第18話

「嫌よ。忘れてあげないわ」


 コーヒーを一口啜る桐生さんは、口を尖らせている。


 それは、どういう意味なのだろうか?


 長々と喋ったせいで自分でも何を言ったのか半分くらい忘れてしまったけど、結構キモいことを口走ったような気がする。


 桐生さんなんて羨望も嫉妬も今までこれでもかと受けて来ただろうし、下手すれば地雷を踏んでいてもおかしくなかった。


 いつもは余計なことを言って不和を招かないように、口数が少ないのに。

 桐生さんと休日を共にして、浮かれてしまったのだろうか?


 俺は少し不安になりながら、桐生さんの顔を浮かべる。


「そう言えば、ここの蜂蜜、蜂の巣から直で絞ってるから美味しいわよ」


「うん。クロワッサンにたっぷりかけて来た」


 口の中に放り込む。

 なんか濃厚なのにくどくなくて、家にある蜂蜜にあるような独特な臭いもない。


「美味しい」


「でしょ? 私も取って来ようかしら」


 そう言って桐生さんは席を立って、立ち去って行った。

 なんか機嫌良さそうだ。


 俺のせいで不快にさせたとかではなさそうで、ホッとする。


 俺も、クロワッサンおかわりしよ……。



「お腹いっぱいになったかしら?」


「うん。凄く美味しくて、食べ過ぎちゃった。ご馳走様」


「ご馳走様」


 桐生さんはハッとして、手を合わせていた。

 桐生さんへのお礼のつもりだったんだけど。俺も真似して手を合わせる。


「桐生さん。今日は楽しかった。誘ってくれてありがとう」


「……ええ、私の方こそ楽しかったわ。その、付き合ってくれて、嬉しかったわ」


「それは……」


 どういう意味なんだ……?


 今朝の勉強とか、さっきの筋トレの話なのか。

 それとも、あの罰ゲームの告白を俺が受け入れたことに対してなのか。


 そう聞こうとして、口を噤む。前者だ。あり得るとしたら。


 桐生さんが、俺と付き合うことになって嬉しいと思っているはずがない。

 でも、勉強や筋トレと言った桐生さんのルーティーンを俺が一緒にやったからと言って、それを嬉しいと思うのも変な話だ。


 だって桐生さんは、俺に対して好意はないから。


 俺があの罰ゲームで選ばれたのは、俺が勘違いしなさそうだったからと最初に桐生さんも言っていた。


 今日のお誘いだって、藤崎くんグループのいざこざに巻き込むことになった俺に対するお詫びを兼ねているはずだろうし。


 ……あ、そうか。


 これは、あの時桐生さんの告白を断らなかったことに対する「嬉しい」なんだ。


 あの場で、あの雰囲気で、陰キャぼっちの俺に桐生さんの告白を断る勇気なんてなかったけど、もし断ってたら桐生さんは恥を掻いていたと思う。


 あの、明らかに藤崎くんへの告白が期待されている空気の中で、陰キャぼっちの俺を選んで、フラれる。最悪だ。その後の空気を想像しただけで吐きそうになる。


 最悪の選択を避けたことに対する「嬉しい」なら、しっくりくる。


「それは?」


「ああ、いや。俺としても良い経験させて貰えたから」


「それは、良かったわ」


 藤崎くんたちのいざこざに巻き込まれたのは面倒だけど、そのお陰で、クラス一の美少女と一瞬でも付き合ったって経験ができた。


「連絡先交換しましょう」


「え?」


「また今日みたいに会うとき、親経由で連絡するのは不便でしょう?」


「た、確かに」


 俺は携帯を取り出して、画面を開く。……あれ? 友達追加ってどうするんだ?


「あ、あれ?」


「ここの、人のマークを押してQR……そうそう」


 もたもたしてると、桐生さんが俺のスマホを覗き込んで来て俺のスマホにQRコードを映し出してくれる。


 さらさらの髪が目の前に流れる。

 運動した後なのに、汗臭くなくて、なんかいい匂いがふわりと香る。


 そして、スマホを重ねて……登録された。


『また、遊びましょ!』


 そう言って手を振るウサギのスタンプが送られてくる。


 ……また。今日みたいに。


 それは、社交辞令みたいなものなのだろうか?

 それとも、本当に再び休日とかに俺とお出かけしても良いと思ってくれてるのだろうか?


 桐生さんは結構、思ったことをズバズバ言ってくる印象あるけど、育ちが良いから気を回してそうなイメージもある。


 でも、少なくとも、悪くは思われなかったんじゃないだろうか?


 格好も南さんのお陰でちゃんとしてたし、歩き方も、後ろに着かないでなるべく隣を歩くよう意識したし、手もお化けみたいになる癖は出なかったと思う。


 俺は、桐生さんのスタンプに『もちろん!』と手を丸の形にしている熊のスタンプを送り返した。


「じゃあ、桐生さん。また」


「ええ、また明日」


 桐生さんにぺこぺこと頭を下げて、バイキングビュッフェを後にする。桐生さんは手を振って、また明日と言ってくれた。


 この、罰ゲームから始まった交際関係は近いうちに解消されるだろう。


 別に俺も、偽物の関係がいつしか本物に……なんて展開を期待してはいない。


 ただ。俺にとってクラスで一番綺麗な美少女で違う世界の住人でしかなかった桐生さんが、実は俺と同い年なのに俺よりもずっと努力している同じクラスの素直に尊敬に値する人だって知った。


 だから、なんというか、この仮初の恋人関係が終わっても、偶に話したり、宿題するときに相席したりするような、友達、というには少し大袈裟かもしれないけど、知り合い以上の関係ではありたいなって思った。


 「また明日」って言ってくれてるし、連絡先も交換してくれたし、桐生さんも俺とそういう、知り合い以上の関係になっても良いって思って良いのだろうか?


 ホテルを出て、走って、中央駅を目指す道中で市電の駅の方を見つけたのでそっちに乗ってから、LINEを開く。


 お母さんと、去年くらいになんかのキャンペーンがあるとかで強制的に加入させられた自治体の公式ラインくらいしかなかった連絡先に、桐生霧乃の名前が追加されていた。


 期待しない、勘違いしないって言っても、やっぱりちょっと嬉しいかもしれない。


 俺はメッセージを開いて『また遊ぼう!』のウサギスタンプを、ニヤニヤと眺めていた。

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