大学一年の後期試験が終わり春休みに入る頃、僕はゲイバーでバイトしてみようかと考えていた。理由は三つある。一つ目は仕事が楽そうに見えたこと。浪人中にコンビニでバイトしたことがあるだけの世間知らずの僕には、ゲイバーの従業員なんてカウンターの中で客と話しをすれば良いようにしか見えていなかったんだ。二つ目の理由はもっと堂山界隈に慣れること。もっと色んな人に出会って遊びも恋愛も謳歌したかった。そして最後の理由は、ゲイバーで働いていればいつか仁さんに再会できるかもしれないこと。未練とかではなく、その時はなぜか彼を見返してやりたいと思っていた。


 バイトする店の候補はヘブンズ、ボギー、そして2~3回だけ行ったことがある『五街区』の三つ。2月中旬の寒い夜、まず一番にヘブンズに行ったが残念ながら休業日だったため、次に五街区へ行った。するとカウンタ―の中には見覚えのある子がいた。それは四カ月前の誕生日の夜、カルシウムという店でジンジャーエールをくれたケンジだった。うれしいことに彼は僕のことを覚えていてくれた。ゲイバーでバイトしようと思っていることを相談すると一方的に話が進められ、取りつく島もなく五街区でバイトすることが決定した。

 その頃の五街区はママと、チーママのアナゴさん、そしてレギュラーで働いているケンジの三人で回していたが、なかなかの人気店であったため週末などはとても三人では手が足りていなかったらしく、とても喜んでもらえた。

 

 こうして僕はこの店のことを全く知らないままにバイトに入ってしまったわけだが、実は五街区は大御所の客が多い、けっこう大変な店であることを知っていたら絶対にバイトなんかしなかったのに!とすぐに後悔することとなる。

 僕はママから『フグ』という源氏名を付けられた。チーママのアナゴさんに寄せたらしい。もちろん断りたかったが、堂山デビューしたての僕にそんな強気な発言ができるはずがなく、それから堂山では「フグちゃん」と呼ばれるようになった。あれから30年たった今、この名で呼んでくれる友人も数少なくなってしまった。


 ゲイバーの仕事を舐めきっていた僕は、働きだしてからが大変だった。事前に酒が弱いことを伝え、「飲まなくても良い」と言われたからバイトすることにしたのに、入店したその日からアナゴさんが「徐々に慣れていきましょ♪」と言って遠慮なしに僕にもグラスを渡してきたときには、改めてゲイバーでの会話を信じるものではないと痛感した。まあ「客の酒を飲んでなんぼ」のこの世界で飲まなくても良いはずがなく、軽く考えていた僕がバカだったんだけれども。


 大阪のゲイバーは「飲んでなんぼ、笑わせてなんぼ」の商売だ。従業員は突っ立っているだけじゃなく、常に飲んで喋って客を楽しませなければならない。落ち着いたジャズが流れるヘブンズやモテ筋がカッコよく飲むボギーと比べて、この五街区はまさに会話で客も盛り上げなければならない店だった。内向的で社交性に欠けていた僕は緊張しっぱなしだったが、二週間くらいたった頃から徐々に言葉が出る様になり、そのうち自分でも驚くほど流暢に喋れるようになった。

 まぁ相変わらず酒には弱く、接客中に眠ってしまいそうになるのを必死に堪えることもあったけど、一カ月も過ぎればなんとか人並みに接客できるようになっていた。新学期が始まると週末くらいしか店に入れなかったけど、それでも僕のことを気に入って五街区に来てくれる客も何人かいて、けっこう楽しくやっていた。


 それでも6月に二日間で行われた二周年パーティは本当にきつかった。一日目の日曜日、昼3時から準備を初めて夜7時にオープン。常に客が満員の状態で翌朝8時過ぎまで大騒ぎ。僕はもっぱらグラス洗いと他店にボトルと氷を借りに走り回っていたくらいしか記憶にないが、延々と酒を飲まされるから辛かった。幸いにも常に洗い場に立っていたので、ピンドン(ドンペリのロゼ)のグラスをこっそり流してアセロラの炭酸割りとすり替えたりして何とかその場をしのいでいた。ゲイバーなんかで一本五万円のドンペリがどんどん開いていくんだから、バブルが弾けても日本はまだまだ大丈夫なんじゃないか?って本気で思った。

 二日目の月曜日も同様に一晩中大騒ぎで、店を閉めたのがなんと翌火曜日の朝10時。跡片付けも含めると実に18時間労働だった。その日は帰宅してすぐ倒れるように眠り、目が覚めたら20時間もたっていて驚いた。バイト代は弾んでもらえたが、こんな仕事は二度とご免だと思った。


 二周年パーティが終わってからも引き続き楽しくゲイバーの従業員を続けていた。あのパーティを乗り越えたら普段の営業なんて楽なものだ。たぶんその頃が僕のバイトのピークだったんだろう、いっぱしのミセコ(ゲイバーの従業員のこと)を気取っていた。

 パーティの次の週末でケンジが五街区を卒業した。店にはもう一人、別の従業員が入っていたから仕事は楽だったけど、だんだんとやる気がなくなっていった。8月には熊本に帰省したりケンジと東京に遊びに行ったりしてリフレッシュを図ったが、9月になってもやる気は起きなかった。そんな時、ちょうど五街区の姉妹店としてオープンした「Gパニック」という店に移籍し、年明けまで働いた。

 僕は大学二年の一年間をゲイバーのバイトに明け暮れていたというわけだ。

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