4月が来て僕は二年生になった。大阪での暮らしにもすっかり馴染んでいた。堂山での夜の活動ほどではないが、音大生としての昼間の活動においても色々な変化が起きていた。


 音楽学専攻は音楽を学問として学ぶので、音大の中で唯一、実技ではなく筆記試験で受験するのだけれど、様々な歌や楽器に秀でた学生が多かった(これが一般大学で芸術学や美学を学ぶ学生との違いだろう)。「演奏しながら研究する」というスタンスなのだから、みんな音楽へ探求心がものすごい。指揮者や室内楽のピアノ奏者になったり、ヴィオラ・ダ・ガンバやリコーダー、チェンバロなどの古楽器の演奏家を目指してヨーロッパに留学する者までいた。

 僕はというと楽器学の勉強に熱中し、いろんな国の民族楽器やルネサンス期の楽器を集めたり自作したりするようになった。また、バイオリン弾きの友人と僕のピアノでベートーベンのクロイツェルを弾いたり、ピアノが得意な友人とチャイコフスキーのピアノコンチェルトの連弾にチャレンジしたりと、グローバルに音楽というものを楽しんでいた。

 ずっとうだつが上がらなかった僕だが、視野を広げることができたことで、やっと大学での勉強にも自分らしさを見つけることが出来た。


 そんな4月の上旬、ヘブンズのママがお店を辞めることとなり、新しいマスターが着任するまでの4日間だけ、和馬が繋ぎでマスターをすることになった。どうやら和馬がお店を持つことが決まったらしく、それに向けての予行練習も兼ねていたようだ。

 4日目の最終日に顔をだした僕は少し飲み過ぎてしまった。心配してくれる和馬に対し、僕は妙な態度を取っていたと思う。酔っぱらってしまった僕は心の中に押し殺していた和馬への気持ちを抑えることができなくなってしまっていた。

 帰り際のエレベーターの中。見送りに来てくれた和馬に、僕は本心から「好きだ」と告げた。でも酔っ払いの戯言だと思われたようではぐらかされてしまった。そもそもゲイバーの従業員と客との関係で、一度や二度セックスしたからといって恋愛感情を持つ方が野暮というものだ。でも野暮だとわかっていても、僕は和馬に自分の気持ちを知ってほしかった。でもそれが伝わらなかったことで僕は嫌なヤツになってしまった。

「もう来ないから!」

その一言で和馬はやっと僕の気持ちに気づいたようだ。困ったように何かを言いかけたけど、僕は振り返らずに早足でビルを後にした。 

 

 不思議なもので、あれだけ酔っていたのに早足で歩いているうちにしらふに戻っていった。いや、もしかすると本当は酔ってなどいなくて、酔ったふりをして和馬に気持ちを伝えたかっただけなのかもしれない。足早に入った五街区のカウンターに座り、落ち込みながらもそんなことを考えていた。

 言ってどうなるものではないのは百も承知だった。でも「本気で好きになった相手に告白する」ということが生まれて初めての経験だっただけに、それが受け入れてもらえなかったことのショックは相当なものだった。


 店の電話が鳴ってアナゴさんが取った。

「おフグちゃん、アナタに電話よ?」

「ぼくに?」

電話を替わると和馬だった。なぜ僕が五街区に居ると分かったんだろう。

「フグちゃん大丈夫?だいぶ酔ってたみたいだけど…」

「全然大丈夫。酔ってないし」

「気持ちに応えられなくて申し訳ないと思う…」

「全然平気やし。もうええから」

和馬の声を聞いているのが辛くなりすぐに電話を切った。

「誰から?何かあったの⁇」

「別に何でもないです」

アナゴさんに色々聞かれたけど、何とも答えられなかった。


 その日はちょうどカルシウムの三周年パーティの最終日でもあったので、五街区を閉めてからみんなで行って大騒ぎをした。和馬のこと忘れるのにちょうどよく、朝の8時半くらいまでそこにいて、そのまま大学に行った。さらにこの日の夜は梅田で新入生の歓迎会があったので、歓迎会が終わったその足でまた堂山に行って飲み回った。それくらい一人にはなりたくなかったんだ。


 それからしばらくは和馬を避けていた。堂山の通りで偶然に会っても無視をするくらいだった。それでも5月に入るとだいぶ気持ちが落ち着いて、ゴールデンウィークにカズに誘われてやっとボギーに行くことができた。カウンターの中の和馬とは「久しぶり」とお互いぎこちなく挨拶しただけで、ほとんど何も話さなかったけど、そんなに気持ちが乱れることはなかった。この頃から和馬を好きな自分をもっと自然に受け止めようと考えられるようになった。もう和馬は僕の気持ちを知っているのだし、今さらあまのじゃくな行動を取っても自分が苦しいだけだということが分かったんだ。


 ゴールデンウィークが終わると和馬はボギーを卒業し、新しい店のマスターになる準備に入った。そうして僕は和馬に会う機会がなくなり、しだいに他の男たちと『恋愛感情を伴わないセックス』を楽しむようになっていった。 

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