第7話

 濡らされた髪をサラサラと撫でられ、次々にカットされていく。


「こっち向いて」


 頬に細い手指を当てられ、顔の向きを変えられる。前髪に櫛を当てられ、チョキチョキと切られて行く。この姿勢だと、丁度南さんの首筋が俺の目の前に来る。


「顔、動かさないで」


 胸の方に行きそうになった視線を逸らそうとしたら、怒られてしまった。

 別に女の人にカットして貰うのは初めてじゃないけど、同じクラスの女子だからなのか、普通の散髪の行程なのに一々意識してしまう。


「襟足から横に掛けて刈り上げてみようと思うけど、大丈夫?」


「う、うん。大丈夫」


 襟足ってなんぞや? とは思ったけど、聞いたら呆れられそうな気がしたので、南さんを信用してお任せすることにした。


 後頭部から首筋、耳の上に掛けてバリカンが入っていく。


 首回りがスッと涼しくなるのを感じる。それから、再びジョキジョキとハサミでのカットが再開される。南さんは集中しているのか、話したいことがなくなったのか、黙々と作業をしている。


 話しかけられるとどもるくせに、会話が止まるとそれはそれで気まずい。


 そんな、自分のどうしようもなさが浮き彫りになるような気がするから、散髪はあまり好きになれなかった。目を瞑り、ただ時が過ぎるのを待つ。


 暫くすると、ブオォと温かい風が軽くなった頭に当てられた。


 長く野暮ったかった長髪はかなりさっぱりしたけど、鏡に映る自分はやっぱり自分だった。


 南さんはドライヤーを片付け、大きな鏡をパッと開く。


「後ろはこんな感じだけど、どう?」


「うーん、まあ、良いと思う」


「思ったより微妙な反応。気に入らなかった?」


「いや、気に入らないことはない。さっぱりしたし」


「なんか、煮え切らないね」


 南さんは少し不機嫌そうな声色で言う。


「その、髪型は自分ではあんまり注文しない感じだけど、首回り涼しくなったし結構気に入ってる。でも、なんか、髪切ったら急にイケメンになったりしないかなぁとか淡い期待を抱いてたけど、俺は俺なんだなって思って……」


 現実は、陰キャが髪を切ったくらいで劇的なビフォーアフターを遂げるなんてことはない。急にイケメンに変貌する系の動画は、素材が良かったからってのが大きいだろうし、その素材は遺伝や生まれ持った才能とか、長い時間積み重ねてきた努力などによって作り上げられるもので、今まで何も努力をしてこなかった俺が一夜漬けで簡単に得られるようなものではない。


 ただそれだけの話なのだ。


 南さんが悪いわけじゃない。悪いとすれば、ふざけた幻想を勝手に抱いて勝手に気落ちしてる俺の方だ。素直に喜んであげられなくて、申し訳ないとすら思う。


 南さんは眉を潜め少し唸ってから、人差し指を俺の口元に向けた。


「その髭、剃ってみる?」


「それは、やってくれるってこと?」


「うん。髭剃るだけで大分印象変わると思うし。……不服そうな顔されてるの、ちょっとムカつくし」


「それは、すみません。……ところで、それなに?」


「まゆ毛用のシェーバー。ウチ、美容室だから剃刀は置いてないんだよね。だから、剃り残しとか気になるならちゃんとした剃刀買って、自分で家でやって」


「は、はい」


 南さんは俺の口元に手を当てて、黒いシェーバーで俺の髭を剃り始める。

 なんか、ちょっと恥ずかしいかも。南さんの指に鼻息が掛からないように、息を止める。呼吸が止まってるからなのか、自分の心臓の鼓動を強く感じる。


 髭を剃って、それからついでに眉毛まで整えてくれる。


 南さんはシェーバーを片づけながら、俺に濡れタオルを投げ渡してきた。顔に付着した毛を拭き取る。


「じゃ、シャンプーしようか」


「シャンプー?」


「あっちにあるから、来て」


「は、はい」


 言われるままに、示された椅子に座る。頭のところがなくて洗面所に繋がっているリクライニングチェアみたいな、変な椅子だった。

 南さんは座った俺の顔に、白い布みたいのをかぶせる。


「ご臨終」


「は?」


「ごめんなさい」


 死人に被せる布みたいだなって思ってやった一発ギャグがスベってしまった。

 これは夜中に思い出しては悶絶する黒歴史シリーズに追加されたな。


 南さんは淡々とシャンプーを使って髪を洗ってくれる。

 流れているのは温いお湯なはずなのに、シャンプーが掛かったところはひんやりとしている。これがさっぱりしていて気持ちがいい。


 髪切った後の処理は掃除機みたいなやつで吸うやつしか知らなかったけど、シャンプーをして貰うというのは中々に悪くないかもしれない。

 ……首が少し疲れるのだけ難点だけど。


 泡を洗い流され、乾いた布で拭いてもらった後、席に戻ってドライヤーで乾かして貰う。


 家でも風呂上りはドライヤー掛けを毎回してるけど、乾く速さが段違いだった。


「ワックスもつけてみる?」


「ワックス?」


「ヘアワックス。やったら結構良い感じになると思う」


「じゃあ、お願いします」


 南さんは手に透明な液体を塗ってから、乾かした俺の髪の毛をわしゃわしゃってして、それから形を整えていく。


「これでどう?」


 鏡に映る自分は、切った直後よりも大分印象が変わっていた。


 髭を剃ってワックスで髪型を整えた俺は、まあなんか、イケメンってわけではないけど、良い意味で俺らしさが消えたって言うか、元々あった根暗陰キャっぽい印象が大分緩和されたように思える。


 これなら、桐生さんの隣を歩いていても、ギリ恥ずかしくないかもしれない。


「気に入ってくれたみたいで良かった」


「まだ何も言ってないのに、解るの?」


「だって沼田、嬉しそうな顔してるし」


 確かにちょっとニヤケてるかもしれない。それを指摘した南さんも凄く満足そうに笑っていた。


「南さん、本当にありがとう」


「こっちこそ、練習に付き合ってくれてありがと」


「そう言えば、南さんって見習いだったね。上手すぎて普通に忘れてた」


「その誉め言葉は、まあ素直に受け取っとく」


 南さんは照れ臭そうに頬を掻いた。


「そう言えば沼田は、これから予定ある?」


「その、服買いに行こうかなって思ってる。明日着ていく服持ってないから」


「そ。……それ、私が手伝ってあげようか?」


「えっ……」


 正直、自分でちゃんとした服を選べる自信はないし、その提案はとても助かる。


「えっと、良いの?」


「うん。霧乃の前に出しても恥ずかしくないようにはしてあげるって言ったしね。こうなったら最後まで付き合うよ」


「本当に助かる。その、ありがとう」


「別に。沼田が変な格好で行って霧乃が恥かいたら可哀想ってだけだから……。掃除終わったら行くから、入り口で待ってて」

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