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 その人の恋愛対象が独特である場合、俗に『○〇専』と呼ぶことがある。これは一般的に使われる言葉だとは思うが、ゲイの場合は多種多様な〇〇専が存在する。『デブ専・ホソ専』は想像しやすいがその延長には『三桁専・ガリ専』があり、『若専・老け専』の延長には『オケ専(棺桶のオケ)』なんてものまである。他にもマッチョであれば顔は気にしないといった『ガタイ専』や外国人にしか興味がない『外専』などがある。逆に好きなタイプが限定されず誰とでもセックスできる場合は『誰専』と呼ばれる。そして当時の僕は二つの『〇〇専』と言われていた。


 一つは『店子専』、つまりゲイバーの従業員ばかりをセックスの相手にしていたことでそう呼ばれるようになった。 

 ゲイバーでバイトした二つ目の理由は『堂山界隈に慣れ、色んな人と出会って遊びや恋愛を謳歌したい』であったが、人の好き嫌いが多かった僕はゲイバー遊びでの客同士の交流がだんだん苦痛になり、相性のよい従業員と話している方が楽しくなっていった。そのため客が多くて忙しい週末ではなく、平日の遅めの時間に飲みに出るようになった。そういう時は店の人が一人で営業していることも多く、他に客が居なければ店の人と二人きりで話すこともできた。

 こうして『見た目がタイプで話が合うマスターや店子がいる店』が僕の行きつけとなり、朝方まで話し込むようになった。そして相手もまんざらでもない場合、店を閉めたあと二人で食事に行き、そのままどちらかの部屋に行くという流れになる。そんなことを繰り返しているうちに『店子専』と言われるようになったわけだ。


 ゲイバーで働く人たちが好きだった理由は、自分とは全く違う彼らの境遇や価値観に惹かれたからだ。ゲイバーの従業員が本業という彼らは、僕と同年代でありながら既に自立していて、自分の力で人生を歩んでいた。そして彼らの多くが、家庭環境になんらかの問題があり、10代で既に相当な苦労を重ねてきているようだった。バブルの恩恵を受け、バイトもせずに親からの小遣いでブランド品を買い、カラオケに入り浸るという高校生活を送ってきた僕とはまるで別世界であり衝撃的だった。

 そんな彼らと親しくなることで、親や学校からは決して教わることがない社会の水面下に潜む家庭の問題や貧困などを知り、価値観が変わっていく。知らなかったことを知り、視野が広がることがとても嬉しかった。

 そしてこの「不遇な境遇に負けず頑張っている子」に惚れやすい性格から『不幸専』とも呼ばれるようになった。そしてこの不幸専の傾向はその後もずっと続くこととなる。

 堂山デビューしてから30年、付き合ってきた面々を振り返ると、施設育ち、児童虐待、売り専、借金苦、発達障害、薬物依存、自殺未遂など、色々な問題を抱えていた元彼が多かった。これはたまたま僕が付き合った相手に多かったのかもしれないが、それでもメンタルの課題を抱えるゲイは多かったように思う。


 不幸専の始まりとなった和馬との関係を終わらせるべく、僕は他の男を好きになろうとしたし、何人かとセックスもした。

 五街区の客の一人といい感じになったこともある。例によって不遇な境遇でも頑張っているという話に好感を持ち、彼も僕が店に入っている日にちょくちょく顔を出しててくれるようになった。彼には遠距離の彼氏さんがいたんだけど、例によって僕は彼を部屋に連れ帰りセックスしてしまった。この時、僕はこの彼のことを好きになったと思っていたから。

 翌日、彼に電話してみたが電話に出ず、その次の日も連絡がつかなかった。それから3日目の夜、僕は聞いていた住所を頼りに一時間も歩いて彼の家に行った。スマホどころか携帯電話もなかった当時は、こうでもしなければなかなか会うことができなかった。夜中に突然家に来られて少し驚いていたが、彼も喜んでくれて、それから僕らは週に何度も会うようになった。彼は「遠距離中の彼氏に申し訳ない」と言いながらも、僕とのセックスを重ねた。 

 

 そうして一カ月くらいが過ぎたころ、僕はだんだんと彼の嫌なところが見えだした。色々と苦労があるように言っていたが、単に自分に甘いだけの男だった。そのうち彼は食事や金銭的なことで僕に頼るようになってきたので、僕の気持ちは急速に冷めていった。だって彼は僕より2歳も年上だったんだから。好きになったはずの彼だったが、早々に会う事すら嫌になっていった。

