間だけど、そのせいで朝起きれなかったことは一度もない。
むしろ、俺は遅刻に怯えて寝付けないなりにいつもより早く布団に入り無理やり浅い睡眠を取ることでいつもより早く起きてしまうタイプの人間だった。
桐生さんとの約束当日。俺が起きたのは午前4時。外は暗く、誰も起きてないから近所はシンと静かな時間帯。
約束の集合時間が9時なことを考えると少し早めに家を出るとしても8時、準備に余裕をもって一時間掛かる想定でもあと3時間は寝ていてよかった。
だけど緊張のせいで目が冴えてしまって、二度寝と洒落込めそうにはない。
仕方ないから起きるしかない。
普段は出るのに20分近く掛かるのに、時間に余裕がある今日に限って出るのに数秒と掛からない。何故か眠気が残ってない身体を運んで洗面台に行き、顔を洗って歯を磨く。
鏡を見ると、俺の髪型はなんかペタンとしてて変な感じだった。
あれ? 昨日切って貰った時はもっとこう、格好良い感じだったのに。
あ、そうだ。ヘアワックスつけてないからか。
お父さんの引き出しから勝手にヘアワックスを取り出し――あれ? なんかヘアワックスワなんか白い軟膏みたいなんだけど……。
昨日南さんが使ってたの透明の液体っぽいのだったけど。
そう言う種類なのかな?
白いクリームを手に乗せて、昨日南さんがやってた行程を思い出しながら手に塗り広げていく。……あれ、なんか硬いな。
俺は目を瞑って更に、昨日のことを思い返す。
そう言えばなんかを手に付けた後に透明の液体みたいのを手に掛けてたような気もする。あの透明の液体、ワックスだと思ってたけど水だったのだろうか?
ワックスを水道水で濡らして手に広げていく。
上手く混ざらない。何かを間違えてる気がするけど、じゃあどうすれば良いかもわからないので髪に付けてみることにした。
なんかギシギシして、髪に手が引っかかる。けど、無理やりわしゃわしゃして髪にワックスを塗りたくった。
鏡を見る。……なんか、思ってたのと違う。
どうにかならないかとしばらく髪を触ってみたけど、どうにもならなさそうなので諦めて部屋に戻ることにした。
部屋に戻った俺は、昨日南さんに選ぶのを手伝って貰った服をベッドに並べる。
……あれ? 俺、こんなの選んだっけ?
なんか昨日マネキンに掛かってるのを見た時は凄く良い服だと思ってたはずなのに実際に並べてみると案外そうでもなかったような気がしてくる。
いや、着て見れば印象も変わるだろう。
タグを切り、着てみてから鏡の前に立つ。
パリっとした服の触り心地、新品特有の匂い。
一応試着はしたからサイズはぴったり。でもなんか、昨日ほど良くは思えない。
アクセントにって買った小物のネックレスを首に掛けてみる。いや、やっぱ外すか? でも、南さんは付けた方が良いって言ってたし……。
ダメだ。なんか急に自信がなくなってきた。
なんとなく、部屋の時計を見てみる。時刻は午前4時40分。
格好に自信ないって言っても服はもうこれで行くしかないし、髪は後でお母さんに相談するにしてもまだ起きてくる時間じゃないし。
時間はあるのにやれることがない。
仕方ないので、金曜日途中まで読んでたラノベを開いてみる。
……文章が、全然頭に入ってこない。時計をチラリと見る。1分しか経ってない。
時間が流れるのが嫌に遅い。……やっぱり二度寝する? 緊張し過ぎて眠れる気がしない。
ラノベを開き、熊のように部屋を歩き、長い時間がゆっくりと過ぎていく。
カーテンに茜色の光が差した。朝日が昇り始める。窓を開けると、生温い風が部屋に入り込んでくる。太陽がゆっくりと上り住宅街の屋根を照らしていくのを眺める。
……そろそろお母さんも起きた頃だろうか。
部屋を出て、リビングに行く。スーツに着替えたお父さんがコーヒー片手にスマホでニュースを見ていた。
昔の漫画とかだと朝ご飯食べながら新聞読むお父さんみたいな絵面は定番だったけど、うちのお父さんはまんまそんな感じだ。新聞がスマホになってるけど。
そう言えば、情報を獲得するならスマホで事足りる昨今で新聞って売れてるのだろうか? 俺はここ数年くらい、新聞配達をしてる人を見ていない。
いやでも、新聞紙はいつも家にあるんだよな。
お母さんが揚げ物の皿代わりにしたり、窓ふきに使ってるのはよく見る。誰も読んでる風ではないのに。不思議である。
「アナタ、ご飯の時はスマホ見ないの」
「……取引先との話題合わせの為に、情報は見ておきたいんだよ。って烏、起きたのか。日曜なのに早いな」
「あ、うん。おはよう、お父さん」
「なんだ、その格好。どっか出かけるのか?」
「え、いや……」
「それがね、烏、今日はデートなんだって。彼女と」
「彼女と!? 烏、彼女出来たのか?」
「え? ま、まあ……」
「そうか、良かったな。そう言えば、お前、バイトとかはしてなかったよな?」
「うん」
「じゃあ、小遣いをやろう。やっぱり、男のお前が出せなきゃ格好つかないだろ?」
「え、あ、ありがとう」
お父さんは財布から5千円札を取り出し、俺に渡してきた。
「楽しんで来いよ」
「うん……」
桐生さんとの関係なんてすぐに自然消滅してるだろうし、デートも今日のが最初で最後だとは思うけど……両親の優しさが温かかった。
「そう言えば聞いてよ、貴方。烏ったら昨日その子に電話を掛けるだけでね」
「そ、その話は良いから。それよりお母さん、なんか髪型上手く決まらなかったんだけど、どうにかしてくれない?」
「え、髪型、それ……エアワックスでも付けてたの?」
「うん」
「寝ぐせかと思った。お父さんのお弁当作り終わったらしてあげるから」
「うん、お願い」
そう言ってお母さんは台所に戻って行く。
俺はお父さんにぺこりと頭を下げてから部屋に戻って、貰った五千円札を財布に仕舞った。
それからお父さんは仕事へ家を出ていく。
日曜日だけど、休日出勤らしい。地場産業で休日がちゃんと休みの会社はあまりないそうだ。
それからお母さんが髪を整え直してくれる。
ヘアワックスを伸ばしていた透明な液体の正体はベビーオイルとかいう透明な油だったらしい。ワックスは油だから、水には混ざらないけど油には混ざる。そう言うことらしい。
そんなこんなで時刻は7時を過ぎる。
約束の時間までまだだけど、落ち着かないので早めに待ち合わせ場所の学校に行っておくことにした。
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