第5話
桐生さんにデートに誘われた。
正しくは「明後日、私に付き合いなさい。美味しいケーキをご馳走してあげる」と言われただけなんだけど、曲がりなりにも交際関係にある男女が一緒にお出かけするならそれはデートと言っても過言ではないんじゃないだろうか?
いやまあ、俺と桐生さんは付き合ってると言っても好き合ってるわけじゃないし、浮わついたこともないだろうからデートじゃないって話もあるけど。
どちらにせよ、俺が明日桐生さんとお出かけすると言うことには変わりない。
そう思って鏡の前に立って見た俺は、自分の姿の醜さに絶望した。
もう半年くらい切りに行ったりしてなくて伸ばしっぱなしになっているぼさぼさの髪。手入れのされてない無精ひげ。
顔のパーツが良くないのは生まれつきだからどうしようもないとしても、最低限の身だしなみすら整えられてないのはどういう了見なのだろうか?
鏡の前の自分に詰問してみると「美容師さんに話しかけられるのが苦手で、散髪に行くのが億劫になってて……」「髭は、マスクすれば見えないし……」となよなよした返答をされた。
うんうん、解るよ。気持ちはすっごく解る。
友達いないから身だしなみ整えたって見せる相手もいないしね。散髪に行くのも、髭を剃るのも結構面倒くさいしね。
共感し過ぎてお前は悪くないよ、と肩に手を置きそうになる甘えた心を押さえて、俺は鏡に映る自分の顔面をビンタした。
お前が普段からちゃんとしてれば、俺は今、鏡の前で絶望せずに済んだのに!
それに、問題は手入れの為されてない顔だけじゃない。
明日着ていく服もない。
クローゼットをひっくり返しても、あるのは寝間着と普段着を兼用しているよれよれのジャージと、上下合計2000円くらいの無地のシャツ。これもしわしわ。
あとは漫画の特装版を買った時に着いて来た、水着姿の美少女イラストがプリントされた痛いシャツ。
ダメだ。こんな格好じゃお外歩けない!
いやまあ、一人なら余裕で歩けるんだけど。
桐生さんは凄く綺麗な人だから、ただ歩くだけでかなり注目されるだろう。街行く誰もが振り返る、って奴だ。
そしてそんな桐生さんの隣を歩く俺もそれなりに注目されると思う。
俺だって街中で美人を見かければ見ちゃうし、その隣に男が居たならどんな人だろうって思う。
そして、隣を歩く男がよれよれのジャージを着たぼさ髪無精ひげの陰キャなら……「釣り合ってない」とか「隣の男ダサっ」とか思われるなら別に良いけど「男の趣味悪w」とか「パパ活かな?」って感じで桐生さんの方まで悪く思われたりすると、あまりにも居た堪れない。
桐生さんに限らず一緒に出掛ける約束をしたなら最低限の身嗜みくらいはちゃんとするのが礼儀だろうし、桐生さんは多分礼節とかには厳しいタイプな気がする。
何なら、明後日を指定して一日の猶予を与えて来たのは、言外にちゃんとして来いっていうメッセージなのかもしれない。
なら、なおさらみすぼらしい格好で行くわけにはいかない。
というわけで、俺は、母親にお小遣いをせびることにした。
「髪切りたいのと、服買いたいから、お金ちょうだい」
「良いわよ」
「その、実は……えっ、良いの?」
「うん。いい加減そのぼさぼさの髪なんとかしてほしかったし、服もよれよれだったから新しいの買えば良いのにって思ってたから」
「えっ、俺、そんな風に思われてたの? なんで言ってくれないの?」
「いや、散々言ったじゃない。髪切りに行けとも、服買いに行こうとも。でも面倒くさいって言って聞かなかったじゃない」
「そ、そうだっけ?」
「そうよ」
お母さんは呆れたように目を細めた。
「それで、一万円くらいあれば足りるかしら?」
「え、えっと……足りるの?」
「床屋さん行って、まあ9000円くらいあったら服くらいは買えるんじゃないの? おつりでラーメンでも食べて帰ってきなさい」
「い、いや、その……。出来れば今日は床屋じゃなくて美容室行きたくて。あと、服もちゃんとしたの揃えたくて……」
「美容室? どうして?」
「その……明日、女の子と出かけることになって」
「女の子? えっ、何? もしかして彼女?」
「……まあ、一応」
「……嘘?」
「いや、一応本当……かも」
「えっ、何? 相手は誰? お母さん知ってる人?」
「知ってるかは解んない。同じクラスの人」
「大丈夫? それ罰ゲームで揶揄われてるとかじゃない?」
「いや、揶揄われてるとかではない、と思う……」
罰ゲームなのは間違いないけど、陰キャの俺と冗談で付き合って笑いものにしようとか、そう言う感じではない。
とはいえ、説明すれば誤解されそうなので適当にはぐらかす。
「……うーん。烏くんに彼女ねぇ。アンタのこと、好きになる子とかいるんだ」
「母親の言葉とは思えないんだけど……」
「ごめんごめん。でもまあ、そうね。烏くんにも春が来たのねぇ。解ったわ。じゃあ、奮発して2万円あげちゃう!」
「あ、ありがとう!」
「んふふ、良いのよ。それで、美容室はどこに行くの?」
「えっ、どこって……まだ決めてないけど」
「えっ、じゃあ予約とかしてないってこと?」
「よ、予約? そ、そんなのが必要なの?」
「当たり前でしょ!」
「約束、明日なんだけど。今からして間に合う?」
「ど、どうかしら? ……土日は結構混雑してるし」
「えっ、どうしよう。じゃあ1000円カットに行くしかない?」
「うーん。じゃあまあ、ダメ元だけどお母さんがいつも言ってる美容室に連絡してみるわ。そこのオーナーが高校の頃からの同級生だから、もしかしたら融通してくれるかも」
「本当?」
「まあでも、本当に忙しかったら無理だろうし、あんまり期待しないでね」
そう言って、お母さんは美容室に電話を掛ける。暫くの応答が続いた後――
「忙しくて無理だけど、美容師見習いの手なら空いてるって。練習台になってくれるなら無料でも良いって言ってるけど、どうする?」
「え、練習台?」
「でも、薦めて来てる辺り変なことにはならないと思うわよ」
「うーん。まあ、じゃあ、なら行ってみようかな」
「解ったわ。息子行くって。あー、いえいえ。こっちこそ忙しい中無理行ってごめんね。うん、じゃあ、また」
俺は、母親から貰った2万円をポケットに突っ込んで、人生で初めて美容室というものに行くことになった。
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