十三章 わたしの推し

十三章 わたしの推し


 商店街にあるコインランドリーの中へ入ると、たくさんの洗濯機が並んでいて、どれも使用されている様子はない。

「この雨じゃ、だれもこないかも。アイル、すぐ元気にしてあげるからね」

 抱きまくらにも使えそうな大きめの洗濯乾燥機を選んで、アイルを入れる。

「えーと……料金は、千四百円かぁ……高いけどアイルのためだもんね」

 お金を入れると洗濯乾燥機はすぐに動き出した。洗濯から乾燥まで自動でやってくれるのは便利だけど、時間はかかるみたい。終わりの時間が七十分って表示されている。

「あーあぁ、終わるまでには雨が止んでいるといいなぁ。そうじゃないと、また濡れちゃうもの……そうだ! 天気予報!」

 スマホで天気予報を確認してみると、あと一時間後には、くもりのマークがついている。これなら雨は止みそう。アイルの洗濯と乾燥が終わるのは、だいたい十六時くらいだとして、そこから夕ご飯の時間までに帰らなくちゃいけないとしたら、最後の良いことをクリアする時間は、ほとんどないかも……。

「アイルが元気になるまでに、わたしがなにかいいアイディアを考えておかないと」

 アイルができることは、限られている……座布団というアイディアはいいかもしれないけど、いつ座られるかわからないから時間に追われている状況で選ぶ答えじゃない……なにか似たようなことでアイルにできそうなことは、ないかな? うーん……。

「ふあぁ〜。なんだか眠い……ずっと走りっぱなしだったし疲れたかも……」

 えーと……アイルができる……こ……とは――……。


 ……なんだか少し寒い……今日の夕ご飯はシチューだったら嬉しいな……アイルは食べられないから可哀想だけど……アイル……!

「アイル!」

 やばい! いつのまにか寝ちゃってた! アイルの乾燥はもう終わっているかな?

 洗濯乾燥機のほうへ目を向けると、抱きまくらがぐるんぐるんと回転していた。近づいてみると液晶画面には終了時間が残り二分と表示されている。

「わたし、一時間くらい寝ちゃっていたのね……」

 気のせいか身体が少しだるいし、頭も、ぼーっとする。寝起きのせいかもしれない。

 乾燥されているアイルを見つめていると、突然、回転が止まった。

「終わった?」

 洗濯乾燥機のフタを開けると、もわっとした熱気を感じた。アイルを取り出すと、やきたてのパンケーキように、ほかほかとしている。アイルは目を閉じたままだ。

「アイル、起きて」

「う、うーん……琴葉か。おはよう」

「寝ぼけているの? 気分はどう?」

「うーん。なんか身体がポカポカするな……まだ眠い」

「ずっと乾燥されていたものね」

 よかった……アイルはもう大丈夫そう。ふっくらとしていて、すっかり元の状態に戻っている。まるでビニールを剥いだばかりの新品みたい。問題はこのあとだよね……最後の一つをクリアしないと。

 窓の外を見ると雨は止んでいない。

「ウソでしょ! 天気予報だと、そろそろ止んでもおかしくないのに」

「雨、まだ降っていたのか」

「うん。アイルどうしよう……このままじゃ帰ることも良いことをすることもできないよ」

「とりあえず、このままじゃどうにもならないし、とりあえず家に戻ろう。琴葉も濡れたままだからお風呂にでも入ったほうがいい」

「え? でも外は雨だよ? それに家に戻ってお風呂なんて入っていたら良いことをクリアする時間がなくなっちゃうよ」

「とにかくスマホでお母さんに連絡して、むかえにきてもらうんだ。良いこと探しは残り一つだし、明日の早朝にでも動けばいい。さすがに朝の早くから返品の受け取りにはこないだろう」

「……わかった。お母さんに連絡してみるね」

 うーん……居眠りしてから少したっているのに、ぼーっとするなぁ。

「どうした、琴葉?」

「ううん。なんでもない」

 スマホの連絡先からお母さんの番号を見つけて電話のマークを押す――と、すぐにお母さんの声が聞こえてきた。

「お母さん? あのね、今コインランドリーにいるの。そう、本屋さんの並びにあるでしょ? うん、そう……ありがとう、通話きるね」

「お母さん、きてくれるのか?」

「うん……車を出してくれるって。そんなに離れていないし、すぐだと思うよ」

 なんだろう? さっきから身体がフラフラする……。

「琴葉? 大丈夫か? 顔色が悪いように見えるけど」

「うん……大丈夫だよ。少し疲れたのかも」

「それならいいんだけど。戻ったらゆっくり休もう」

「うん」

 このまま家に戻ったら、すぐに夕ご飯の時間になっちゃうだろうなぁ……アイルの言うとおり、明日の早朝に頑張らないと。でも、朝早くになんて、なにができるんだろう。

 もしも、間に合わなかったらどうなるの? キララちゃんの抱きまくらが手に入らなくなっちゃう? ううん、もうそれはいい……アイルがもし返品されてしまったら、もう会えないってこと……だよね。