 その後も彼は五街区に客として来ていたが、僕は適当にあしらっていた。そしてとうとう遠距離の彼氏さんを連れてくることになるのだが、その時の彼氏さんの僕に対する冷たい視線は相当なものだった。この時に僕は初めてゲイバーの従業員が客に手を出すことのリスクを痛感した。


 そんなことがあってからしばらく経った頃、翌日の授業が午後からだったので夜更かししていると、夜中の二時頃に電話が鳴った。

「もしもし。久しぶり。最近どうしてるんでしょうか?」

「え?だれ??」

聞き慣れた声だったけど、すぐには思い出せなかった。

「さぁ誰でしょう。以前好きでいてくれた、それとも今でも好きでいてくれてるんでしょうか?」

「…和馬⁇」

「あたりー。元気?いま店やねんけど、どうしてんのかなぁと思って」

和馬の新しい店はとっくにオープンしていたが、前のように和馬に気持ちをかき乱されることを避けていた僕は、まだ顔を出してはいなかった。

「よくこんな時間に電話してくるわ。俺は大学があんねんから、普段ならとっくに寝てる時間やで」

「フグちゃんだったら起きて話してくれると思って」

客が途切れ店に一人になったので電話してきたそうだ。僕は和馬がマスターになってからのことを30分くらい聞いていたが、電話だと落ち着いて話ができた。気持ちがそれほど高ぶらなかった。


 その電話がきっかけで僕は和馬の店にも行くようになったのだが、和馬は僕に対してだけでなく、どの客に対しても商売っ気がなかったので少し心配になった。素朴で決して愛想がよいとは言えない雰囲気は、初めてボギーで出会ったときから変わっていなかった。まぁそんな和馬が好きで足しげく通う客も多かったようだけれど。


 二年生の前期試験が終わり夏休みに入った僕は、夜はほとんど毎日堂山に居て、和馬の店にもよく行っていた。幸い、といっては申し訳ないが、彼の店はお世辞にも賑わっているとは言えなかった。その頃の和馬は自分の店で週末だけバイトさせている同い年の子と付き合っていて、なぜかそれを公言していた。そのため「あわよくば」と下心で通っていた客が来なくなってしまった。それくらいに商売が下手だった。

 その日も僕が店に行くと他に客はおらず和馬一人で、なんだかイライラしているようだった。どうやら彼氏とケンカしたらしい。僕はカウンターの端の席に座っていたんだけれど、そのうち和馬は僕の横に並んだ椅子の上に器用に寝っ転がり、僕の膝を枕にして話をし出した。この体勢で客が入ってきたらまずいだろうとは思ったが、僕はそのままにさせておいた。

 ふいに和馬が彼氏さんに電話をかけた。

「もしもし?新しい彼氏ができましたー。フグちゃんと付き合いまーす」

火に油を注ぐようなことを言っていたが、もちろん僕は本気にすることはなく聞き流していた。僕はただ和馬が僕によりかかってくれているだけで嬉しかった。

 電話を切ってからも和馬はイライラしていて「誰かオトコを紹介しろー」とか言うもんだから、

「紹介するオトコが居たら俺が付き合っとるわ。もう半年も彼氏がおらんのに」

と笑いながら言い返した。

「・・・あんたバカやわ」

と何か言いたげな目をして和馬がぼそっと言った。

「バカ?そやなぁ、何があかんのやろなぁ」

「バカ、ほんまにバカやわ」

この時は本当になぜバカと言われるのかが分からなかった。ひょっとすると「オトコを紹介しろ」という和馬に「ここにおるやん!」と返していたら…そうしていたら僕たちの関係は何か違っていたんだろうか。


 たぶんこの頃の数日間だけが、僕が和馬と二人で居ることに幸せを感じることができた貴重な日々だったように思う。和馬が店を早めに閉めて、二人で公園に花火をしに行ったことがあった。広くて真っ暗な野球場の真ん中で、ただ無邪気に花火を楽しんでいる和馬を見ているとそれだけで幸せだったし、自分の一方通行の想いをしっかりと受け入れることができていた。日が昇り朝の雑踏の中でバイバイするまでのその数時間を、30年経った今でも覚えている。

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