第13話 現在

アオバは湯船の中で大きく息を吐きだした。

今思うと、あの気持ちの湧き方は異常だったように感じる。

手紙に魔法が掛かっていたのではとも思ったが、アオバには魔法が効かない。

だがあんなに怪しさ満点の誘いに結局乗ってしまったのだから、何かがあったに違いないと睨んでいる。

雇用契約を結ぶまでは勤務地は群馬で、とんでもないド田舎に引っ越さなくてはならないなんて聞いていなかった。

それどころか、最近では危険な仕事もあるということもなんとなく分かってきた。

周りの人がみんな揃ってアオバの心配するので気付いたのだ。

何処のブラック企業ですかというレベルの後出しがわんさか出てきたが、マツリは大丈夫大丈夫と軽く言ってくるだけだ。

実際、今のところ仕事でヤバそうなことはない。

やることは今回のような掃除や現場の荷物番といった簡単なことしかやっていない。

むしろ、今までと違う世界を楽しく感じている。

最初だからかもしれないが、このくらいの仕事内容なら続けたいなと思っていた。

再び大きく息を吐き、湯船から上がる。

その頃には完全に真っ暗だったので、持ってきたライトで部屋を照らした。

LEDの強烈な白色光はライトの大きさに見合わず、十分な広範囲を照らし出していた。

髪を乾かし、歯磨きまで済ませると洗濯機から洗濯物を取り出して二階へ上がる。

二階はエアコンのおかげで涼しく冷やされており、風呂上りの体に気持ち良い。

アオバはライトが置いてあった窓を開けると、外に洗濯物を干していく。

それを終えると、置いておいたライトを順番に点灯させてゆく。

部屋中が白い光に包まれた。

コンビニ袋からサラダと餃子、そしてクーラーボックスからビールを取り出してテーブルに持っていく。

餃子はコンビニで温めてもらったが、時間が経っていたのでとっくに冷めてしまった。

テーブルに着いてテレビを点け、ビールを飲みながらチャンネルを回してゆく。

特に面白そうな番組がなかったので、結局テレビはやめてスマホいじりを始めた。

メッセージアプリにマツリから連絡が来ていることに気付く。

内容はいつも通り朝8時にマツリのところへ行き、14時に常桜殿へ到着するように出発するとのこと。

「(ここから三重までそんな短時間で行ける?)」

北山村から高崎駅までは結構な距離がある。

もし新幹線などを使っていくのであれば8時に出発では到底間に合わない。

新たな魔法の予感である。

アオバは明日が少し楽しみになって笑みがこぼれた。

その後は手早く食事を済ますと、この4日間の疲れもあったからかすぐに寝入ることが出来た。


翌朝、身支度を整え、いつも通りマツリのところへ坂道を登ってゆく。

普段着で良いと言われたがそうもいかない気がして、今日はベージュのパンツに白のブラウス、靴は白のパンプスでバイト面接に行くような恰好にした。

いつもはリュックを背負うのだが、服装に合わせるため、あまり慣れていないショルダーバッグにした。

じりじりとした日差しが容赦なく降り注ぎ、世のスーツ勢は大変だなと早くもうんざりしていた。

アオバが必死に坂登りをしていると、後ろからドスドスと人が走ってくる音がする。

足音で分かるが、この重量感はマツリで違いない。

彼女は毎朝ランニングしているので、旅館に戻るところだろう。

「あれ!普段着で良いって言ったのに!」

マツリがアオバの服装を見て声を上げる。

案の定、ランニング中であろう彼女は白い半そでTシャツに紺色のジャージの半ズボン姿だ。

「いや、そういうわけにもいかないでしょ。初めてお偉いさん、ていうの?・・に会うんだから。」

アオバはマツリの格好を見て急いでいないことが分かったので聞いてみた。

「てか、三重までどうやって行くの?これからお風呂入るんでしょ?間に合う?」

