第16話 女長

屋根付き廊下の先には先ほどの屋敷よりも大きな建物が建っている。

神社の本殿のような造りで、手前に外に面した廊下が横一直線にあり、屋根付き廊下は中央でその廊下と連結していた。

その奥は畳の部屋になっているようだ。

中央の間口を除いて障子が閉まっており、その開いている間口にも紫の紋付神社幕があって奥までは見渡せない。

紋は国章として使われる菊花紋章がプリントされていた。

「ハツさんていうのが女長さん?」

アオバは先ほどの会話に出てきた人物について尋ねる。

「そう。みんな役職名じゃなくてハツさんて呼んでる。あ、一つ言っとくね。」

マツリは立ち止まり珍しく真面目な顔をしてアオバに向き直る。

「ハツさんからの話は人が死んでる仕事の話が多いから覚悟しといて。」

アオバはいつかはこういう日が来ると思っていた。

やはり陰陽師といえば幽霊に関わる印象が強い。

であれば、原因である死に触れる日が来ることは予想していた。

「うん、分かった。」

アオバも真っすぐにマツリを見つめてはっきりと言う。

それをみたマツリはニコッと笑って一つ頷き、じゃ、行くかと再び歩き始めた。

どういう仕事なのだろう。

やはり除霊だろうか。

今までの仕事は掃除や公共魔法の定期点検が主で、この前の里壁の修復で初めて陰陽師らしい仕事を見たくらいだ。

定期点検なぞ、アオバからは何の変哲もない場所を見て回ってるだけとしか思っていなかった。

今日、境目のトンネルをくぐったことで、あれらの場所にも同じ類の魔法がかかっていたのだとやっと気付いた。

それくらい大した仕事はなかったのだ。

今から受ける仕事こそがこの陰陽師という職業の本質的なものであろう。

アオバは軽く深呼吸をして自分を落ち着かせた。


中央の神社幕をくぐって中に入ると、だだっ広い畳の部屋が広がっていた。

外側からは神社のように見えたが、祭壇どころか部屋の装飾が何もない。

木の壁と天井に畳だけという非常にシンプルな部屋だ。

入って右奥に出入口の襖があり、マツリはそこに向かって歩いていく。

ついて行くと、その先は窓のない薄暗い空間が広がっていた。

通り過ぎた和室と同じくらいの広さだが、全てが木造で中央に地下へ続く大きな階段がぽっかり口を開けていた。

マツリが襖を占めると、ところどころに設置された行灯の光だけになり、暗い暖色の光によって不気味さが増していく。

エアコンなどはなく、外と同じ気温のはずなのに寒気を感じた。

マツリは迷うことなく中央の階段を下りていく。

人が横に4、5人は並べそうな幅の階段を、数段ごとに置かれた行灯の薄暗い光を頼りに下りていく。

階段はとても長く、暗さもあって先が全く見えない。

囲うようにある天井と壁によって、広い階段なのに圧迫感があった。

一段一段が高めでアオバは踏み外さないよう慎重に下りて行く。

下に行くにつれて気温が下がってゆき、気持ちの良い涼しい塩梅になっていった。

しばらく行くと、天井と壁がなくなって開けた空間が出現する。

その光景にアオバは思わず立ち止まり息を飲んだ。

空間は全体的に行灯よりも明るい暖色の光に包まれていて、階段の終着点である一番下まで見渡すことが出来た。

岩壁むき出しの広い洞窟空間で、まだ下までは10階建てのマンションくらい高低差がある。

しかし、驚くのは階下の光景ではない。

目の前にあるのだ。

それは奥の岩壁にそびえ立つキラキラと輝く巨大な水晶だ。

地面からゴツゴツトゲトゲした結晶が大迫力に生えている。

高さは下からアオバの位置よりもさらに高く、相応の太さもある。

下にいる人影が豆粒大なのを考えると、とんでもない大きさだ。

目の前で見ても存在を信じられない絶景である。

「ダイジョブかー!」

下からのマツリの声でハッと我に返った。

「大丈夫!」

そう言って慌てて階段下りを再開した。

「慌てないで良いよ!危ないから!」

言われて少し冷静になったが後悔した。

天井と壁がなくなったことで圧迫感がなくなり、逆に解放感がある。

まるで空中に浮いているかのようだ。

というか本当に宙に浮いているようで、下を見ると階段の隙間から遥か下の岩場が見えていた。

別に高所恐怖症ではないが、それでも落ちた時のことを想像するのを止められない。

アオバはそろそろと端に寄り、手すりにつかまりながら下りることにした。

幸い明るくなったことで邪魔だった行灯が無くなり、手すりを掴めるようになったのだ。

マツリはアオバが安全になったのを確認すると再び下り始めた。

ただ階段を下りるだけだったが、相当な高さがあったため結構な時間がかかる。

やっと下に着くと、そこは学校の体育館程の広さの正方形の木床が広がっていた。

改めて奥の水晶を見ると、大きすぎて結晶というよりも壁である。

水晶前には立派な祭壇があり、前の屋敷で見た二人と同じような格好をした老女が二人正座して座っていた。

中央に座っている人は小柄で、短い髪は白髪で真っ白、顔には深いしわがいくつもあり、穏やかな顔で目を固く閉ざしている。

かなりの高齢だ。

もう一人は60代くらいで、その人は中央の老婆の片隅で侍るように座っていた。

細身で厳格そうな雰囲気があり、背筋をピンと伸ばしている。

腰まである長い黒髪と四角い眼鏡の奥の鋭い眼光が印象的だ。

その人がマツリに対してピシャリと叱る。

「遅い!6分遅刻ですよ。」

