14
引っ越しが落ち着いた頃、大学も春休みに入った。思えば堂山でバイトしだしてからちょうど一年が経っていた。この一年で僕は多くのことを経験し、多くの刹那的な恋愛に振り回されてきた。これらをいったんリセットして本業の学業に専念すべく、春休みの帰省のタイミングでGパニックのバイトを辞めることにした。
地元で高校時代の仲が良かったメンバーで久しぶりに集まりたかったのだが、東京や名古屋の大学に進学した友達は帰省しなかった。僕は一浪したけど皆は4月から四年生になるわけで、皆それぞれ忙しかったようだ。それでも裕紀だけは帰省していたので、僕らは久しぶりに二人で食事しカラオケに行った。
裕紀は神戸にある大学の学生寮に住んでいたが、幸いにも震災の被害は少なかったらしい。カラオケの後もドライブがてら震災の話で夜中まで盛り上がった。以前と変わらず裕紀は良いヤツだったけど、僕にはもう恋愛感情みたいなものはなかった。いつの間にか裕紀への片想いから卒業できていたことに気づいた。
帰省から戻ってくると、いつものように新大阪駅からそのまま堂山に行き、ゲイバーにお土産を配ってまわった。そして終電を逃してサウナに泊まった。堂山での行動は何も変わっていないが、前とは違って自分を俯瞰してみることができるようになっていた。流れに任せて突っ走るようなことはせず、人付き合いも一歩引いて接することができるようになった。ボギーのマスターからは「最近なんか落ち着いたね」と言われたけど、自分ではなんだか熱が冷めたような感覚だった。
三年生になると大学の勉強は専門性が増し、卒業論文に向けて自分の専門分野を明確にしていく時期に入った。民族音楽に傾倒していた僕は、筝・三味線や雅楽など日本の伝統音楽の勉強も始め、西洋音楽がメインの学生の中でさらに異彩を放っていった。また、音楽学専攻にも短大からの編入生が仲間入りし、さらに面白い学生生活となった。
この頃にはピアノや声楽、管弦打など他専攻のゲイの学生の友人が増え、『大学での自分』と『堂山での自分』との表裏の使い分けのようなものが必要なくなってきていた。さすが音大というか、ほとんどのゲイの学生が自分を偽ることなくオープンにしていて、彼らは女子学生に囲まれ普通に学生生活を謳歌していた。
そんな大学だったので、僕以外にもゲイバーでバイトしている学生が何人かいて、学食で普通にゲイバーの話題で盛り上がることもあったし、女子学生の友達を連れてゲイバーに行くこともあった。そうして僕は堂山だけでなく昼間の大学でも自分らしく生きることができるようになっていった。
4月半ばのある夜、Gパニックで飲んでいると電話がなった。誰かと話していたマスターがふいに「あ、今フグがおるで。代わったろか?」と僕の方を向いて言った。もちろん僕は相手が誰かもわからず、とりあえず電話を代わった。
「もしもし?」
「フグー?久しぶりやん!」
そう嬉しそうに言う声は和馬だった。久しぶりに心がざわつき、僕は和馬からまだ卒業できていないことを自覚した。
「和馬?久しぶりやなぁ。どないしたん」
そんな気持ちを悟られぬよう、僕は淡々と答えた。
「俺こないだ彼氏と別れてん。それでフグに話を聞いてもらおうと思って」
「へー、そーやったんや」
「なぁ、話聞いてよー。いまヘブンズにおるから、こっちにけーへん?」
「はぁ?自分がこっちに来たらええやんかー」
なぜかつれない態度しかとれなかった。たぶんまた心をかき乱されることを避けたかったんだと思う。
「なぁ、来てや。話聞いてよ!」
「い・き・ま・せ・ん」
「来て!」
「行かない!」
「来て!待ってる!」
強引に電話を切られた。そのまま何もなかったかのように僕はマスターや他の客に加わり話を弾ませた。そうして終電の時間が近くになった頃にまた和馬から電話があった。
「フグちゃん、ほんまに来てくれへんの…?」
凄く寂しそうな和馬の声に僕は胸が苦しくなった。さすがに今回の別れは辛かったのか、いつも強がっている和馬が弱気になっているのが痛いほど伝わってきた。
「そんなん言われても。もうそろそろ終電やし…」
「じゃ今から一緒にフグちゃんとこに行ってもいい?」
「それはかまへんけど…ほんまに来るんか?」
「じゃぁ0時に堂山の入り口のとこで待っててな」
結局、和馬に振り回されるままに待ち合わせすることになってしまった僕は、また一年前の感情が蘇ってきていた。
Gパニックを出ると雨が降り出していた。和馬は本当に来るのだろうか?不安と期待を胸に小走りで交差点に向かうと、僕に気づいた和馬がビルの陰からひょいと出てきた。傘をもっていなかったので軒下で雨をしのいでいたようだ。僕は彼を傘に入れてやり二人で駅に向かった。いかんせん僕と和馬は15センチ以上も身長差があるので、傘が何度も和馬の顔に当たってしまう。しまいには「もうちょっと気を使ってやぁ」とぼやいた和馬に傘を取られてしまった。
「やっぱり…どうしよかなぁ」
僕が切符を買っていると和馬が言った。ここにきて迷いがでたようだ。
「どうする?帰るなら今やで?」
「…ええわ、行く!」
僕らはいつかと同じように阪急電車に乗ったが、今回は以前と違って二人ともあまり会話をしなかった。
毎度のことながらうちに来ても特に面白いものがあるわけではない。テレビに飽きてワープロをいじったり人差し指でピアノを弾いたりする光景がなんだか懐かしく思えた。