朝食は移動中に食べるか、最悪抜くことが出来る。

しかし、この汗びっしょりの状態では流石に行かないだろう。

「いつも通りだよ♪お風呂入って~、ごはん食べて~、掃除して~ってやってからだから、出発は昼過ぎの予定です♪」

「え、昼過ぎ!?マジ?え、掃除とかあるなら服着替えようかな・・・。」

アオバは旅館に行ったら直ぐに出発すると思い込んでいたので、まさかいつもの掃除をすることになるとは思っていなかった。

その様子にマツリは全てを理解したようだ。

「ごめんごめん!伝え方が悪かったわ。本当に普段通りで良いから、服とか着替えてきちゃいな。その恰好動きにくいでしょ?」

この申し出はかなりありがたかった。

汗で綿のシャツが肌に張り付いてくる感触はとても不快だったからだ。

「そしたら着替えてくる。常桜殿はいつもの格好で本当に平気?」

アオバは常桜殿の人はマツリと最初に会った日の斉藤さんしか知らない。

どういう感じなのかが分からないので、少なくとも第一印象を悪くはしたくない。

「大丈夫だよ!基本的に服装自由だし。後で海で遊ぶ予定とか言って海パン一丁で行く人もいるし。あたしもいつも通りでいくし。」

海パン一丁とは自由のレベルがアオバの常識と違いすぎる。

これを聞いたら普段のTシャツデニムサンダルで全然大丈夫な気がしてきた。

海パンよりはずっとましだろう。

「海パンはヤバいw分かった、いつも通りの服に着替えてくる!」

アオバとマツリは一旦分かれてそれぞれの家へ向かっていく。

服を着替えるとアオバはまた同じように坂登りを開始する。

先ほどと違い、布が肌に張り付くようなことはなく随分快適だった。


旅館に着いて2階へ上がる。

前回はマツリの部屋へ来るよう指示があったが、いつもは2階の大食堂で集合することになっているのだ。

2階の廊下は3階と違い、大食堂の大きな入り口のところから光が広がっているので明かりなしで進める。

大食堂は広々とした空間で、外側は全面ガラス張りでとても明るい。

床は赤い絨毯が敷き詰められており、濃いブラウンの木の天井や柱が白い壁と絶妙に溶け合っている。。

食堂の隣に調理部屋があり、本来であればそこで料理するが、今は明かりがなく真っ暗なので作る時はそこは使わず、食堂の隅にテーブルや冷蔵庫を置いて調理場としている。

そのすぐ近くにダイニングテーブルと4脚の椅子が置かれ、ポータブル電源に繋がれた3台の冷風機がその一帯を忙しく冷やしていた。

アオバが入ると、若い女性がテーブルに配膳しているとこだった。

「ミライちゃん、おはよう!今日休み?」

アオバが挨拶しながら近づくと、彼女もアオバに挨拶する。

「おはようございます!休みです!今日鳥羽に行くんですよね?」

若い女性ことミライは肩より長い黒髪をポニーテールにしており、白の半そでTシャツにストレートデニムにサンダル姿で、淡い藍色のエプロンをしていた。

彼女は大きなレンズの縁あり眼鏡をかけていて、本人曰く、一重の目がなるべく大きく見えるように頑張っているらしい。

この眼鏡は魔法アイテムでその日の気分によってフレームの色が変えられるようになっている。

今は黒ぶち眼鏡だ。

「そうなの!行ったことないからちょっと楽しみw観光出来るかな?」

二人は歳が近く、アオバが21歳でミライは20歳である。

ミライは介護施設で働いている。

「出来ると思いますよ!私も行くんで出来たら一緒に回りません?」

「ミライちゃんも行くの?最高じゃんw」

アオバはミライを手伝いつつ、鳥羽の観光の話で盛り上がった。

「なんか楽しそうだね♪」

話していると、風呂上がりのマツリが食堂へ入ってきた。

先ほどとは違い、グレーの半そでパーカーに黒いデニムとサンダル姿だ。

(マツリはいつもパーカーを着ている。)

