第6話 任務開始
温泉宿は最高だった。
料理は上州豚をメインにした懐石料理で、追加で頼んだおにぎりととんかつは大正解。
結局、とんかつを半分にして肉巻きおにぎり1個と交換してもらいがっつり食べてしまった。
この3日間は簡単につくれる料理しか食べてなかったので、栄養バランスや色味の良い温かい食事がたまらなく身に染みる。
部屋付き露天風呂は電気を消して入ると夜の静かな雰囲気を目いっぱい堪能出来た。
時々吹いてくる風が心地よく、運ばれた自然の香りがリラックスさせてくれる。
うっかり長湯をしてしまい、待てなかったのかマツリは大浴場に行ったようで申し訳なく思った。
その日は疲れもあってすぐに寝入ってしまい、翌日はスッキリと起床することができた。
朝食は部屋に運ばれてきた和食御膳だ。
ご飯、みそ汁、焼き魚、漬物。
この組み合わせが日本人にはたまらない。
その後は大浴場がどうしても気になっていたので、チェックアウトギリギリまで入ることにした。
マツリは仕事の連絡があるということで、宿のロビーで落ち合うことに。
大浴場に一歩踏み入れると思わず感嘆のため息が出てしまう。
今時ではかなり珍しく、床も風呂も全て木製で触り心地が良い。
そして何より桜の風景である。
屋内であるにも関わらず、桜の大木が何本も壁の方から中央に向かって浴場に目いっぱい広がり、花びらがひらひらと舞い散っている。
まさに絶景。
思わずぼーっと見とれてしまったが、後ろから別のお客さんが入ってきたので我に返り洗い場で体を洗う。
花びらが消えてしまうので魔法の幻覚のようなものだろう。
湯船につかると桜が舞う様子が本当にきれいでずっと見てられる。
チェックアウトの時間があったので上がらなくてはならなかったが、本当に名残惜しかった。
ロビーに行くとマツリがソファに腰かけてスマホとにらめっこしている。
相変わらずジーンズにダボっとしたパーカーで、遠目から見ても独特の威圧感があってすぐに分かってしまう。
「お待たせ!」
「お~!どうだった?大浴場!」
「最っ高だった!あの桜すごいね!」
アオバは満面の笑顔だ。
「結構よくある仕掛けだよ。海の近い所なんかは海中仕様になってたりすんの。最近だと福井のどっかの温泉イベントで恐竜時代の海中仕様にしたのがニュースになってたよ。定期的にモササウルスがハンティングするのが見れるっていうスリリングなやつであたしも行ってみたかったんだよなぁ。」
「はたしてそれはリラックスできるの・・・?」
アオバは目の前で繰り広げられる弱肉強食の世界を想像する。
「リラックスよりロマンだよ♪」
マツリの感性はなかなか豪快である。
「さて、じゃあ行きますか!」
マツリが立ち上がり受付にチェックアウトしに行く。
手続きをしていると入り口からイナゴ族の初老男性が入ってきた。
165cmくらいで、くたびれた白の半そでワイシャツにグレーのスラックス姿。
支払いを終えたマツリがその男性に気づいて向かっていく。
「佐々木さん!今日はお世話になります。」
佐々木さんと呼ばれた男性はマツリのデカさを見て少しびっくりした様子だった。
「こちらこそよろしくお願いいたします。車で来られましたか?」
「ええ。佐々木さんも車ですか?」
「はい。えっと、それじゃあ私の後をついてきてもらう感じで大丈夫でしょうか?」
「分かりました!じゃ、行きますか!」
マツリとアオバは旅館の人達に軽く会釈をして外にでる。
佐々木さんが自分の車と言って指さした先には白い軽トラが停まっていた。
3人はそれぞれの車に乗り込み出発する。
「佐々木さんて何をしてる人なの?」
「村役場の人だよ。村内の公共のものは全部村役場が管理してるからね。」
彼の若干くたびれた様子を思い出し、なるほど役人だったのかと納得した。
軽トラに続いてのどかな道を走っていく。
左手に赤城神社の時と同じような結界のある広めの道に出るとそれに沿って走っていく。
しばらくして例の現場が見えてきた。
「近くで見ると結構でかいなぁ。」
マツリの眉間にしわが寄る。
現場の周りは工事現場のように規制線が張られ、交通誘導員が車を誘導していた。
車を規制線の中に停車させ、3人は割れた結界に向かう。