深夜3時近くになると和馬はシャワーを浴びると言い出した。やっと眠る気になったようだ。彼がシャワーを浴びている間に僕はテーブルを片付け、押し入れから寝袋を引っ張り出した。ベッドに二人で寝てしまうと絶対に一年前を同じことを繰り返すことが目に見えていた僕は、前の僕とは違うことを自分に確かめるべく、床で寝るつもりだった。そうすることでこの不毛な関係にピリオドを打てるような気がしていた。
シャワーから出てきた和馬はトランクス一枚の姿ですぐにベッドに潜り込み、床で寝ようとしている僕に気づくと
「なんでそんなんしてんの?一緒に寝たらええやん」
そう言って僕の腕を引っ張った。僕は目を合わさずに
「いいや、今日は一人で寝る!」
ベッドの方へ引っ張ろうとする和馬の手を振り解こうとしたとき、僕の手の甲が彼の鼻に強くぶつかってしまった。
「イテッ!」
「あ!ごめん!!大丈夫?」
僕は起き上がってベッドに上がり、手で鼻を抑える和馬の顔を覗き込んだ。
「イッテー!素直に一緒に寝んからこんなんなるやん」
「ゴメンて…」
ひとまず大丈夫だったことが確認できたのでベッドから降りようとしたが、後ろから和馬に抱きしめられた。僕は時が止まったかのように動けなかった。
「ごめんな、フグちゃん。いつもこんなんばっかで。ほんまにごめんな…」
急な和馬の言葉に、僕は抑えていたものが一度にあふれ出してしまった。数秒間の沈黙のあと、僕は反対に和馬を力いっぱいに抱きしめ返した。
「おまえなぁ、俺がいつもどんなに辛い思いをしてるか分かってへんのやろ。ほんまに辛いねんで?ほんまに…」
力いっぱい抱きしめたまま、僕は訴えるように言った。
「ごめんな。いつもフグちゃんの気持ちに甘えるだけで。ほんまにごめん」
ついさっきまでの「一年前と同じことは繰り返さない」なんていう気持ちは消え失せ、もうどうなってもいいと思った僕は、むさぼるように和馬の躰を求めた。この一年間のあらゆる思いをすべてぶつけるかのように力いっぱい抱いた。
もうこれを最後にしたいという思いも込めて。
セックスの後も僕はずっと和馬を抱きしめていた。時計の針が4時を指した頃、ふいに和馬はベッドから降りるとタバコに火をつけ、ベッドを背もたれにして床に座った。僕は冗談で背後から首を絞めると、和馬はぽつりと言った。
「ほんまに殺してええよ」
「なにゆーてんねんボケ」
「もし俺をほんまに殺したらどうする?」
「もちろん後を追って俺も死ぬ…なんてことは言わへんで?」
「えー?つれないなぁ。俺、殺され損やんかぁ」
少し笑いが戻った和馬の背中を、僕はそっと抱きしめた。
ゲイバーのマスターを辞めた和馬は昼間の仕事をしていて、この日も朝から仕事だったので7時に目覚ましをセットして寝た。しかし当然のこと二人とも起きられず、10時前にやっと目が覚めた。
「寝過ごしたなぁ。仕事ヤバいんちゃう?」
「ヤバいなぁ。行きたないけど、こないだも休んだし」
「仕事はちゃんと行かなあかんで?」
本音はまだ一緒にいたかったけど、まじめに普通の仕事を始めた彼を休ませるわけにはいかない。とりあえず職場に電話をさせた。午後からの出勤にしてもらえたというので、僕らはまたベッドに入った。テレビを観て無邪気に笑う和馬のあどけない姿を見ていると、なんだかすごく安心した。彼がごくたまに見せるこの子供っぽさが、僕はたまらなく好きなんだと気づいた。だから僕はそんな和馬を後ろからずっと抱きしめていた。
それから僕らは、それぞれこの一年間の出来事を話した。和馬の最近別れた相手が震災の復興支援の仕事をしていてなかなか会えなくなり、そのまま相手にお見合いの話があがって別れざるを得なくなった話を聞き、僕はマサトさんと連絡が取れないまま四カ月が経過したことを話した。
「俺はフグのことが好きやし、フグと付き合ったら絶対に俺のことを大事にしてくれると思うよ。でも俺らみたいな人間は付き合っても遅かれ早かれ何かしら上手くいかなくなるもんやと思うねん。そうして別れて縁が切れるよりも、フグとは今みたいな関係がずっと続く方がええと思うねん。時々電話で話をして、時々こんなふうに会って、もちろんセックスがあってもいいし。どない思う?」
「もうええって。俺は何も望まへんから。この一年そうやって過ごしてきたわけやし」
僕は和馬の背中を抱きしめながら言った。この時の僕は今後のことなんて全然考えていなくて、ただこうやって抱きしめている彼の背中をずっと覚えておきたいと思うだけだった。
「はぁ…」
僕はため息をついた。
「なに?どうしたん??」
「いや、一年前とまったく同じやなぁと思って。また来年もこうなるんかなぁ」
「それまでにはいい人が見つかるよ」
「そうかぁ?でもこの一年、和馬より好きになれる相手は見つからんかったで?」
「…」
しばらくの沈黙のあと、僕は抱きしめる手に力を入れた。
「なに…?」
「次はまた一年後になるかもしれんから、今のうちにしっかり抱きしめておこう思って」
「…もっとぎゅって強く抱きしめて」
何かを確かめるように言う和馬を、僕はありったけの力で抱きしめた。
駅まで和馬を見送り、僕は部屋に戻って一人で眠った。
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