「ミライちゃんも行くんだって?観光とか出来たりする?」

アオバがみそ汁をつぎながらマツリに尋ねた。

「出来ると思うんだけど、何時に終わるかが分からないんだよね~。なんせ行ってみないと何の用だか分かんないからさ。」

言いながらマツリは慣れたように席に着いた。

いつも席は決まっていて、彼女の前には大きな丼に山盛りのごはんが置かれている。

アオバから受け取ったみそ汁を並べながら今度はミライがマツリに聞く。

「二人が常桜殿に行ってる間、あたしはどうしたらいい?」

「好きにしてて良いよ。別に頼むこともないしね。」

「OK!」

アオバが最後に自分のみそ汁を置いて席に着いた。

マツリは幅を取るので、アオバの席はミライの隣と決めている。

全員が座ったのを確認するとマツリが挨拶した。

「それじゃ、いただきます♪」

「「いただきます!」」

テーブルの上にはごはんとみそ汁にきゅうりの漬物、ベーコンエッグに麦茶が並べられている。

マツリは他の2人の倍の量を食べる。

食事はほとんどミライが担当で、彼女が仕事などで作れない時だけマツリが担当している。

後片付けはアオバの仕事だ。

アルバイト時代、アオバはこんなしっかりした朝食なんて自分で作ることはなかったので、この仕事に就いて良かったと思っている事の一つだったりする。

食べながらマツリが話し始めた。

「この後、いつも通り片付けして掃除してってやって、もし昼前に終わるようならラーメン食べ行こうよ。松坂牛のラーメン。」

「松坂牛!?」

速攻でアオバが食いつく。

「そう。三重県は有名じゃん?この前ネットで特集してたんだよね。そこで紹介されてた店、気になってるんだよね~。」

「アオバさん、掃除手伝いますから絶対昼前で終わらせましょう!」

ミライもアオバと同じで目をキラキラさせている。

「ありがとう!でも手伝ってもらうのは悪いよ。大丈夫!ちゃんと昼前に終わらすから。」

アオバは掃除も仕事なので給料が出るが、ミライは完全なタダ働きになってしまう。

「気にしないでください。ちゃんとこの分はマツリからお小遣い貰いますからw」

いきなり引き出されたマツリはブホッと笑いだした。

「え、まじ?wラーメンが高くついてしまったな♪」

3人は笑いながら向こうで何をするかと楽しく話しながら食事を続ける。


食べ終わると、マツリはテントの片付けをすると言って食堂を出ていった。

アオバが食べ終わった食器を食堂隣の調理場シンクに持って行き、いつもの小型ライトの光を頼りに洗い始める。

村のインフラは止まっているので、水は村の井戸からタンクに入れてマツリが用意しておいてくれているのを使っている。

洗っているとミライが使った調理器具を持って部屋に入ってきた。

「ラーメン楽しみですね!」

ミライとは一つしか違わないのでタメ口で良いと言ったのだが、彼女は気になるらしく今も敬語のままだ。

「ね!どんなやつなんだろ?大きな松坂牛がドーンと乗ってたり?w」

「それ最高ですね!」

二人は笑いながら片付けを進めていく。

食器や調理器具を片し、テーブルや調理スペースを拭いて食堂は終了だ。

旅館は大きいので曜日ごとに掃除する場所が決まっており、今日は1階の掃除をする日となっている。

1階は玄関ロビーとスタッフルームやバックヤードが3部屋、客室が6部屋、そして廊下とやるところが満載だ。

(トイレは完全に使用していないので免除となっている。)

とはいえ、どこもせいぜい通り抜ける程度なので、掃除機を一気にかけてしまえばほぼ終了なのだ。

二人は食堂の隅でソーラー発電によって充電されていた掃除機のバッテリーを持って1階へ向かう。

「そういえばさ。ミライとマツリって親子なの?」

最初にミライを紹介された時に、マツリは娘みたいなものと変な言い回しをしていた。

二人の年齢差は14歳しか離れていないので、訳アリなのかなと今日まで深くは聞かないようにしてきた。

しかし、ここ1か月でミライとはかなり仲良くなれたので、思い切って聞いてみることにしたのだ。

「実の親子ではないです。ただ戸籍上ではマツリの養子になってます。」

年の離れた兄弟のような年齢差でも養子縁組できるのかとちょっと驚く。

「へえー!親戚だったの?」

「いえ、赤の他人です。」

ミライはそう言うと難しい顔になって、考えながら言葉を続ける。

「ちょっと複雑なんですよね。あたしは福島出身なんですけど、7歳の時に東日本大震災で母が死んでしまったんです。」

アオバは東日本大震災と聞いてこの話を持ち出したことを後悔した。

間違いなく嫌な記憶に違いない。

どうしよう、やってしまった。

そんな思いのアオバを知ってか知らずかミライは続ける。

「死んだんですが幽霊になってしまって、それでマツリが来たんです。」

赤城神社でのマツリの言葉を思い出す。

幽霊はエラー魔法でそれを解決するのが陰陽師の仕事。

「母はあたしが父に引き取られることが絶対に嫌だったんです。あたしの父親ってのがクズで、暴力は当たり前。あたしが6歳の時に幼女趣味の知り合いに援交させようとした前科もあるんです。その時はご近所さんが気付いて難を逃れたんですけどね。近所でも有名なクズだったので。」

