第6話
母親からせびり取った2万円をポッケに、俺は美容室の前まで来ていた。
美容室には何となく、大人の階段の一段目というイメージがある。
陽キャな大学生とか、街を歩く綺麗な女の人とかが通っているような。
比較的手頃な1000円カットでさえ行くのに躊躇してしまう俺は、そんな美容室を目の前にして入るのに躊躇していた。
桐生さんとのお出かけ出来るように最低限の身なりを整えるための美容室なのに、見習いさんの練習台にされるってのも不安要素だけど、今は、俺なんかがこの店に入っても良いのかなって気持ちの方が大きかった。
どうしよう。一応服はお母さんが持ってた服の中で男モノって言ってもギリ通用しそうなやつ借りて着て来たけど、変だって思われないだろうか? いやでも、よれよれのジャージってわけにもいかないだろうし。
入るのに躊躇して店の前でうろうろしていると、店から出て来た女性が俺の方まで近づいてくる。
「もしかして、えっと……霧乃に告られてた――」
「ぬ、沼田」
「やっぱり」
俺に声を掛けて来たのは、藤崎グループにいるギャルの南さんだった。
「店の前で何してるの? めっちゃ挙動不審だったけど」
「あっ、えっ……ごめん」
「もしかして家の店に何か用事? 予約?」
「あ、えっと……うん。予約してる、と思う」
「そうなんだ。じゃあ、とりあえず中に入れば?」
「あ、うん」
思いがけずクラスメートと遭遇することになって、びっくりしてしまった。
なんでいるんだろ? あ、いや、普通にバイトなのかな?
俺みたいなやつが、こういうところに来てるところをクラスメートに見られるのちょっと気まずい。桐生さんに消去法で選ばれただけのくせに、色気づいてるとか思われてるのだろうか?
って言うか、今の格好ダサいとか思われてないだろうか。
チラチラと南さんの顔色を伺ってみるけど、俺には一ミリも興味無さそうだった。
その無関心が少し助かる。
「マm……店長、お客さん」
「いつもはママなのにどうしたの? ……ああ、その子、もしかしてお友達?」
「別に、そんなんじゃない」
「うふふふ。いらっしゃいませ。お名前伺っても良いかしら?」
南さんにママ、と呼ばれてるらしい店長さんは、落ち着いた大人のお姉さんって雰囲気を漂わせているけど染められた髪の色とその顔立ちは南さんにそっくりだった。
揶揄うように笑う店長さんを、南さんは鬱陶しそうにしている。
「えっと、沼田です」
「ああ、雲雀ちゃんとこの。日和ちゃん、例の彼が練習台になってくれる子よ」
「え、あっ……」
南さんは少し気まずそうに俺を見た。
「人にやるのこそ今日が初めてだけど今まで模型相手にちゃんと練習してきてたし、人前に出して大丈夫って私が判断したからそこは安心して頂戴」
「あ、はい」
「日和ちゃん、こう見えて意外と人見知りだから緊張で練習通りに出来ないんじゃないかってのだけが不安材料だったけど、お友達ならそこも安心して大丈夫そうね」
「別にクラスメートってだけで友達とかじゃないし……」
ぺらぺらと饒舌に話し始めた店長さんを恥ずかしそうな顔で押しやった南さんは、そっけなく「すぐに準備するからあっちの席に座っといて」と言った。
「ちょっと日和ちゃん、お客様にはもっと愛想良く! いつも言ってるでしょ?」
「マ、店長だってお客さん待たせてるでしょ。早くそっち行って」
「あらあら、そうだったわ。じゃあ、頑張ってね~」
そう言って、店長さんは上機嫌そうにシャンプーハットみたいなやつを被っている中年の女性のお客の方へ向かって行った。
「その、お母さんと、仲良いんだね」
「このこと、誰かに言いふらしたりしたら許さないから……」
「あ、う、うん。それは勿論」
こういう事言いふらしたりする相手いないし。
「でも、勝手に南さんのことちょっと怖いって思ってたから、ちょっと親しみやすいなって思ったかも……」
「キモ」
「ご、ごめんなさい」
怒らせてしまった。……調子に乗ったかもしれない。
「それで、髪型、どんなのにしたいとかある?」
「その……髪型とかあんまり解らないから、良い感じに整えて欲しいとしか」
「それはつまり、アタシの好きにして良いってこと?」
「うん、まあ、南さんオシャレな人だし。俺が変に注文つけるよりも良くしてくれそうだから、お任せしてみる」
「そう。じゃあ、任せて」
南さんは頬を緩めて、鼻を鳴らした。
それから俺の髪を霧吹きで濡らして、櫛で透かしていく。人にやるのが初めてとは思えない手際だった。店長さんの太鼓判は身内贔屓ってわけでもなかったらしい。
「……沼田は、あんまりこういう店来るイメージないけど、初めて?」
「うん。初めて」
「それはその、やっぱり霧乃と付き合うことになったから?」
「うん、まぁ……」
やっぱり、色気づいてるとか調子乗ってるとか思われてるだろうか?
「その、実は明日、桐生さんとお出かけすることになってて……」
「お出かけ? デート?」
「いや、ケーキ一緒に食べに行こうって誘われただけだから……」
「思いっきりデートじゃん」
「そ、そうかな?」
「そうだよ。それで、それ、どっちから誘ったの?」
「桐生さんの方から誘ってくれて……」
「そうなんだ。霧乃の方から」
なんか、さっきまで凄くとっつきづらい感じだったのに、桐生さんの話題になった瞬間ぐいぐい質問してくるな、南さん。
「だから、気合入れてウチに来たってこと?」
「うーん、まあ。そんな感じ。……その、桐生さんって凄く綺麗な人だから、俺が変な格好で行って桐生さんまで悪く思われたら申し訳ないし。だからせめて最低限の身嗜みは整えたいなって思って」
「へぇ……。なんか、凄く偉いことみたいに言ってるけど、普通の人は霧乃とか関係なく最低限の身嗜みくらいは整えてるけどね」
「うっ、まあ、おっしゃる通りで……。因みにクラスの人たちって結構、美容室とか来てるの?」
「ウチを利用してる人はそんなだけど、美容室で髪整えてる人の方が多いよ」
「そ、そうなんだ」
なんか一足先に大人の階段を上ったような気がしてたのに、実は自分も周りと同じ土俵に立っただけという現実を叩きつけられてしまった。
「まあでも、霧乃の前に出しても恥ずかしくないようにはしてあげる」
南さんは今日が初めての見習いとは思えないほどに、頼もしく見えた。
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