まるで教師を彷彿とさせる物言いで、アオバは一気に緊張した。

おそらく遅刻してしまったのは、アオバが階段を慎重に下りて時間がかかったためだろう。

マツリの大股なら、向こうの屋敷からここまで5分くらいで行けてしまうのではないだろうか。

「すいません、ヨシエさん。ちょっと距離を見誤りました♪」

マツリは全く反省の色がなく、アオバはハラハラした。

続けて文句を言いたげな女教師・・じゃなかったヨシエさんを遮って、中央の老婆が口を開く。

「言っても無駄さね。マツリだもの。来ただけ上出来。」

彼女の声色は対照的に穏やかでとても心地よい。

おそらく彼女が女長のハツさんだろう。

マツリは二人の近くに胡坐をかいて座り、アオバはすぐ後ろに正座した。

それを確認したヨシエさんが改めて話始める。

「さて、呼び出した要件ですが、二人は3日後にここに行ってください。」

言いながらそばに置いてあったタブレットを操作して地図を見せてきた。

アオバは土地勘がないので、どこだか分からなかったがマツリはすぐに分かったようだ。

「利根川。溺れた感じっすか。」

ヨシエが静かに答える。

「えぇ。二人亡くなりました。」

流石のマツリも眉間にしわを寄せ難しい顔になる。

「二人?助けに行っちゃったのか。」

「いえ、もっと悪いです。」

ヨシエさんの暗い声に二人とも彼女の方を向く。

「一人目は大学生の男の子。雨で増水していたところに友達と遊びに来て溺死しました。もう一人は彼の母親です。翌日、同じ場所で同じように溺死しました。」

マツリは理解したようで大きく何度も頷いて言った。

「なるほど。見えちゃったのか。」

アオバにはまだよく分かっていない。

親子が川で溺死したという事だけは理解出来た。

突然ハツさんが口を開く。

「アオバちゃんはエラー魔法って知ってる?」

「えっ!・・あ、はい。なんとなくは。」

いきなり話を振られたので返答がぎこちない。

「大学生の男の子が溺れた時にエラー魔法が発動しちゃったんだよ。魂がその場に残ってしまったのさ。彼は必死に水面に浮こうともがいたんだろうね。その残った魂が今もずっともがき続けてるの。」

マツリの中途半端に生きている状態という言葉が思い出される。

その大学生の死にたくないという意思が魂だけをその場で維持させてしまったのだろう。

「流されてすぐには遺体が上がらなくてね。ご両親は彼を探しに溺れた地点に行ったのさ。そこで母親は溺れもがいている息子の姿を見てしまった。」

何故母親が溺れたのかが分かった。

彼女はとっさに助けようとしてしまったのだろう。

そして増水した川で同じように流されてしまった。

「非魔法族の魔力なんて大した量じゃないから、普通は魔法が発動しても見えるほどじゃないんだけどね。死にたくなかった息子の魂と、命よりも大切な息子を見つけたいという母親の目の両方に魔法が掛かってしまった結果、母親に息子の魂が見えて今回の事故が起こってしまったのさ。」

命の危険がないにも関わらず母親にも魔法が掛かったと聞いて、彼女にとって子供がどれだけ大切な存在であったかが分かった。

悲惨過ぎて何も言葉が出てこない。

一瞬沈黙が流れたが、マツリの声で引き戻される。

「で、誰と一緒に行くんです?」

一呼吸おいてヨシエさんが答える。

「ヨネさんと一緒に行ってもらいます。」

「ヨネさん!?」

マツリは名前を聞くと素っ頓狂な声を上げた。

「ヨネさん大丈夫?外なんかまだめっちゃ暑いですよ?死んじゃわないか心配なんだけど。」

誰の話か分からず困惑しているアオバにマツリが補足する。

「ヨネさんは最高齢の占女で106歳なんだよ。」

「いいえ、先月の誕生日で107歳になられました。」

マツリの補足にヨシエがさらに付け加える。

マツリは107歳だって!と訂正した。

アオバはとても驚いた。

107歳とは高齢だ。

そんな年齢になっても働いているなんて。

上皇陛下でさえ85歳で引退したのにとんでもない働き者だ。

マツリが再度抗議する。

「熱中症もですけど、川なんて足場も悪いし転んじゃったらどうするんです?絶対危ないですよ。」

今度はハツさんが口を開いた。

「おヨネしかいないの。9月は収穫祭が多くてそもそも外回り行ける人数が少ないんだから。おヨネは元々高齢で仕事をセーブしていたから余ってんの。」

それを聞いて、マツリは大きなため息をして諦めた表情になる。

「マジかあ~。おぶって連れてくようだわ。」

「そこはお前頑張んな。無駄にデカいナリしてんだから。」

マツリは再び大きなため息をついた。

「はあ~、分かりました。流石に日の高い時はヤバいと思うので、夕方でお願いします。16時くらい。」

ヨシエさんが頷いて了承した。

「承知しました。伝えておきます。」

要件は済んだようで、マツリはじゃ帰りますと立ち上がった。

それをハツさんが呼び止める。

「ああマツリ。お前マリコの所に行ったら伝えといて。渋谷の案件は断るように、と。」

ハツはずっと閉ざされていた目を開けて、マツリを見上げてそう言った。

彼女の眼は濁っていて、誰が見ても盲目だとわかる。

「・・・了解。」

マツリは心底嫌そうな顔で返事をすると、そのまま来た道を戻り始めた。

アオバはペコッとお辞儀をしてから後を追った。

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