アオバはこの話を持ち出したことをさらに深く後悔した。

今の楽しく暮らしてるところからは想像できないくらい過去がえぐい。

自分で聞いてしまったから、どうやって話を終わらせたら良いのだろう。

頭の中がショートして何も言えない。

「それで幽霊になっちゃったみたいなんです。こんなことなら早く離婚しておけば良かったと本当に後悔してました。」

「お母さんの幽霊に会ったってこと?」

話を終わらせなきゃいけないのに、つい好奇心の方が勝って質問してしまった。

「はい。マツリに連れられて会いました。その時にマツリが今後世話をしてくれるからちゃんと言う事を聞くようにと言われたんです。」

その時のことを思い出しているのだろう。

ミライは悲しい顔で遠くを見ていた。

「・・・それで養子縁組したと?」

アオバが慎重にそっと聞く。

「多分。7歳だったので手続きとかはよく分からないんです。母はあたしに会った後・・・成仏っていうんですかね?マツリがそんな感じにしてお別れしました。その後すぐにここに連れてこられて・・・2週間くらいかな?それくらいで学校の転校手続きなんかが終わってて、以来普通の生活してます。」

ミライは話終わるとニコッと笑ってアオバの方を見た。

「へぇ~、なんか色々思い出させてごめんね。」

ミライと対照的にアオバは申し訳なさでいっぱいだ。

「あっ気にしないでください。もう自分の中では整理できてることなんで。」

アオバの様子にミライが急いで取り繕う。

「じゃあ父親は生きてるってこと?」

「みたいです。あたしも会ってないので分からないんですが、別に会いたいとも思わないのでこのまま放置です。」

アオバはこれまでの話を飲み込むように大きく何度もうなずいた。

そうこうしている内に1階に到着する。

「なんかミライちゃんも大変なんだね~。」

階段からエントランスロビーに入ったところで立ち止まり、しみじみといった様子でアオバが言うと、ミライはニッコリと笑った。

「いえ、そうでもないです!確かに母が亡くなったのは悲しいですが、マツリとの暮らしは以前よりずっと良いものなので。マツリは学費は勿論、お小遣いまでくれて、流行のおもちゃを買ってくれたり旅行にも連れてってくれたりと、本当に良くしてくれました。主に父親のせいですが、両親といた頃の暴力と貧乏の暮らしでは考えられないような幸せです。」

そう言った彼女の顔は本当にいい笑顔だったので、今が幸せなのは本当だろう。

「そっか!それは良かった。」

その笑顔にアオバもやっと笑って答えられた。


会話の切りの良い所で、二人は掃除に移る。

ミライに客室の6部屋を頼み、アオバはその他の場所を担当した。

エントランスロビーのカウンター内に置いてある充電式掃除機を引っ張り出し、食堂から持ってきたバッテリーを装着する。

この1か月でだいぶ慣れ、掃除機のかける順番も決めており、今日はいつも以上に手際よく進めていく。

最後のスタッフルームに取り掛かろうとしたところで、客室を終えたミライがアオバのところに来た。

「客室終わりました!」

アオバは部屋の入口のミライの方を向く。

「ありがとう!後は私がやるから。ありがとね!」

「大丈夫ですか?まだ手伝い大丈夫ですよ?」

ミライちゃんはなんていい子だろう!

アオバは感動する。

「大丈夫!この部屋で最後だから。終わったらマツリの部屋に集合かな?」

「そうですね。じゃ、あたし行ってますね!」

「うん、また後で!」

二人は一旦分かれ、アオバは早く終わらせようと掃除機のスイッチを入れた。

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