近くで確認すると破損が思っていたより広い範囲で驚いた。
幅はテニスコートの縦2枚分はあるだろうか。
高さは3階建てのアパートより高そうだ。
こんな広い範囲をマツリは一人だけでどうやって直すのか。
呆気に取られていると、マツリが話し出す。
「トラックが突っ込んだって聞いたんですけど、あの急カーブから転がってきたんですか?」
指さした先は自分達が通ってきたあのカーブだ。
「そうなんです!間伐材を積んでたトラックなんですけど、スピードオーバーで曲がり切れずって感じの大事故でした。」
想像しただけでも悲惨な事故だったろうと思う。
あのカーブからこの結界まではとても人は登れないであろう急斜面になっており、その高さは10階建てのマンション並みだった。
転がったというより落ちたという方が近いのではないだろうか。
「巻き込まれた方とかはいました?」
心配そうにマツリが尋ねる。
「いえ、不幸中の幸いで道を走っていた車は運よく急停車出来たので無事でした。」
「それは良かったです。トラックの運ちゃんは流石にだめでしたか。」
トラックとぶつかった車がいないことに安心したのもつかの間。
確かにこの落差では運転手は助かるまい。
「いや、それが運転していたのが河童族だったんでピンピンしてましたよ。」
・・・河童?
河童ってあの河童だろうか?
アオバはとても気になったが、仕事の邪魔をしてはいけないと思いぐっとこらえる。
「河童族!そりゃぁ大丈夫ですわwいや死人が出なくて本当によかったですね♪」
「本当その通りですよ。」
二人とも笑いながら話している。
「OK、分かりました!そしたらあたしは取り掛かりますので・・アオバは~・・・どうしよっかなぁ。」
マツリが悩ましげにアオバを見ている。
「何か手伝えることがあればやるよ?」
何をするのかは分からないが、とりあえずやる気は見せておこう。
こういう事って多分大切なはず。
マツリは引き続き悩まし気にう~んと考えている。
「いや、結界の張り直しでやれることはないんだよね~・・・。この大きさだと結構かかりそうだし・・・。あ、佐々木さんてこの後どうなさいます?」
「私ですか?私はお手伝いすることがあれば手伝いますし、なければ役場に戻って何か仕事する予定です。」
ピコンと閃いたようにマツリの表情がぱっと明るくなる。
「そしたらアオバを連れて集落を軽く観光じゃないですけど回っていただくことはできますか?彼女は非魔法族で先月からこっちの世界に入ったばっかりなので分からないことが多いんです。」
アオバはええ!?っと驚いてマツリの方を見る。
「えっ!先月から?そりゃぁ気になることが多いでしょうねぇ。」
佐々木さんがアオバの方を見ていった。
「キメラ族もこの集落が初めてなんです。お忙しければ大丈夫です。もし可能ならで。」
「大丈夫ですよ!そしたらちょっとした観光みたいな感じでやりましょう。でも初めてのキメラ族が我々だとちょっと気持ち悪かったんじゃないですか?」
佐々木さんは少し心配そうな笑い顔で聞いてきた。
アオバは慌てて否定する。
「全然大丈夫です!来る前はよく分からなくて仮面ライダーみたいなのを想像しちゃってたんですけど・・・。」
仮面ライダー!と声を上げて佐々木さんが笑い出した。
「そっちの方がかっこ良かったのに申し訳なかったですねぇ~。」
かっこ良いだろうか?
アオバの感性ではあまり理解できなかった。
「お昼とかも適当に食べてきてください。アオバ、お金渡すからこの名前で領収書貰っておいて。」
マツリは財布から2万円とコンビニのレシートを取り出すと、裏に”常桜殿群馬支部”と走り書きしてアオバに渡した。
これは豪華なランチが食べられそうだ。
「あ、すいません。いいんですか?」
佐々木さんが申し訳なさそうに聞いてくる。
「気にしないでください。無理をお願いしているのはこちらですから。終わりましたら電話します。」
「分かりました。じゃ、行きましょうか。」
マツリと別れてアオバは佐々木さんの軽トラに乗り込む。
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