大学に入学してすぐの頃、好きな音楽にのめり込み研鑽を重ねる同期の面々に比べ、没頭できる対象もなく特出した知識も技術も持ち合わせていなかった僕はいささか影が薄い存在だった。しかし堂山でたくさんのゲイたちに感化され、感性が磨かれ、少しずつ個性を表出することができるようになった僕は、西洋音楽について学ぶことがメジャーとされる中で民族音楽という異色のジャンルに傾倒していった。  


 6歳の頃から師事していたピアノの先生からは『音楽とは西洋音楽のことであり、世界中の音楽の中で西洋音楽こそ普遍的で高尚である』と教えられてきた。しかし世界中のあらゆる国や地域に根差した音楽や芸能は、たとえそれがクラシック音楽のようにメジャーでなくても、それぞれに存在意義があり、それらは比較され優劣を付けられるべきものではないことを知った。世界各国の音楽や舞踊などを見聴きすることで、その国の人達の歴史や風習を知り、自分の視野が広がることが単純に楽しかった。

 マジョリティの中におけるマイノリティの存在と価値を知れたことで、同性愛者である自分にも存在価値があるように思えた。そしてこの気づきのおかげで、人や社会に対して偏見を持たず、物事の本質を捉えなければならないという意識が芽生えていった。


 和馬が僕の部屋に来た日から一カ月くらい過ぎた頃、その日は卒業生の卒論発表会の日で、夜には歓送会があった。飲み会の開始時間まで家で時間をつぶしていたところ、和馬から電話がかかってきた。

「どないしたん?こんな時間に」

暇つぶしの電話かと思ったがいつもと様子が少し違う。

「誰かと話したくてあちこち電話したりポケベル呼んだりしてて、やっとフグちゃんが出てくれたわ」

と淡々と話す和馬。何かがあったことは分かった。

「さっきまで母親が入院してる病院に行っててんけど、子宮ガンでもう長くないって言われてん。一人でいるとどうにかなりそうやから、誰かと話したくて」

急にそんな話をされ僕は戸惑ったが、そのまま和馬が話すことを黙って聞いてあげていた。

「さすがに今日は仕事にはよう行かんから休ませてもろてん。フグちゃんとこに遊びに行こうかなぁ」

もう歓送会に行かないといけない時間だったので、終わったら電話すると言って電話を切った。


 歓送会の間、僕は和馬のことしか頭になかった。8時を過ぎると僕は用事があるからといって先に席を立ち、店を出るとすぐに公衆電話を探し和馬に電話した。

「どうする?来ても来なくても、俺はどっちでもええよ」

本当は凄く和馬に会いたいのに、素直に「来い」と言えない。これが僕の悪いところだ。ついつい強がってしまう。もっと素直になれたら良いのにといつも思う。

「なんでそんなに冷たいん?」

和馬にそう言われてしまった。やっぱり「おいで」と言ってほしかったんだろうか。

「九時半頃には着くから駅で待っててな」

それでも和馬は他に行くところがなかったのか、うちに来ることを決めていたようだった。

 待ち合わせまでは一時間以上ある。和馬に会える嬉しさと、会ってどうしてあげたら良いのか?という不安な気持ちを抱えながら、僕は部屋の掃除をしていた。

 

 3月の夜はまだ寒い。駅の出口でなかなか現れない和馬を僕はハラハラしながら待っていた。和馬は20分くらい遅れてやってくると「はい、遅れたお詫び」と言って温かい缶コーヒーを渡してきた。その姿はいつもの和馬と変わらないように見えたので、僕は少し安心した。

 コンビニに寄って食べ物は買ってきたものの、僕の部屋に来ても特におもしろいものがあるわけではない。テレビを見ながらどうでもよい話をしていたが、やはりいつもより口数が少なかった。そのうちか和馬が急に「寝る」と言って僕のベッドに入り、壁の方を向いて動かなくなった。

「もう寝るんかい?まだそんな時間とちゃうやろ」

それでも和馬は動かなかったので、僕はテーブルの上を片付け、ベッドに入り和馬の横に寝た。

 前回とは違い今回は、当たり前のように抱き合い、キスして、セックスした。和馬のことをどんどん好きになる。この時、どんどん深みにハマっていく自分を俯瞰できてはいたが、それを抑えることは出来なかった。

 母親がそんな状態のときに不謹慎じゃないかと思う人もいるかもしれないが、本当に辛いとき助けになるのは他人のカラダの温もりなんじゃないか、と僕は今でも思っている。


 翌日の昼近くまで眠っていた僕らは、前回と同じようにデリバリーのピザを注文した。ただ前回と違い、和馬は自分のことを色々と話し出した。

「俺、昔から父親と仲が悪くてな、高校のとき喧嘩して家を飛び出してん。バイトの先輩のところにしばらく居させてもらっててんけど、ずっと世話になり続けるわけにもいかんし、新聞の求人広告をみて売り専を始めてん」

「そうなんや…」

「そうやで、俺、売り専しててんで?」

和馬は売り専をしていたことに引け目を感じているようだ。

「うん、知ってる」

「なんで?誰から聞いたん⁇」

「誰から聞いたわけでもないけど、なんとなく気づいてた」

「そうかぁ」

僕の反応に安心したのか、和馬に笑みが戻った。

 

 堂山の世界なんて狭いものだから、こういう話はちょこちょこと僕の耳にも入ってきていた。たしかに当初の僕は「体を売るなんて!」と悪いイメージを持っていたけど、ゲイバーで働きだしてから売り専をやっている子と何人も知り合い偏見がなくなった。彼らはとても明るく話し上手で気が利くので、一緒にいてとても楽しかった。そして若いのに苦労している子が多く、彼らから教えられることも多かった。

 売り専をやっているというだけで偏見を持つってことは、ゲイだというだけで偏見を持たれることと同じ。偏見を持つことは人との出会いのチャンスを逃すことだと思えるようになった。

 

 和馬は仕事のことでも迷っていた。ゲイバーのマスターにならないか?という話が来ているらしいが、入院している母親の代わりに兄弟の面倒をみなければならず、水商売から足を洗って昼間の仕事に就こうかとも考えているようだった。それと、せめて高校くらいは出ておきたいから通信教育を受けたいとも言っていた。

 和馬は僕より二つ年下で、この時はまだ18歳。本来なら高校を卒業したばかりの頃だ。僕が18歳だった頃を思い出してみると、和馬は苦労のレベルが違うし、そのせいかずっと大人びて見える。


「今は幸せなん?」

と馬鹿な質問をしてしまった。

「さぁ、幸せなんとちがう?何をもって幸せと思うかは人それぞれの価値観によるもんや思うけど」

和馬の予想外の返答に、僕はすっかり感心してしまった。

『幸せか不幸かは境遇によるものではなく、心の持ちようである』ということを、僕は18歳の和馬から教えられた。

 

 そんな大人びた和馬でも、ときおり無邪気で子供っぽい素振りを見せることがあった。

「本当はほかの10代の子みたいに、普通に遊んでいたかったんとちがう?」

背中を抱きしめながら問いかけてみると

「そういうこと言わんといてや」

そう言ってそっぽを向く彼が可愛く見えた。

 強がって一生懸命に生きているけど、やっぱりまだ18歳なんだ。僕は抱きしめる手に力を入れながらそう思った。

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