「わたし、嫌だよ……」

「ん? どうした琴葉」

「わたしアイルとお別れしたくない」

「琴葉? どうしたんだ突然。大丈夫さ、お別れになんてならない」

「でも! もし、最後の良いことをクリアできなかったらアイルは返品されちゃうんだよ!」

「そうだな……でも大丈夫さ。絶対にそんなことにはならない」

「本当?」

「ああ、約束する」

 アイルをぎゅーっと抱きしめると、外から車のクラクショの鳴る音がした。

 窓のほうに目をやると、お母さんの青い車が止まっていたので、アイルを抱きしめたままコインランドリーを出た。


 家に到着してからすぐにお風呂へ入ったけど、少し前からフラフラしたり、だるさを感じていたので、長湯はやめて簡単に身体をきれいにするだけにした。

「琴葉、おかえり」

 部屋に戻るとアイルはベッドの上から声をかけてきて、わたしの胸に飛び込んできた。

「ん? 琴葉、なんだか体温がいつもより高くないか?」

「そうかな……お風呂に入ったからだと思うけど」

「いや、そういう感じじゃない。もしかして熱があるんじゃ? どこか調子が悪かったりしないか?」

「なんかずっとフラフラして、身体が重いかも」

「すぐにお母さんを呼んだほうがいい」

 言われたとおりにリビングへいこうとすると、コンコンと部屋のドアをノックする音がして、お母さんが部屋に入ってきた。

「あ、お母さん……」

「琴葉、夕ご飯なんだけど、カレーとシチューどっちが……琴葉? あなた顔、少し赤くない?」

 お母さんは目の前までくると手のひらを、わたしのおでこへ当てた。

「あら大変、熱があるじゃない! なにか冷やすものとお薬もってくるからベッドに入ってなさい」

「わかった……」

 お母さんは慌てたように部屋を出ていった。

「琴葉、大丈夫か?」

「平気、心配かけてごめんね」

「少しだけ休もうかな。アイル……明日は、がんばろうね」

「ああ、そうだな。でも今はゆっくり休んで、しっかり治さないとな」

「うん……」

 頭が、ぼーっとするし、少し息苦しい……お母さん、シチューって言っていたよね。食べたかったな……でも今は無理かも……。

「アイル……」

「ここにいるぞ」

「少し眠るね……」

「おやすみ琴葉」

 おやすみアイル――……。


 わたしの腕の中でフワフワとした感触を感じる。この感じ……どこかで……。

 ぎゅーっとそれを抱きしめる。

 そうだ……ここ数日、わたしはずっとこうして、これを抱きしめていた。なにも気にしないで抱きしめていたけど、不思議とこれを抱きしめていると安心してくる。これは、わたしにとって大切なものだ……大切な抱きまくら……アイル。

 うっすらと目を開けると、そこは見慣れたわたしの部屋。机の横にある棚にはキララちゃんのグッズが、たくさん飾られている。

「琴葉……」

 ベッドの中から、名前を呼ぶ声がした――アイルの声だ……わたしは小さく返事をする。

「琴葉、目が覚めたみたいだね。調子はどうだい?」

「うん……大丈夫みたい」

 わたしはアイルをずっと抱きしめたまま、眠ってしまったみたい。あんなに抱きまくらとして使われるのを嫌がっていたのに……こうしてずっと抱かれていてくれたんだ……。

 アイルとずっと一緒にいたいな……そうだ、そのためには良いことを……!

 ふと時間が気になる――ベッドから飛び起き、机の上に置かれていたスマホを手に取り画面を確認した。

「もう十時……大変っ! アイル、急がなきゃ! 返品の業者さんがきちゃう!」

「琴葉……落ち着けよ……大丈夫だから」

「大丈夫って、もうこんな時間だよ? 早ければお昼までにはきちゃうかもしれない!」

「琴葉、落ち着いて。ぼくの姿を、よく見てくれよ」

「え……あれ?」

 抱きまくらにプリントされている幼い男の子の髪に色がついている……それはキーちゃんがくれた、うさまるのような青い色……ううん。それよりも、もっと澄んだ色に見える。

「きれい……これって最後の良いことをクリアしているっていうこと?」

「そうみたいだ。じつは琴葉がスマホを見ていたときに部屋の鏡で気がついたんだ」

「でも、どうして……あっ!」

「なにかわかったのか?」

 二つめの良いことをクリアしたときと、きっと同じなんだと思った。あんなに嫌がっていた抱きまくらになることを、わたしのために我慢して、じっと抱かれていてくれたアイルのやさしさが良いことにカウントされたんだ。

「それはね……良いことって、いろいろな、かたちがあるってことかな」

「なんだよそれ?」

「アイルはやさしいってこと!」

「なっ! べ、べつにぼくは、やさしくなんかないよ」

「あー! 顔が赤くなってる。照れてるの? かわいい!」

「照れてなんてないよ!」

「あはは。あっ、でも人間の姿になっていないね? どうしてだろう……願いは叶っていないってこと?」

「いや……願いはもう叶っているよ」

「え? でも、抱きまくらの姿のままだよ?」

「それでいいのさ……それをぼくが願ったから」

「願ったって……どういうこと? アイルの夢は人間の姿になってアイドルになることだったでしょ?」

「あぁ……そんなこともあったな」

「そんなことって……」

 アイルが、ぴょんとわたしの胸に飛び込んできたので、ぎゅっと受け止める。

「その、なんだ。ぼくがいなくなったら琴葉さみしがるだろ? とりあえず、みんなのアイドルはキララちゃんにまかせて、ぼくはその……なんていうか……」

「なに?」

「だから、ぼくはきみだけのアイドルになるって決めたんだ」

 抱きまくらにプリントされた幼い男の子は、ほおを赤く染めて恥ずかしそうにしている。わたしだけのアイドル? え? えぇええ! なになに、それって告白!?

「もしかして告白された?」

「ちがっ! 告白じゃない! とにかく、ぼくは抱きまくらとしてずっと琴葉のそばにいるって決めたんだ!」

「アイル……」

 心がキュンとして、目の前の抱きまくらをぎゅーっと抱きしめた。

 わたしだけのアイドルになってくれたアイルはキララちゃんと同じくらい、わたしの推し――。

 

 わたしの推しは抱きまくら。


 おしまい。

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わたしの推しは抱きまくら! かねさわ巧 @kanesawa-t

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